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読書雑記『やがて満ちてくる光の』

読書の楽しみのひとつは、言葉を知る喜びではないか。
梨木さんのエッセイを読んでいくなかで、そう思いました。

『やがて満ちてくる光の』梨木香歩/著 新潮社

やわらかな文章と、固い言葉のバランスが良くて。ときどき難しい漢字が出てくると、ハッとさせられます。ふだん話し言葉で使うこともなければ、書くときにパッと出てくることもない、でも言葉としては、ああ! と思い出す。それらが言葉として文章の中におさまっている。美しくて、読んでいて楽しい。そして羨ましくなります。ああ、こんな文章が書けたらなあと。

「しんとした真夜中、夜道をオレンジ色の街灯の光が照らす中、町外れの丘にある教会まで歩いた。砂利を踏みしめる音だけが響く静寂の中、丘の近くまできて息を呑んだ。夜の闇に、教会のステンドグラスがうつくしく内側から発光していたのだ。私はそれまでステンドグラスというものは、外側から射す陽の光で内側にいる信者に感銘を与えるためのものと思っていた。けれど、こんな闇の中では、外側の闇にいる者に届く光でもあったのだった。
ー(中略)ー
私の記憶の中には今でも、あの、北の国の深い深い群青の夜空と、凍えんばかりの清冽な寒さと、まるで内側に光の満ちた宝石箱のように発光する教会が存在する。時の彼方に過ぎ去っても、まだそこで光り続けている。」(36~37頁)

文章の巧みさといい、著者による世界の捉えかた、見ている世界の感じかた。読んでいると、その光景が瞼の裏に浮かんでくるようです。

本を読みたくなる、誰かの書いた文章を読みたくなる、そんな時エッセイに手がのびるのは、私ではない誰か別の人からの目線で、新しい世界を見たくなるから。私では気づけなかった、知らなかった、世界の別の側面を見させてくれます。

梨木さんの文章の世界が心地よくて、いくつかエッセイを読んでは、ほうっと浸って満足します。

「作品にせよサービスにせよ、なんにせよ、質の高いものにはきっと、そのときのひとの心の一番ケアが必要なところを、軽く慰撫してくれる何か、たとえ表面的であったにしても、癒しに似たメカニズムが働く何かを持っているのではないか」(56頁)

好きな文章を見つけた喜びを、感動の宝箱にそっとしまっておくように。メモをして残して、忘れたころにもう一度読み返して。それは確かに自分を癒やしてくれている、何かが働いている気がします。

時には、ぴりっと姿勢を正したくなるような言葉も。

「私が一番気持ち悪いと思って、そこから離れたいと思っているのは、安易なプロになってしまうことです。自己模倣して同じようなものを繰り返し書くと、作業にも慣れて楽になり、洗練もしてゆくでしょう。そういうのを熟練の技のようにいい、プロ化することがよいことのように思われていますし、読者にとってもその方が読みやすいのかもしれませんが、同時にどんどん何かが壊されていくような気がします。できることならいつまでも素人っぽい、ごつごつした感触を残していきたい。そういうことにエネルギーを注いでゆきたいと思ったりします。でも、気がつけば流されている自分もいる。毎日が、おっとっと、という感じです。」(128~129頁)
「生まれいずる、未知の物語」河田桟さんとのインタビュー対談より

いくつか本を読んでいて、感じた違和感を言葉にしてもらえた喜び。そうだ、自分が感じていたモヤモヤはこれだったのだ、と。慣れてしまうより、いつまでも初々しくありたいと思います。

言葉の世界の豊かさ。その豊かさに触れること。触れるたびに、私は何かに癒やされているような感動を味わっています。その感動が忘れられなくて、いつだって本が読みたくなります。

言葉に飢えているとき、梨木さんのエッセイはしみじみと心を満たしてくれる。そんな著者の文章が好きです。

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