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【2】だから私も“『自費出版』で「作家デビュー」できるのか”、考えてみたんだ。

※これは2018年6月13日(射手座の満月を超え、双子座の新月へとシャープに進む)に書いたものです。
この『note』へと辿り着くまでの流れ(ひとまず2018年を迎えてからの私の心の記録)を「コラム」として【全3回】でお届けしています。


*  *  *


自分のホームページを立ち上げたのは、2ヵ月前の4月16日。
きっかけは、とある『自費出版』の会社に原稿を送り(そう、ネットでポチッと簡単に)、2日後くらいに電話がかかってきて、いろいろと話を聞き、資料を郵送してもらうことにして(しかしもちろん金はない)、そのときに感じたあれこれを経たことによって生じた“熱”だった。
結果的に私は、叶えたときの自分のためにコツコツコツコツ準備してきていたこのホームページを、何のデビューも決まっていないまま正々堂々立ち上げて、こうして勝手に“作家宣言”する気になったわけで・・、それを思うと「やっぱり、どんな経験も未来の自分の糧になる、糧にする!」なのである。

前回の『作家になるには文芸誌の新人賞をとってデビューするしかないのか?』からの流れで、金もないのに調べていたのは『自費出版』の世界。
賞レースに敗れ続け、口では「ほかの可能性をもっと探れ!」とか言いながらも私は、すっかり弱っていたのだろう。
“本当に、どこにも、誰にも届かないのか――?”
何でもいいから誰かの反応が欲しかった。感想みたいなものに触れてみたかった。
だから・・原稿を読んでくれるという甘い言葉にふらふらと、吸い寄せられてしまっていた(応募する前に、トラブル事例などの情報もチェックしておいて、本当に良かったと思う。孤独な創作活動を続けている人間なら、「ぜひ本にしましょう!」なんて言われたら・・やっぱり、どうにかお金をかき集めて、出版したくもなるだろう。夢みる人間ほど、そういう「現実=社会のカラクリ」には疎かったりする・・)。

少し頭を冷やして、それでも好奇心には勝てなくて、ネットで簡単に応募できちゃうもんだから・・結局ポチッと押すことにしてみたのだ、送信ボタンを(しかも熱いメッセージなんか添えちゃって)。
そしたら、かかってくるんだもん、生電話(2日後くらいだったかな)。迅速な対応に、ドキドキと胸が高鳴る。

しかし。
第一声を耳にしたとき、「あ、違った・・」と瞬間的に思った。
“私の運命の相手・担当編集さんは、ここにはいなかったかぁ~・・”
勝手にガッカリしながら、そのクセのある(おそらく編集者ではないのだろう)営業マンの話を聞く。
長い長い長い、独特な口調。慣れた言い回し。自分から応募したくせに、「はやく電話切りたいな~」とか思いながら、「ちゃんと読んでくれたのか超怪しい・・」なんて疑心暗鬼になりながら、ぼんやりと耳を澄ます。相手の顔を想像する。なんだろう・・伝わっている気がしない。届いている気がしない。
それでも、褒めてくれるような言葉を並べられると、やっぱりどうしても心は喜んで・・。だけど相手が熱心に喋り続けるのは、私の作品に胸を打ち抜かれたからではなく、「“自費出版する本のレベルには”十分に届いている」と判断したからなのだろう? その感触が伝わってきちゃうから、話を聞けば聞くほど、私の内側は静まり返っていった。

「それって、誰にでも言ってるんですよね?」
クールさにユーモアをプラスして口にしたつもりだったけど、実際は半笑いな感じで・・私は聞いた。
「以前はそうだったかもしれませんが、今は会社の規定が厳しくなったので、どんな本でも作れるってわけじゃないんです。失礼ですが、きちんと審査させてもらって、一定のレベルに達している人にしか、こうして連絡したりしないんですよ」
嘘を言っているような感じはしなかった。だけど全然嬉しくなかった。
その「一定のレベル」に達している本は、売れるのだろうか? 売ってもらえるのだろうか?
自分が間違った場所で間違ったことを夢みているのだと、じわじわじわじわ沁みてくる。
「それに今回読ませていただいた作品は、とにかく“読後感がよかった”という点から、私からの『A推薦』ということで上に掛け合わさせていただきますので、通常料金よりいくらかは、お安く、できると思います」

