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春馬さんへの愛と感謝を、私は「この作品を世に出すことをあきらめないこと」で表現・行動していこうと決めた。

何から話せばいいのか、わからなくなる……。

私にとって「特別な人」が、消えてしまった。

そして私の一部も消えた。
私の中の壮大な夢の一部が、「もう永遠に、絶対に叶うことのないもの」として、消えてしまった。




■2020年7月18日(土)11時19分


■2020年7月18日(土)15時47分


■2020年7月18日(土)15時51分


■2020年7月18日(土)17時55分


■2020年7月18日(土)19時15分


ここ(↑)から
ここ(↓)までの時間が、
たった「一日」のことだなんて思えないくらい
心が深いところ・遠いところを彷徨った。処理できない「悲しみ」と「苦しみ」。勝手に浮かんでくる、数々のイメージ(ヴィジョン?)。言葉にすることを避け、涙を流しながらも可能な限り自分を守り、それでも……頭の中も心の中も溺れそうなほど “彼” でいっぱいだった。
忘れたくないので(忘れられないと思うけど、それでも記憶というものは薄れたり部分的に濃くなったり?していくものなので)書き残す。

18日の夜、例の歌番組を流しながら……新妻聖子さんの歌で涙があふれて、次の城田優さんの歌で爆発的に泣いて、泣いて、泣き疲れて、そのすぐあとに夫が仕事から帰ってきて、また泣きながらいろいろ話して、MISIAさんが歌っているときだった。あの圧倒的な女神パワーで、音楽というものを使って「愛」を放出&炸裂させているのを観ながら、聴きながら、浴びながら、「こういう“超えたもの”の前では不思議と涙は出ないね」なんて言いながら、でも気づくとまた泣いていて、彼のファンの気持ちを想うともう……苦しくて苦しくて、悲しみと涙がどんどん勝手にあふれてきて、何かが向こうからなだれ込んでくるようで……。突然、喉元がぎゅっと締まったようになり、呼吸が苦しくなって、声も出にくくなって、やばいやばいやばいと夫に背中をさすってもらったりしながらポマンダーやレメディーを思いつくままに投入して、、、、、どのくらいの時間そうしていただろう。今も、唾を飲み込んだり、食べ物や飲み物を飲み込むときに、喉の入口?がズキンと痛む(不思議なことに?固形物を飲み込むほうが、液体を飲み込むときより楽なのだ)。調べてみたら「咽喉頭異常感症」(ヒステリー球)というものなのかもしれない。強いショックやストレスを受けたときになるものらしい。わからない。病院には行っていない。それよりもっと怖いこと(?)を想像してしまっていたので、「咽喉頭異常感症」という“名前の存在するもの(?)”が原因だと言われたほうが安心できる。だけどあの瞬間は本当に、このまま喉が締まって(筋肉?の収縮??)息ができなくなる、声を出せなくなる、どうしようどうしようどうしよう……と恐怖だったし焦ったし、そんな経験したことないし(過呼吸は一度だけあるが)で、でもそのくらい悲しいことが今日、現実に起こったのだから、何事もなくいきなりこうなったのとは違うのだから……とどこか冷静な自分もいて、少しずつ、本当に少しずつ、息ができるように&声が出せるようになっていった(でも体感的にはかなりの時間だったけど)。見えない何かに乗っ取られそうになったのか、ギリギリで振り払えたのか、単なる?ショック&ストレスなのか、、、自分的には「全部」が合わさった感じか??? でもこういうとき私は「私の中にあるもののほうが強い!」と思っているということを知った。知れた。そして……「これはちょっと興味深い体験だったな~~~」と密かに作家魂を発動させていたことは(今も観察中)ここだけの秘密。私はとっっっても“受け取り”やすいけど、許可なく私を乗っ取ることは、何者にもさせはしない。

――と、このくらいの言葉を吐けるくらいには復活している。でもまじで焦った、こわかった、どうなることかと思った(……うん。そしてここまでの話の流れ・雰囲気が、なんかもうガラリと変わってしまったことを、今の私は感じている。けどこのまま残す)。



■2020年7月19日(日)23時56分


■2020年7月20日(月)0時11分




そうして今日、7月20日、月曜日の午後~夕方。
“今年2度目の蟹座の新月”を前に掃除をするつもりでいたのだけれど、今はそれよりこっちのほうが自分にとって大切・重要なことに思えるので、今日の私は「書くこと」を選択した。

私の長編小説『くちびるリビドー』を、「本」にすること。「映画化」すること。そのときに「寧旺」という役を「三浦春馬」という俳優に演じてもらうこと。――全部、私の壮大な夢の一部だ。

彼をモデルに、この役を作ったのではなく、書いているうちに自然と「この人がなんだかイメージにぴったりなんだよな~……」と意識するようになっていった。そしてその「いつか演じてもらいたい」という想いが、願いが、ヴィジョンが、どれだけ私の創作の日々を支えてくれていたことか!

