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大臺神楽闇夜 序章 奴隷の王 加筆修正版

          大臺序乃一

         大臺神楽闇夜
           序章

          奴隷の王

 数百年続いた戦乱の世が終わりを告げる。長きに渡り繰り広げられた此の戦を後の人は春秋戦国時代と呼んだ。此の戦での勝者は秦王政である。
 彼の勝利により久方振りの平和な世が訪れ皆は喜んだ。長きに渡る戦は国力を疲弊させ多くの民を苦しめていたからだ。
 秦王政は自らを王を超越した存在である皇帝とし、その始まりを示す始皇帝となった。が、其れは驕りに過ぎない。何故なら秦王政を始皇帝と呼んだのは元々の秦国の民だけだったからだ。理由は秦王政は王に過ぎなかったからである。
 古の昔…。大きな人がいた。
 大きな人は人であり人で無く。其の存在は食糧に過ぎなかった。人は大きな人を家畜として養殖した。時に人は大きな人を蹂躙し子を産ませたりもした。
 長い年月の中で大きな人はやがて大きな人では無くなった。大きな人と人が交わった所為である。其れでも食糧である事に変わり無く。やがて反乱が起こった。
 この反乱は各地に飛び火しやがて人は家畜に全てを奪われ支配された。家畜が人となり人が奴隷になったのである。やがて人は国を作り支配者となった。此れが倭族つまり倭人である。
 其れから数千年…。倭族は奴隷を解放し支配する事を辞めた。統治すれど支配せずの始まりである。解放された人は初めての王朝を建国した。其れが夏王朝である。以降倭族は神となり人は倭族に税を納め国を支配する事を許される様になった。勿論其の王朝に異を唱える者たちもいたが倭族に朝貢する事で其の存在を許された。つまり倭族は税を納めるか、朝貢さへしていれば、其の場所を誰が治めようと一切関与しなかったのだ。つまり、倭族が統治している世界の中で秦王政が統治した場所は僅か一部であり、何を背伸びしようと矢張り彼は王なのである。
 だから秦王政が始皇帝を名乗った所で、倭族の統治者である帥升は其れを咎める事はしなかった。何故なら帥升を超える称号が存在しないからである。つまり神の中の神、大神なのである。そして如何な国の民であろうと倭族の教えである儒教を重んじ皆は其れを聖典としていた。
 その考えは根深く簡単には排除出来ない。排除するなら倭族を滅ぼさなければならないからだ。だが、其れは簡単な事では無い。何故なら倭族は強かったからである。支配せずとも強力な軍隊を有し、日々訓練に明け暮れていた。しかも強靭な体は鋼の様に硬く、戦闘能力も桁外れと言えたのだ。しかも倭族に謀反を起こしたとなれば北の遊牧民が倭族と結託して攻めてくるは明らかである。そうなれば流石に最強の軍隊と言われる秦軍であってもひとたまりもない。だが、倭族を滅亡させぬ限り奴隷は奴隷なのである。
 秦王政は馬車に揺られながら溜息を吐くと右横の従者に視線をむけた。溜息の理由は秦王政が倭族が住む西南市に向かっているからだ。此の西南市は倭人が住む神の領域である。と、言っても倭族以外の民も数多く此処で生活している。商売をするにはもってこいの場所だからだ。其れに民は倭族を神だとは言っているが倭族自体は自分達が神であるとは思ってはいない。だから、民とも普通に接し楽しく会話を楽しんだりしている。
 だが、倭族は倭族である、産まれたばかりの子であっても、ボンクラであっても神なのである。つまり国を統一した秦王政の方が下なのだ。
 秦王政にとっては其れも気に入らない内の一つである。何故自分が下なのか ? 考えただけで胸糞が悪くなるのだ。
 だが、一番の問題は税である。七十万を超える倭族を養うだけの税がどれ程の重さか倭人達は考えた事がないのかも知れないが、此の税を納めるのはかなりの難易度であるといえる。しかも倭族は誰も働かず日々訓練に明け暮れ、女は毎日楽しくナンジャラホイ…。その陰でどれ程の民が餓死した事か…。だが、大多数の民は其れが倭族の所為だとは思っていない。支配者である王の責任だと思っているのだ。
