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2019秋に「木星×射手座期も残り一ヵ月きってるよ」なんて言いながら。

前回の長文noteを書いてから、2ヵ月ちょっと……。

あれから「9月」「10月」と、新しい物語(400字詰め原稿用紙で50枚の短編小説)の“立ち上げ→執筆→磨き上げ”に日々の時間とエネルギーを捧げ、いちおうの目標にしていた「10月末の完成」をひとまず達成し、“ぎゃー、疲れた。また白髪ふえたんじゃない?”とか言いながら「11月」へと滑り込み、……ヘナで髪も染めたな(食品用ポリ袋の中に作って、薄いゴム手袋はめて直接手で塗っていくのが私のやり方)……美容室にも行ったよな(途中で銀杏踏んじゃって、靴底におわせながら行ったわ)、……再読中の『1Q84』はBOOK3へと突入したし(牛河~!!)……立冬も越えた(ぐぐぐっと冷えてきましたね)、と相変わらず『気分よく過ごす』を胸に、少しの間ゆっくり・まったり、頭の中を一回からっぽにするような感じで、今、ここ。

うん。書きたいことが全然ない。まるで浮かんでこない。

つまり、平和……なのだろう。
今の私は、今の“ここ”には何も求めていないようだ。それでも、こうして言葉を記録しておくのは、未来のため。未来の自分と誰かのため。
そして、それよりも「はやく創作の日々に戻って、続きを書こうぜ紡ごうぜ」と心が誘う。


知ってるかい?
あと一ヵ月もしないうちに、木星は射手座を通り抜ける。待ち受ける山羊座には、すでに土星と冥王星。「だから……」ってことも、今さらないか(ここでもっと星の話を広げようかとも思ったけど、なんかそういうのはもう、興味のある人が自分で調べて出会っていけばいいか。私のことは、私が知っていればそれでいい。わざわざ外に持ち出さなくても、もう内側に備わっているから、こうしてそれを感じる&確認するだけで充分OKか……とか思いながら)。ただ淡々と、目の前の日々を生きるだけ。道を進むだけ。


私はもう、知ってしまっている。
暮らしと創造。
あの時間がない日常なんて、ほんとに毎日が「死」とか「無」みたいで、私はうまく眠れなない。息ができない。そんな気分にばかりなる。そしてそれは、どの星座に何の星がやって来たとか出て行ったとか、そういう情報とはもはや関係のないところで(ある意味では完全にリンクしたところで)、勝手に、自然に、巻き起こっていくことだから――。

うん、わかってる。
わかってるけど、言葉にするのは難しい。

とにかくね、意識しようがしまいが、もうどうしようもなくみんながみんな、宇宙の中を生きているってこと。私はもう、その美しさを感じて、その美しさと一体化?していきたいし、わざわざそんなこと言葉にしなくったって、もうこんなにも実は内なる宇宙はここにあって、誰しもにあって、だから夢中で生きていれば、……そう、夢中で生きることだけ、気分よく過ごすことだけに、今の私は真剣でありたいな・あるだけでいいなって、そんな感じなわけですな。

……って、ここ数日この“久々の長文note”に取り組んできて、まさかこんな結論に達するとは、、、私(にとって)の『note』、相変わらず面白すぎ。謎だけど納得できすぎ。




もっともっと、ある意味まったく親切でない、しかし別の意味では“わかる人には言葉を超えて何かが届く”ようなテレパシーみたいな文章を、書いていきたい・書いていいんじゃない?  そうだよ、もっと狭くて深い、ピンポイントで照らすような、勝手&無邪気に相手を信頼しきっちゃってるような、そんな文章を――。


今の、今日の私は、そういうことを、ここに、綴る。

うん。

軽い。




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熟成下書き

“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