時流についていけないメディアを、少し医療現場に重ねてみる


テレビ・メディア業界に対して、9月2日、モーリー・ロバートソンさんが
“唐突ですが、意見表明をします。”と始めた
30も繋がれたツイートは、
「わかる、わかる」とうなずきが止まらなかった。
メディアへの【抵抗】の内容を見て、私は
「本当にそうだ、メディアはいつまでも古い世代の意識のままだ、世の中の人の意識の変化に追いついていない、変化が遅い」
と、心から共感した。素晴らしい意思表示と抵抗だと思う、本当に共感しかない。

ツイートのリンクはこちら↓

是非、全文読んでもらいたい。

一方でふと、
医療業界にいる自分、現場の雰囲気と働き方を思い出し、
「もしかして、メディアの人たち、内容がなかなか変われないのって、毎日忙しすぎるからなのかも」と思い立った。

世間はこんなにも速いスピードで変化していくのに、
メディアはどうして、追いついていかないの?
放送の後にはTwitter上に(良いも悪いも)放送内容やキャスティング、進行について
意見や、アドバイスがあふれて、1万以上リツイートされていたりするのに、
どうして、その後すぐに変更しようとはならないで、現状維持なの?

まず、モーリーさんのつぶやき内容から感じたこと、と
変われないメディア、に対して、なんで変われないんだろう、と
私が考えた理由を書いてみたいと思う。


モーリーさんのツイートでは、たとえ収録後にカットされても、
【いじめ、決めつけ、ステレオタイプ、ジェンダー差別、ステマ、ファクトチェックされていない情報流布になるべく抵抗したい】と書かれていた。

正直、今までもいろいろ思うことがあったけれど、
コロナが流行るようになってから、メディアの報道に嫌気がさすことも増えて、
コロナを扱ったニュース以外でも、気になる部分が増えて、
ああ、もう見てられない、とテレビを消すことも増えた。

センセーショナルなトピックをとにかく長く長く流す、
本当にそれは正しいの?と思わざるを得ない情報が飛び交い、
しかもそれに対して、その専門家じゃない人たちやら芸能人が、
眉をひそめて意見らしきものを言う。
以前に流した情報が、時間を経って後から追えば、もしかしたら間違い(名前の違いとかじゃなくて)だったかもしれないのに、修正しない。
とにかく、いじる、批評する標的をつくる。
いじる、という言葉にしながら、客観的にみたら白けるような、いじめのような発言、扱いを堂々と流す、
感動、とかなんとなくアットホームな雰囲気にしておいて、本質の問題からは目を背けている。
グラフの提示の仕方もめちゃくちゃ、数と割合の違いも分かっていないし、
結局は見ている人たちの不安を煽ったり、
視聴率を上げたいから、人々の意識の中に潜む小さな差別や偏見といった思いを
摘まみ上げるような内容を流して、良い思いや優劣感を抱かせて、
それって、もっと差別や偏見を広げるんじゃないの?って思うこともある。

もうさ、若い女の子を可愛いか痩せてるがブスが太ってるか、でいじるなんて
ばかばかしいし、
専門じゃない人たちが話し合ってたって、そこらへんのカフェで愚痴を言っている人たちと変わらないし、
みんながみんな、同じものに感動すると思わないでほしい。

モーリーさんの言っていることは本当そうだなって思う。
そして、必要な変化が訪れるようになってほしい、って思う。

モーリーさんのつぶやきに乗っかった、自分の愚痴や不満が長くなってしまった。
以下、「でもやっぱり、メディアって、変わるのが大変なんだろうな」と
同情してしまう気持ちを、まとめてみようと思う。


世間の価値観は変わってきているのに、メディアは追いついていない。
それくらい、現場は余裕もないし、忙しいんじゃないかって思う。
「そんなことわかってるよ、でも現状を保つので精一杯なんだよ」
「そんなことわかってるよ、でも私みたいな下っ端が言ったってなんにもならないんだよ」
そんな声が聞こえてくる気がする。

同じようなことを、急性期の病院で働く自分も思う。
あんなに看護学校では研究とか、研究の臨床応用とか習ったのに、
研究をしている暇も、研究を読んでまとめて、それを新しく現場に生かす、なんてことは
めちゃくちゃ体力気力がいることだし、すっごく大変。
現場ってそれどころじゃない。
今の方法をまず覚えることで精一杯、業務をこなすのに必死、
とりあえずこの日勤や夜勤が終わってくれ、って思うし、
終わったら全て忘れて休みたい。
上の立場にいる改革をする人たちも、すごく忙しい。

医療現場では、感染対策、防災対策、地域連携などよりよい看護業務になるように
たくさんカンファレンスをしているし、通達や変更を示してくれるけれど、
現場の意識を一新する、とか
根本から変えて取り組むようにすることは、とても難しい。

新しい意識や思想を取り入れて、それを今ある業務や仕事の流れに組み込み、
それをメンバー全体が意識して共有するということ。
それって、忙しいと、すっごく難しいことなんじゃないかな。
それくらい、日々の仕事に必死。
一人が声高に叫んだって、ついていく人たちがいなかったり、
その意識を実際の業務に組み込むって、すごく時間も気力もいることなんじゃないのかな。

メディアのうち、テレビを代表にすれば、
多くの地域で24時間365日テレビは放送している。
その場で働いている人たちって、常に新しい放送、台本作成、企画、収録、編集、様々な部門や外部とのやりとりに
すごく忙しくて、追われていて、時間がないんじゃないか。

医療も24時間365日。
自分のいる場所と、メディアの現場は全然違うのだろうけれど、
なんで変われないんだろう、って思ったとき、
そんなことが思い立った。

結局言いたいことは、
モーリーさんのつぶやきは素晴らしかったな、ってことと、
メディアって最近なんかもう古いな、ダサいなってことと、
でもそうなっちゃうのって、忙しすぎるし余裕がないからなのかなと思ったということ。

まとまりはない。
でも、モーリーさんのように提言してくれる人がいてほしいと思うし、
医療の場にいる自分は、患者さんと自分の“いつもの看護・業務”に隔たりがないか、意識していけたらいいなってちょっと考え直す。

みたいと思うテレビが増えてほしいなぁ。

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