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わたしの名字|SNSと私_vol.1

自分の頭の中や心が整理されてきたので、身の回りも整理したい。
所有欲がありまくるので、なかなか持ち物を捨てることができないが、まずは形のないものから整理していこう。
そう思って、新しいパソコンを買ったこともあり、この画面の中の世界から整理していくことにした。

2つの顔を持つ女

いけないと知りつつ、某SNSのアカウントを2つ持っている。
今の仕事を始めたときに、仕事関係の人ともSNSで繋がる必要があることが分かり、もう1つのアカウントを作った。

Twitterも2つアカウントを持っている。ずっと「見る専用」のアカウントを持っていたが、HRを自分の仕事にすることに決め、「キャリアコンサルタントの資格を取ろう」と決意したときに、アクティブなアカウントとして、2つ目のアカウントを作った。

その理由を「仕事とプライベートを切り離したかったから」だと思っていたが、どうやら理由はそれだけではないのではないかと思うようになった。

きっかけは、最近うちにいる3歳を「●●(名字) 3歳くん!」と呼ぶと、「●●(名字)っていわないで!」と言うようになったことだ。

あなたは、なんと呼ばれたいですか?

そう、私が某SNSで「仕事とプライベートを切り分けたい」そう思った一番大きな理由はたぶん《名字=姓》だ。

私は旧アカウントを大学生の頃に作り、今でもそのアカウントを持っている。結婚してアカウントの名字を変えたり、旧姓と並べて表示させる人もいるが、私はずっと《旧姓》でSNSを続けてきた。

旧姓はSNSだけでなく、在職中に結婚した前職で使い続けた。
結婚後も社内での呼ばれ方、名刺、どれも旧姓のまま、取引先にも必要がなければ結婚したことも言わなかった。

現職への転職は結婚後だったため、戸籍上の新しい姓で入社した。
入社した時には既に、名字の入ったメールアドレスと名刺が出来上がっていたし、私は「●●さん(戸籍上の名字)」と認知されていた。

ここでの私は「●●」と決まったのだ。

一緒に働く社員はもちろん私が既婚者だと知っているが、お客さまやアルバイトスタッフは知らない。聞かれれば隠しもしないし、嘘もつかないが、自分から「私、結婚しています」と話す必要もなかった。
それなのに、SNSでつながってしまうと名字が違うことに気づき「結婚してるんですね」と私の話題になるのもいやだった。

「既婚者」のレッテルを貼られたくなかったのかもしれない。(隠していないので指輪はつけている)

最近ふと、入社時に「うちの会社ではなんと呼ばれたいですか?」と聞かれたら、私はなんと答えていただろうかと考えた。

おそらく、下の名前で呼んでもらうことを希望したのではないか。

名字が変わることは婚姻関係だけが理由でない。いろいろな事情で名字で呼ばれることに抵抗がある人もいると思う。(もちろん、いろいろな事情で名前で呼ばれることに抵抗がある人もいるだろう)
だから《その人がなんと呼ばれたいか》は、実はすごく大切なことなのではないだろうか。

今回また新入社員を迎え入れる機会があった。
こう思う自分がいるのに、「うちの会社ではなんと呼ばれたいですか?」と聞かず、つい名字のメールアドレスと名刺を用意しようとする自分がいる。
それに気づき、胸の奥がチクっとした。

名前で生きる

3歳が3歳は3歳だよ!と言うのを聞き、思い出したことがある。

小さいころ母が私に言っていたこと。

「◯◯さんのお嬢さん」「◯◯ちゃんのお姉ちゃん」「◯◯くんママ」「◯◯さんの奥さん」にならず、あなたはあなたの名前で生きていきなさいね。
特に女の子は、結婚すると名字が変わったり、子どもを産むと◯◯のお母さんになってしまうけど、自分の名前で生きていけるようになりなさい。

常に意識していたわけではないが、たぶんずっと自分の中にあったのだろう。

つい先日、そのSNSの名前からを外した。

姓:名前のアルファベット表記
名:名前の漢字表記

ミドルネームに「は」を入れた。
いろいろ考えた末、こう表記にすることにした。

「3歳は3歳」

から拝借した。
同時に、このnoteTwitterも、ヘッダーに

「わたし は わたし」

と入れることにした。
これは、私自身がそうありたいだけでなく、世の中の人全員が、開き直りでなく「わたし は わたし」なのだ、と自信を持って言える世の中だといいと思っているからだ。

姓を外すと心が軽くなる。
足取りも軽くなる。

これで私は、また歩けるし、走れるし、ジャンプだってできる気がした。

ひとつの顔で生きる覚悟

今、SNSのアカウントをひとつにまとめようとしている。過去の私と今の私が、それぞれの名字という枠組みを外すことで、一致してきたのだ。

もちろん、ひとつの顔でも見せる面は使い分けはあると思う。
それでも、子どものときの自分から今日までの自分がひとつのでつながっていて、それは切り分けることができないし、切り分ける必要がないことが分かったから。

Twitterは引っ越しが完了した。

姓の選択

夫婦別姓を訴える声は日に日に強まっているが、それでもまだ国はよしと言わない。

結婚するときに、夫婦別姓が認められていたら、私は迷わず別姓を選んでいたと思う。家を守るなどではなく、両親が姓と名のバランスや画数を考えてつけてくれた名前だからだ。

旧姓のときの画数はとてもよかったが、今の姓は私の名前にあまりいい影響を与えない。(姓名判断に傾倒しているわけではないが、わざわざ悪くする必要はない)

印鑑も、結婚する際に新しい姓で作り直し、通帳などは全て名前の変更をした。(なぜこのときに名前の印鑑にしなかったのだろう、悔やまれる)

この大変さを知っているので、結婚前の女の子が印鑑を作ろうとするときには必ず下の名前で作るようにすすめている。
3歳は生物学上も戸籍上も現在"男"ではあるが、印鑑を作る必要が出たときには必ず下の名前にしてあげようと思う。

印鑑に関しては今回のコロナ禍で脱はんこが進みそうなのでそれはそれでよい。
でも、それは本当の解決ではない。
人が姓や役割に縛られず「わたしはわたし」として生きることができる時に、人生もキャリアも、はじめてとして自分の目に映るのかもしれない。

最近そう思っている。

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