性教育じゃなくて、リプロダクティブヘルスライツと呼びたい

性教育いう言葉に、なんとなく抵抗を感じる。
私の興味あること、したいことを話すと、人にはよく「性教育だね」と言われるのだけれど、なんとなくしっくりこないのだ。

性教育、というと、性の教育、なのだから、
セックスのこととか、性病とか、そういうものがまずイメージされて仕方ないと思う。

いくら、性教育は月経や射精といった体のこと、妊娠出産、家族計画、性感染症、セックス、人工妊娠中絶、異性との関わり方、と幅広いんだ、と説明したところで、
名前のインパクト、印象って、すごく大事なものだと思う。
初めてそれを知る人、知ろうとする人、聞いた人が、わかるような名前になってほしい。

それに、性教育、ってなんか本当に人前で言いにくいと思うんだよね。
性教育は恥ずかしくない!って、堂々としていいんだ!大事なんだ!って押し出すインフルエンサーの人たちもいるけれど、
恥ずかしくないんだよ、というイメージから変えていくのって、すごく時間がかかると思うし、恥ずかしい恥ずかしくないの話じゃないと思ったりする。

ほんと、思ったりするだけ。
性教育については、今まで日本社会でなんとなく話題として避けられて、日本全体で統一された性教育の内容、場をつくれていない状況で、
あげくのはてに「日本の女性は性教育がしっかりなされていないから、緊急避妊薬は医師の処方箋なしでは処方できません」と言われてしまう国になっていて。
そんななか、ここ数年で、NPO法人や産婦人科医師、助産師といった様々なインフルエンサーが情報を発信したり、危機感を訴えたり、社会を変えようとしていると感じている。

ただ、やっぱり名前がどうにかならないか。
性教育、というだけで、眉をひそめたり、苦笑いする人を見るのが、私はもうつらい。
「マジメな話なんです」と、そこで反論したり議論するのは、もう、かったるい。

私は、性教育というよりも、リプロダクティブヘルスライツ、というほうが、しっくりくすと個人的に思っている。
セクシャルリプロダクティブ・ヘルス&ライツ(reproductive health & rights)は【性と生殖における健康と権利】とも訳される。

これは、1994年の国連主催の国際人口開発会議で提唱されるようになった考え方で、妊娠出産や性にまつわることを、当事者が自己決定する権利、そしてそのために必要な知識や情報をきちんと得る機会をもつ、ということだ。

セクシャルリプロダクティブヘルス、は性や子どもを産むことに関わる全てにおいて、身体的精神的社会的に健康であること。

人々が適切な支援や情報を得ながら、自分の体のことを自分で決める。
これは権利なんだ、ということが大事だと思う。
自分の身体のこと、というのは別にセックスや人工妊娠中絶のことだけじゃない。

子どもが欲しいか、欲しいならいつか、産むか産まないのか、決めること
それをカップルで話し合うこと
ジェンダー差別をなくすこと
強要されずに、LGBTといった自分のセクシャリティを表現できること
妊娠出産、性感染症、不妊などに必要な支援やサービスをうけられること

いわゆる性、に関することだけじゃない。
人生に、ライフイベントに関わること全部。

和製英語のビジネス用語がたくさんあるときく。
アジェンダ、インセンティブ、コミットメント、コンプライアンス、シナジー…など、調べてみるといっぱい。
その一単語がどういう意味合いか、お互いが共有しているから話ができるのだろうし、そのような単語を使いこなしていくことも、ビジネス界では大事なのかなと思ったりする。

同じように、リプロダクティブヘルスライツ、って広まらないかな。
新しい概念、として印象がつくように。
そんなふうに思う。

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