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<番外編>映画「21世紀の女の子」を見ました。

この作品についてのレビューをたくさん読んでいたら、突然見なきゃいけないという焦燥感に駆られてチケット予約して夜の新宿の街に出ました。
そしたらたまたま大好きな歌手大森靖子の登壇日でテンション上がって。

大森靖子めちゃめちゃ可愛かったし山戸監督もチラ見できたし夢のような時間を過ごしました。

山戸監督の存在はずっと前から知っていて、その才能に打ちのめされたのは「溺れるナイフ」でした。彼女の「女の子のために」作られた世界観が大好きで彼女の作品は公開すると見るようにしています。

今回の「21世紀の女の子」は「女の子のために」映画を作る彼女がその姿勢を私たちに、全世界にぶつけたものだと思います。
15名の女性監督の8分間の作品による短編集で、テーマは「ジェンダーあるいはセクシュアリティのゆらぎを感じた瞬間であること」。
題名どおり、21世紀の女の子のために作られた、女の子による映画です。

さて、そんな背景のもと見に行った「21世紀の女の子」。正直最初は「繊細すぎてつまんね〜な〜」って感じでした。ゆらぎの瞬間だし、「女の子」だし、どうしても柔らかくて儚い演出や空気感になってしまう。けれどそれは「描かれた」女の子でしかなくて、もっと言えば「理想的な」女の子でしかないでしょう?

女の子のための映画なら、もっと女の子の全てを見せてよ。上っ面だけじゃなくて、もっと性のゆらぎを見せてよ。少女って決めつけるのはいつだって他人なのよ。

と思っていたら、山中遥子監督の「回転てん子とどりーむ母ちゃん」にやられました。入りから気持ち悪くてクレイジーでなんだこれ〜と思ったんですけど、やっぱり「あみこ」の監督ですね、バチバチに面白かった。8分間でおさめようとすると、どうしても映画の中の人間は説明するようになるんだけど、これは違う。解釈は全て私たちにお任せ。考える余地をぜーんぶ作ってくれちゃう。最高だった。
回転卓に座る母ちゃん達は母ちゃんなんだけど女の子の心を忘れてなくて、性の話を幼児のてん子におおっぴらに話してくれる。やっぱり男に「愛されたい」らしい。男は宇宙だとか言って。楽しいね。女の子はこうでなくちゃね。てん子は意味を理解しているかわからないけど、たくさんの母ちゃんに囲まれて、きっと素晴らしい女の子になるだろう。でも忘れてはいけないよ、母ちゃんも女の子でてん子も母ちゃんになるってこと。
相変わらずわけわかんない演出だらけだけどそれがいい。8分間が濃密でした。

あと「I wanna be your cat」もよかった。同じ劇団に所属する男女2人の痴話劇なんだけど飽きなかった。人も変わらない、場所も変わらない、時も変わらない、比較的ローコストな(笑)映画だけれど、2人の掛け合いに男女の絶妙な違いが集約されていて、「なんであなたはこうしてくれないの?」「そんなの言われなきゃわかんないよ」ていうすれ違いがずっとぐるぐるしてる。2人の関係はうまくいかないみたいに見えるけど、やっぱり彼女は他でもない彼だけに愛されたい。女の子のわかりにくい部分、醜い部分、面倒臭い部分全部愛してあげたいと思えてよかったです。

山戸監督は言うまでもなくすごかった。彼女が思い描く女の子のための女の子による映画、おそらく女の子にとって救済措置になるような映画は幻想で、実現し得ないものかもしれない。と私は思う。けれど幻想を描くことに映画の意味がある。彼女の作品は彼女の頭の中そのもので、これを理解できない人々をめちゃくちゃに疎外するものでした。けどそれがマジでサイコー。映画はそれでいいんだ。


エンドロールのアニメーションで、映画を観る女の子が泣いているのを見て、初めて自分が泣いているのに気づきました。15名の女性監督が描く女の子の中にはきっとあなたがいるはずです。これはきっとあなたとわたしのための映画です。そしてわたしは21世紀の女の子として、考え続けなければならない。

監督のように自分の哲学を映像にすることはできないけど、拙い言葉で文章にすることはできる。山戸監督の哲学を語るならやはりそれはフェミニズムと切り離すことはできないけれど、フェミニズムなんて言葉で括ってしまうのは間違っている、とも思う。「21世紀の女の子」に出てくる女の子は、女でもあって、女性でもあって、少女でもあって、そして間違いなく女の子だった。きっと全ての女性の心の中にはずっと女の子が眠っているんだね。

わたしはフェミニストじゃないし、男なしでは生きられない女の性を受け止めて生きているつもりだ。別に男の地位を奪ってまで女を主張したい訳ではない。ただ、男性の「あなた」と一緒に話して一緒に考え抜きたいだけ。他でもなく「わたし」というひとつの性を見て欲しい。女の子を愛するということはおそらく、ひとりの女の子のひとつの性を見つめること。女は束になってギャンギャン喚くかもしれないけど、その中にはわたしだけを選んでほしい、わたしという性だけを見つめてほしいっていう願いがあるんだよ。「女」って一括りにしないでね。


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