そうなのだ。彼らの“お客さま”は、「読者」ではなく「作者」なのだ。本を作らせて、金を稼いでいるのだ。
そして私は、自分の「思い出づくり」のために自己満足で『本』を作りたいわけじゃない。
それに、いかにも安っぽい、なんの魔力も宿していないような、出されてはただ消えていくだけの、誰の心にも残らないような、そんな『本』には興味がないのだ(これは商業出版であっても同じこと)。
そんなのはただの紙の束。「本を出せば世界が変わりますよ」「自己資産です」なんて言葉、私には響かない。
だけど、間違っているのは私のほう。ここは『いわゆる出版社』ではなく、『自費出版の会社』なのだから・・。

それでも――仮に、好きなだけお金をかけて理想どおりの『本』が出来上がったとして。プロモーションが行き届いているような会社は、あるのだろうか?(ほぼ“無い”というのが今回の私の印象。だからこそ、最もブランド力がありそうな唯一の会社に、原稿を送ったのだが)。
そもそも『自費出版』なんてものは、お金持ちの誰かの記念品みたいな本を作るために(それは身内にのみ配られる)誕生したのではないか? だから無名の素人が書いた本を「売る」ノウハウなんて、無いに等しいんじゃないだろうか。「重版」なんて想定外。基本は「身内に配るだけ」で、流通させたい場合は「在庫が残らないように」がモットー。プロモーションは、そのためのもの。作家を売るためではなく、在庫を抱えないための、最低ラインのプロモーション。だから全国の本屋の新刊コーナーなどに並ぶはずもなく、契約で決められた数少ない店舗の、どこにあるかもわからないような棚に、一定期間のみ置かれるというのが基本なのだろう。店舗の数を増やしたければ、オプション料金追加で。本屋に置かれる期間を延ばしたければ、オプション料金追加で。エトセトラの無限ループだ。

そうして高い金額を注ぎ込んで本を作り上げ、同じように(それ以上に?)追加料金を支払って最大限のプロモーションをしてもらい――それでも『本』という形にすることさえできれば、どこかで何かが繋がって、奇跡を起こせる可能性だってゼロじゃない??? こうして永遠に何も残せぬまま、作家になることだけを夢みて一生を終えるくらいなら、こういう“賭け”みたいなものに大金を注ぎ込んだっていいじゃないか??? ・・と、いくら想いをめぐらせてみたところで、私に金がないことは自明の理なわけで。

それでも、簡単にあきらめてしまいたくはなかった。
ここに「運命の出会い」があるのなら、例えば・・クラウドファンディングで本を作るための資金集めにチャレンジできないか・・とか、私は本気で考えていた。考えていこうとしていた(・・ちなみに私が自分の想い描くような本を作り上げるには、少なくとも「300万」は必要になりそうで、それだけの金額をクラウドファンディングで集めるのは、なかなか現実的ではないようだ・・ということまでは理解したつもり)。

だけど。
「運命の出会い」は、そこにはなかった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


T様

先日は書類と資料、ありがとうございました。
だいたいのことはホームページと、前回のお電話でも伺っていたので理解していたつもりですが、実際の「印税のパーセンテージ」などは参考になりました。なかなか夢のない(感じられない)世界ですね。
私の想い描いているヴィジョンとは、やっぱり違うようだな~・・というのが正直な感想です。220万使っても、私が理想とする『本』は創れそうにありません。

