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085 自尊・他尊・全尊・無尊・空尊・自尊

ものさし(価値観)とは、自分自身である。
だれかが、なにかを決めても、ちがうと思えば違うのだ。
皆が違うといっても、自分がそうだ思えば、そうなのだ。
だから、周りに配慮するのである。
決して回りに合わすために配慮しているのではない。

自らの尊(とうと)さを知れば、他の尊さ(存在価値)を知ることになる。
自らと他の尊さを知れば、全ての尊さを知ることになる。
全てが尊く差がなくなれば、全ては尊く無いようになる。
全てが尊く無くなっても、それを感じている主体が残っている。
主体を意識すれば、空っぽということになる。
その空っぽの尊さが自らの尊さである。

空っぽ枠の扱いには三通りある。
空っぽのままにしておく。
空っぽの中にものごとをつめる。
空っぽの枠を小さくする。

空っぽのままにしておくのは、もっとも楽なようである。
それに、なかなか風流でもある。
しかし精神的にはつらいことである。
何事にも餓えていては、いずれ我が食い尽くされる。

空っぽの中にものごとつめてみる。
なんでも、入るようである。
しかし、注意が必要である。
入れるほどに枠を大きくしてしまい、どんどん窮乏していくものごとがある。

では、空っぽの枠を小さくしようしてみる。
どこかを小さくしても、ほかのどこかが拡がってしまう。
色々試してみたても、枠は小さくならない。
授かった枠はなかなか立派なものである。

頭が要求するものを与えれば、心と体が不平をいう。
心が要求するものを与えれば、頭と体が不平をいう。
体が要求するものを与えれば、頭と心が不平をいう。

平衡のとれたものを与えないと、枠は大きくなってしまう。


#小さなカタストロフィ
#microcatastrophe

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