たったひとりで創作を続け、作品を完成させ、磨き上げるという作業は、最高に幸せな時間であると同時に、果てしなく長い、とても孤独な作業でもある。その中で何度、「まるで神さま(みたいな存在)が私にエールを送ってくれてるみたいだ」と感じられるタイミングで、彼の「今度、こんな舞台をやります」とか「このドラマに出ます」とか「仙台で映画の撮影をしました」といったニュースに励まされてきたことか。勝手に縁を感じ、「いつか一緒に仕事をする人だ」と自分を勇気づけ続けてきたか……(『キンキーブーツ』出演のニュースを知ったときは、ローラという役に「先越された!」と思った。←2016年のことかぁ……)。


言葉になんかできないくらい、
私にとって「特別な人」。


……だめだ。やっぱり涙が出る。まだまだ泣ける。泣く。

でも泣きながらでも、この「悲しさ」全部を「愛」と「感謝」にかえて、動き出さなきゃ。本気で、夢を叶えなきゃ。

それだけが、私が出来る“唯一の”ことだと思うから……。



彼が消えてしまったことによって、私の夢の一部はもう、完全に、永遠に、「絶対に叶うことのないもの」に変化してしまったわけだけど、それでもなお思うこと・感じることは、「やっぱり彼こそが『寧旺』だよな」ということ。彼にこそ、『寧旺』を演じて、命を吹き込んでほしかった。その想いがますます募る。あの圧倒的な「美しさ」は、彼だけのもの――。

そしてさらに私は、「三浦春馬」という俳優とこの『寧旺』というキャラクターの不思議な類似性?のようなものに想いを馳せる。

どうして? どちらも同じ「30歳」で、この世界から消えてしまった……??
(ほかにも感じるところがあるのだけれど、ひとまず今日はこれだけ)

私は物語の続きを紡いで、いつか必ず『寧旺』をこちらの世界に連れ戻したいと思う。なんとしてでも、見つけ出したい。

そのときにきっと、なにか、少しでも、“彼”がそうしなければならなかったもの(彼をそうさせたもの?)の欠片に、触れられるのではないかと……勝手に祈る。祈らせてくれ。




18日の朝にひらめいて、綴ろうと思っていた文章、かならずアップします(→しました☟)。

もっともっと、もっともっともぉぉぉぉぉーーーっと本気になって、命全開で、愛と情熱を込めて、動き出したい。ま・じ・で、夢を叶えたい。叶える。

もう「間に合わなかった」なんて、思いたくない。味わいたくない。

全力で、全速力で、走れ!走れ!駆け抜けろ‼︎駆けつけろ!!!

わかんないことだらけだけど、それでも。

動かなきゃ、はじまらない。
動き続けなきゃ、辿り着かない。

「泣いてるひまなんてない」なんて言わない。
泣きながら、進む。



応援してくれる人、縁を繋いでくれる人、具体的なアドバイスをくれる人、
次に公開する長文noteに、ぜひ! コメントください。

私は人生で今はじめて、こんなにも、他人からの「助け」を求めてる。

愛と情熱は満タンだけど、わからないことばかりでここまで来た。結果、一歩も進んでいない。たぶん、結局、どこまでいっても、私は「待ってるだけ」だったのだと思う。思い知った。

今、せっかくこの同じ時代、同じ国、同じ地球という星にいて、こんなにも叶うことなく、消えてしまうことがあるなんて……。

もう、待ってるだけではいられない。今までも動いてきたつもりだったけど、もっと具体的に。もっと現実的に。叶えることに、本気になりたい。叶えた先で、がんばりたい。繋がりたい。応援されたい。愛したい。愛を放ちたい。受け取りたい。救いたいし、救われたい。見えない“何か”を、分かち合いたい。

わかってる。勢いで書いてること……。

でもそれこそが、私の武器。光。それを信じる。



自分から手を伸ばさなきゃ、助けてはもらえないんだってことを胸に留めながら……

私は「彼に出演して欲しかった(もちろん今でもして欲しい!!)『くちびるリビドー』という作品を世に出すことをあきらめないこと」で、春馬さんへの愛と感謝を、表現・行動していこうと思う。





“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