本もCDも売れない時代です。
どちらもデータで事足りてしまう。
それなのになぜ、本もCDも消えないのか?
私はゴミのような(?)『本』を創るつもりはないのです。
内容はもちろん、「物質」として価値を感じられる、美しい「魔法」のかかった『本』が創りたいのです。
そうでなければ意味がないとすら思っています。
なので、自分の思うようなデザイン・装丁、文字デザイン、何文字×何行でページを組むかなどなどにまで、内なる美学を追求するにはかなりの「オプション料金」が必要となるでしょう。
そしてそれには、担当者さまの理解(心からの)が必要不可欠だと思うのです。もちろん「信頼関係」も。

私は今回、「出会い」を求めていました。
この出会いに、それらを感じられるのなら(私はとても直感的な人間なので)、例えば! クラウドファンディングに挑戦してみようか・・など(宣伝にもなるし)いろいろ考えてもいたのですが、なんというか・・「違いました」というのが、今の率直な気持ちです。


私の情熱は、伝わっていましたか?(応募原稿、そして応募の際に添付した文章、本当に、読んでいただけたのでしょうか?
まぁ、この程度にしか相手の心を揺さぶることができなかったというのが、私の今の実力なのでしょうね・・。それを思い知りました)

「本を出せれば、それでいい」というのでも「本を出すことに意味がある(自己資産として)」というのでもない、私は「その先」を見ているのです。
そういうことが伝わらなかったのが、残念・無念です(が、面白い経験でした!)。


というわけで、貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。
もう少し、こっちの世界で、もがいてみようと思います。

いつか本当に叶えたら(私はやりますよ!笑)、こっそり応援して下さいね☆

湖臣 かなた


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


郵送してもらった資料を受け取って、その後の電話には出ず、メールを送った。
向こうにしてみれば本当に、迷惑&意味不明な、「客」ですらない訪問者だったことだろう。あとはただ消えていくだけの・・彼にとっては痛くも痒くもない、記憶にすら残らない、通りすがりの・・人、ですらない何か。
だけど私にとっては、自分と全然異なるタイプであろう人が(とりあえず、全部読んでくれたものと仮定して)私の作品にどういう反応を示すのか、リアルな反応を知ることができて本当に貴重な体験をさせてもらったと思う。
そして、もしも私が大金を持っていたとしても、結果は同じだったような気がするから(なんていうのは、負け犬の遠吠えにしか聞こえない・・?)、とりあえずこの件は、宙へと放り投げた。


しっかりと味わい尽くしたら――次だ、次。
ここからまた、「今」できることは何だ――?
動き続けなきゃ、現実は変わらない。いつまで経っても変えられない。



そうして私は次の扉を見つけた。
文芸社×毎日新聞 『人生十人十色大賞』
むくむくと、「これは私のために用意された賞じゃないか!?」と思ったのだ。
“私の最新作に、テーマがぴったり!!!”
そう、相変わらずの夢追い人。
だけどこの「夢みる力」こそが、私の原動力。源。
これが「作家デビュー」に繋がるかは未知だけど(こちらも自費出版の会社だからね。だけど、ほかでもいろいろ「賞」を設けて作品募集しているところがあるけれど、「大賞」をとっても電子書籍ばっかりで、それを『本』にして出版してくれるところは少ないのだ。しかしこの『人生十人十色大賞』は書籍化&全国発売してくれるらしいし、印税は期待できないのかもしれないけれど、賞金も出る。毎日新聞とのコラボ企画だから、宣伝力も多少は期待できるかも?)、チャレンジしない理由がない!

なんだってやってやる。なんだってやってやれ!!
このタイミングで“見つけた”ということは、そして“気になる”ならば、「Just DO it!」だ。
失うものなんて、今の私には何もない。



というわけで、射手座の満月を超えた5月30日、無事に応募完了。
ここから新しい風が吹くのか、吹かないのか、
期待は全部手放して、あとは宇宙に委ねてしまって(それが大事らしい)、
変わらず「今」を、ますます「今」を、生きていこう。生き抜こう。




“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