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デザイン業におけるアパレルコンプレックス

今回もTwitterに書こうとしたことをふくらませたパターンnote。

今僕はデザインを中心としたお仕事をしています。
若い頃、それこそデザイナーを目指していた頃は、クールなものが好きでした。俗に言うイケてる、カッコいい、おしゃれなもの。イメージでいうとアパレル周りのデザインなどですね。なので学生の頃なんかはそういったものを作っていました。あくまでつもりです。
ちなみに今でも好きです。

夢が叶ってデザインが仕事となると、そんな仕事は一部にしかない事に気づきました。少なくとも僕の仕事の周辺にはほとんどなかった。それよりも案件ごとに浮かんでくる誰かを満足させないといけない。その相手は、使う人でありクライアントであり。まあ当たり前ですよね。それがアパレルだとイメージを重視するからああいった表現になるだけのことで。20代で意識が徐々に変化していきました。徐々にそういった表現ばかり考えるのをやめた。その変化はとても重要だったみたいで、僕の今の仕事の考えの核になっています。けれど時々ザワザワします。ザワザワ。

何かと言うと、Instagramなんかで見知らぬイケてる人を見たとき。やっぱりアパレル周りが多いのかな。ちなみに優秀なデザイナーっていまいちダサい人が多いと思う(ファッションデザイナーは別でグラフィックとかwebとかの人)。イケてる人に、自分が作ったものを評価されたいとよく思います。何の接点もないのに。そんな仕事ほとんどしてないのに。その感情がちょこちょこ芽生えるのをさっき改めて気づいたのでした。
このアパレルコンプレックスみたいなものがずっと僕につきまとってくるのです。若い頃から比較的アパレルの人に触れ合う事が多かったせいだと思う。
見づらい・使いづらいものは、今ではあまり作りたくないのですが、それは今は大事なことをしっかりと伝える仕事を多くしてるので、自動で頭を切り替えてそっちを見ないふりをしてるのかもしれない。そもそも使いやすいとイケてるは共存できることもあるんだろう。

このコンプレックスみたいなのってアパレルだけに限らないかもしれません。子どもにも受け入れられたい。ギャルにもイケてるって思われたい。デザインのこと重要視してないおじさんにも「良いですね」って言わせたい。

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