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地球のひだ 大地に滴る雫のゆくえ

鳥になった日の話

幼い頃、車の助手席に乗るのが好きだった。目の前に映るカーナビは、自分が乗っている車を空から眺めていた。見えている風景とナビを重ね、脳内でもう1人の私は鳥になって空を飛んでいた。もう1人の私はあの森の向こうに見える景色も教えてくれた───

空からみた集落

地球の襞と手触り感

建築家を夢みて、大学で建築学を学んだ。地域に根付く建築をつくるため気候風土に目を向けるようになった。谷間にできた日本の集落を山上から見下ろすと屋根はひとつの地形のようにでこぼこしていた。山の水は川を流れ、屋根の水は樋を流れていた。

長野の集落

地球のひだ(凹凸)は日向と日陰をつくる。空気の流れを変え、雨を降らせ、谷間を流れ、海をつくった。建築もまた光を切り取り、空気や水の流れを変えていた。自然の脅威から身を守るシェルターは人々の数だけ地表に襞をつくっていた。凹凸は環境を変える。複雑な凹凸が多様な風景を生み出している。

地球の襞

地球は細部の細部に至るまで細かな凹凸を成している。それは私たちが普段触れているザラザラとした素材の凹凸感も拡大してみれば細かな襞だ。細部にもまた生命が宿っている。気候風土を読み解くこととは、解像度を変えた地球の手触り感のようなものを観察すると見えてくるような気がした。

露出した岩と細かく生える苔

大地に滴る雫

祖谷(徳島県)の山奥を走っていると路肩にびっしりと生えた苔をみた。岩を呑み込み土に変えていた。ふと思い返すと初めて祖谷を訪ねた日、山は濃霧の中にあった。地球の襞がこの地に水を集め、大地を潤していた。

岩肌を覆い尽くす苔

祖谷がなぜこんなにも潤っているのか。あの頃の鳥の眼を借りて地球の輪郭に触れてみる。

琵琶の滝
水の滴る岩

ⅰ. 地球に触れる

地球は少しザラザラしている。凹んでいる箇所は濡れている。海だ。世界一大きな生物、シロナガスクジラも微生物のように見えてくる。太陽の熱で、水溜まりの水は空気へと変わり、ふわふわと浮く。自転する地球の影響で空気が動き出す。

4枚のプレートが重なり、水面に4つの島、日本列島がひょっこり顔を出している。もっとも小さな島は四国と呼ばれ、かつて太平洋の真ん中に浮かんでいた。プレートにのって冒険してきた大地は、日本列島にぶつかり、今のカタチになった。

ⅱ. 山地に触れる

四国の陸地もまたザラザラしている。陸地のほぼ全域は四国山地と呼ばれ、西日本の高い山はここ四国に集中している。

地形と雲がつくる陰影

高知県の海岸線は湾曲している。南から吹く風を土佐湾がキャッチする。山に衝突し、空気は上に逃げる。膨張し水に姿を変えるとドッと大地に落下した。高知県は日本で最も降水量が多い都道府県である。

濃霧に包まれる四国山地

四国山地は濃霧に包まれる。四国山地を抜けると、水も風も無くなっていた。香川県は水不足に陥り、穀物で飢えを凌いだ。うどん県となった。

ⅲ. 溪谷に触れる

四国山地はいくつもの山々が連なる。中央に降り注いだ水は合流を繰り返し1本の大きな川になる。大洪水を巻き起こす日本三大暴れ川のひとつ吉野川(徳島県)である。

船からみた吉野川 増水で植物が生えず露出する岩

激流の川は地盤の岩石を削り渓谷をつくりあげた。日本列島と四国の衝突で出来た砂質片岩という岩で地層が剥き出しになったミルフィーユ状の岩。剥がれても剥がれても断崖絶壁。大歩危渓や祖谷渓など切り立った岩が露出している。

剥がれ落ちた岩

ⅳ. 樹木に触れる

祖谷は、三波川帯という地質帯にあり、砂質片岩と泥質片岩が多い。砂質片岩は非常に硬く、植林が出来なかったため、自生した日本固有の木々が生い茂る。大歩危は紅葉の名所としても有名になったのだ。

祖谷溪の紅葉

祖谷のかずら橋は日本唯一のかずら橋。木材では届かず、増水が多いため川辺にも橋をかけられない。そこで偶然自生していたシラクチカズラの柔らかく丈夫な素材が採用された。

シラクチカズラ

砂質片岩は砂、泥質片岩は泥。栄養分の高い土壌に大量の水分。手付かずの自然により、肥えた山が祖谷である。古く珍しい薬草が多く自生し、山の幸も非常に美味しい。

岩の隙間から生える樹木

ⅴ. コケに触れる

太平洋の水は四国の大地を湿らせた。襞の細部の細部まで染み込み苔を生やす。苔びっしり生えた苔は木や岩、そしてコンクリートの擁壁までも呑み込み大地に溶かしていく。

地形化する樹木

襞のゆらぎ

"合成と分解、(中略)相矛盾する逆反応が絶えず繰り返されることによって、秩序が維持され、更新されている状況"を生物学者の福岡伸一は動的平衡と呼んだ。生物は絶えず新陳代謝して平衡を保っている。

さらに細かい襞をなす苔

長期的に見れば、集落もまた生き物の如く、スクラップアンドビルドを繰り返し移ろいながら存在している。地震や土砂崩れ、津波、洪水もまたある種の移ろいのようなものであり、それは襞のゆらぎともいえる。

地殻変動による災害は、人命を奪う脅威であると同時に、もしかすると美しい自然現象なのかもしれない。

土砂崩れの痕跡と再生する自然林

祖谷の落合集落は、土砂崩れを繰り返し、なだらかになった傾斜地に形成された。傾斜地の農業は世界農業遺産に登録されて貴重な生態系を育んでいる。

土砂崩れが止まり生成された集落

雫のゆくえ

雫は大地に栄養を与え、流れゆく雫は養分を運ぶ。雫は地中に浸透し、集まり、川を辿って海に流れていく。徳島県を上空から見ると吉野川の洪水の痕跡が残り、徳島平野を形成している。

吉野川と徳島平野(引用:帝国書院)

我々は洪水を災害と呼ぶが、栄養価の高い土壌が流れ込み、徳島の大地で、高品質な阿波藍が育てられるようになり、藍染文化が広がった。日本は、大地と共に生きてきたことが改めてわかる。

阿波藍(引用:徳島県物産協会)

建築家内藤廣は東京大学最終講義で建築の仕事を①技術の翻訳、②場所の翻訳、③時間の翻訳と整理した。戦後の大量生産では技術の翻訳に力を入れられてきたが、場所や時間は放棄されていた。これは建築業界だけに限らない。

平安時代から受け継がれる祖谷のかずら橋

土地には、記憶があり特性がある。祖谷の雫をおうことで、そんな「場所」と「時間」の存在の大切さに改めて気づくことができた気がした。祖谷は、時空の中にある自然体のゆらぎを見せてくれた。

苔生える祖谷のかずら橋


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