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言葉の蛇口〜時間を気にしなくてもいい〜また来ていい場所

この間、6人の中学生が遊びに来た時のこと。
ちょうど、パン生地を作っていたから、簡単なピザを焼いてあげたの。
笑っちゃうぐらい、よく食べたわ。食べながら、クラブのことや定期テストのことを面白おかしく聞かせてくれた。何だか先生とうまくいっていないみたいで、愚痴もこぼしていたわ。こんな時は、もう少し話を聞いてあげた方がいいかなって思うのだけれど、17時15分には帰らせることにしているの。
17時になったら「そろそろ時間よ」っていう合図で片付けを始めるの。すると、子供たちも「そろそろ帰ろう」って話し始めて、17時15分には帰るわ。
「もう帰る時間よ」とか「早く帰りなさい」とは言わない。その代わり、「もう少し、残っていてもいいわよ」とも言わない。
子供たちの準備が整ったら、「またいらっしゃい」と言って送り出すの。
時にはね、「親と喧嘩をして帰りたくない」だとか、「もう少し話したい」なんて言われることもあるわ。泣かれたりするとね、つい「もう少し」って思うのだけれど、私は帰らせるの。辛いわよ、もちろん。でもね、次の日だって来られるんだから。大事なことは、「明日も来ていいのよ」「いつでもいらっしゃい」っていう思いを伝えておくことなのだと思うの。
だって、私はどう頑張ったって親ではないし、家族でもないのだから。
大人でもそう。子育て中のお母さんたちが集まる日も、11時30分から14時までって決めているの。時々、どうしても話したいっていう人もいるから13時15分に片付けを始めるの。それで大体14時には全員が帰るから、「またいらっしゃい」と言って送り出すの。
最初の頃はね、つい長くしてしまっていたんだけど色々あって、ある時から時間を決めたの。ずっとそうしているから、私の片付けを合図に、みんな帰り支度をしてくれるわ。もう少し話したいっていう人は、また別の日に来ればいいのよ。
長く話しても良いことはないわ。袋小路に入って、つい不平、不満を口にしてしまうから。
終わりの時間を決めておくとね、時間のことを言わなくてもいいから楽なの。
何よりね、時間のことを言わないから、「この家では時間がゆっくり流れている」って言ってくれるのよ。子供たちやお母さんたちが訪ねてきてくれるのは、私の言葉なんかが理由じゃないの。「またいらっしゃい」って言ってもらえる場所があるっていうことが理由なのだと思う。
何をするにも「早く早く」って急き立てられているでしょ。
何をするにも理由や目的が聞かれるでしょ。
だからじゃないかな、私なんかに話に来てくれるのは。
時間を気にしないっていうのは、終わりがないっていうことじゃないの。
終わりは決まっているけれど、その時間までは自由気ままに過ごせるっていうこと。これって、案外、大事なことよ。

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