2年ぶりの製造越しに見えた感動

Sierらしく説明と調整と事務手続きに首を回し続けて3年が経とうとしていたところ、このたび、実に2年ぶりに製造をやることになった。


社会人1年目、200step弱のSQLを書いた。しかし類似のソースがあったためロジックなど考える必要もなく、ただ、ただ項目名を入れ替えてゆくだけのおばかな製造であった。

まともな製造も一瞬かじった事がある、しかしこれは入社直後の半年間の研修でのこと。しかも言語はCOBOLだ。Step数は覚えていない。自分でアルゴリズムを考えて、少しずつ難しいシステムを組み立てる研修だった。あのとき、自分は少なくとも「適正ゼロ」というわけではないことに安堵した覚えがある。

いつの時代も勝ち気で、女の子の中では出る杭ってほうの人間だから___高校時代教諭に「お前は唯我独尊だな」と言われたことがあるくらい___そこそこ頑張った研修だった。
はじめっから「出来ないかも」という顔をしている同性の同期を横目に、奮闘していた記憶がある。ひそかに「誰が一番にできるだろう」という競争心を滾らせている男性陣がいることに、なんとなく気付いていた。だから、そんな対比を目の当たりにして「誰よりも早く終わらせてやりたい」と思って燃えた。そんな研修だった。

脱線した。そういうわけで、真剣に製造に向き合ったこともあるにはあるのだが、如何せんもう2年強は前の話だ。

今作っているのは、IFに絡む部分の処理だ。まあ、適当な変換処理。
VBAで、うんうん言いながら作っている。PGあがりでSEになった中途の方が優しく教えてくれて、本当にありがたい。恵まれている。この方はもう少ししたらいなくなってしまう筈なので、居る内にPG的スキルをどんどん教えてもらわなけりゃならない。

この、うんうん言う作業がやりたくてSEになったところもあるのだけど、自分の適性と、今までの経歴的にやっぱり作業は難航している。
しかし、自分が満ちていく感覚を覚えている。

説明と調整と事務手続きに首を回し続けた日々は、技術者としては空虚だったから。事務員じゃなくてSEになったのに、テクニカルな知識も経歴も一向につめなくて焦っていた。空虚なコンサルタントになんかなりたくないのに、このままじゃどっちかというと業務知識のほうが豊富になってしまう。金融機関の人間でもないのに。

休職したら案件が変わって、この仕事にありつけたという経緯がある。
休職してよかったなと思った。わかりやすい、難しい議事録を作り続けたりする日々はもう散々だった。SEじゃなきゃあ書けない議事録もあるだろうけれど、私はそんな風にだけSEとしてやっていくのは嫌だなと思っていた。

PGやSEに一番必要なのは忍耐強さだと思う。特にPGには忍耐強さと、それを裏支えする好奇心が必要だと信じている。ちなみに、「忍耐強くないんじゃあ論理学者には向いてませんよ」と教授に言われたことがある。あっはっは。

忍耐強さというと苦しさだけが印象に残るが、それは事実への誠実さのことだ。
ズルをしないってこと。確かに論理学ではズルは丹念にズルである証明をする。される。

これはこのまま顧客への誠実さにもつながると思う。だから、PGもSEも根幹では同じ素養が必要だと感じる。誠実さ。論理に対する誠実さ。どうやったら分かってもらえるか、どうやったら分かるか、その誠実さ。いつもいつも、誠実さを問われている。

今後もSEをやるなら製造の経験も充分に積みなさい、とうちの本部長が私によく言う。
頭ではわかっているんだけど、という状況が続いていたが、いま、こうやってうんうん言いながら製造することでその意味が充分に分かる。

言語のルールに対して誠実でなければ物は作れない。嘘をついたらコンパイルだってできない。言語のルールに身を委ねて逆らってはいけない。ただ、圧倒的なスキルのある人に手伝ってもらうと、自分がやっていることがよく分ってくる。ただ教えてもらっただけのことじゃなく、他のアイデアも浮かんでくる。多分それは、その人の圧倒的な誠実さの経験によってもたらされているんだと思う。

世には膨大な数のシステムがあり、しかもそれらは進化し続けている。進化し続けているという事は、好奇心もとい、技術への誠実さによって満たされ続けているということだ。驚くべきことに。そしてそれは、テクニカルなことだけでできていることではないのだ。
テクニカルなことへの理解は、それを下支えする業務知識やコミュニケーションあってのことだ。だから、PGもSEも等しくすばらしいとうんうん唸ってしまう。

わたしは最先端の技術者ではないし、まだまだ0.3人前ってところだ。それでも、世のシステムの一部を誠実さで満たしている人のひとりだと思うとすごく誇らしく思える。
ほら、SEになってよかったなあ。

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