 だが、其れは間違いである…。
 贅沢しようにも贅沢する物が無いのだ。だが、王としての威厳は必要である。だから羽振りの良い振りをする…。ただそれだけなのだ。其の実、内情は火の車である。
 だからと言って放置する事は出来ない。経済を発展させねば国は疲弊しいづれ滅亡を辿る。周が滅びた理由も税の支払いに疲れたのが大きな原因である。
 要するに馬鹿馬鹿しくなったのだ。国の為に民の為に…。初めの志しは大きく、後の絶望は計り知れない。
 人は何の為に生きるのか ? 
 神を養う為なのであろうか ? 
 神に多くの税を払い統治する事にどの様な意味があるのか…。此の税を少し減らすだけでどれだけの民が幸せになれるのか…。
 其れでも夏や殷の時代は倭族の数も少なく何とかなっていたのかも知れない。だが、今は違う。
 七十万である…。
 此の桁外れの数は更に増え何は百万を超えるだろう。
 そうなると、如何に経済を発展させようと、他国を侵略し続けようと国は滅び人は又奴隷に戻る。
 秦王政はもう一度大きな溜息をつき従者を見やる。従者は馬車の速さに合わせ乍ら馬を歩かせている。凛とした男で秦王政は彼の事を気に入っていた。だが、彼は間者である。名を呂范(ろはん)としているが秦国の者ではない。其れは秦王政も承知の上であるが、呂范は其れを知らない。
 勿論秦王政も頭から知っていたわけでは無い。呂范が間者だと知ったのは二年ほど前の事で、此れは秦王政が他国を制してからの事だ。統一後周から搾取した文献からとても興味深い内容を見つけたのだ。朝鮮から南に下った場所に島があり周はその場所を属国にしていたと言うのだ。
 勿論この内容は数百年も昔の内容である為信憑性には欠ける物である。其れに残された文献は余りにも古く読み解く事が出来ない箇所も多く存在した為、何とも言えないと言うのが本当の所であった。此れを帥升に問うても見るが、曖昧な返答しか返ってこなかった。
 其れに朝鮮を南下するとなると必然的に船が必要となる。だが、これ迄船を必要としなかった秦国にとって此れは大きな課題となった。其処で秦王政は燕と斎の民であった者の中から造船、航海の技術を持った者達を集めた。何とも真実性に欠ける内容だが、文献に書かれている事がもしも真実であったなら、此れは千載一遇の好機であると考えたからだ。
 周の属国であった…。と、言う事は其の古の国は周に朝貢していたと言う事だ。その後何があったのかは分からないが、周との関係は途絶え知らぬ間に闇に消えて行った。
 滅亡したのか ? 其れとも周国から独立を勝ち取ったのか ? 
 否、後者であるなら倭族に税、もしくは朝貢しているはず。で、あれば帥升も曖昧な返答はしないはずである。
 なら、滅亡したのか…。仮にそうであれば新たな地を開拓する足掛かりになる。其れとも倭族の存在を知らないのか ? 倭族の存在を知らず独身の文化、文明を発展させているのか ?
 何にしても其の場所に行けば明らかとなる。秦王政は法等の整備を行いながら古の地に赴く計画をちゃくちゃくと進めて行った。勿論、此れには莫大な予算と労働者が必要となったが、戦争を仕掛けに行くわけでは無いので、大量の船を作る必要も必要以上に頑丈な船を作る必要もなかった。又、労働者も一から船を作る手間を省く為に古い船を改修する程度に留めていた。
 さて、古の島に行く準備が整っていく中、燕の民であった男が秦王政に文献を献上してきた。男は秦王政が古の国に興味を持っているという事を聞き家にあった古い文献を持ち出してきたのだ。勿論秦王政の為などでは無い。自分が褒美を貰いたいそれだけの事である。
 謁見が許された男は秦王政の前で膝まずき文献を渡した。秦王政は”此れは何か ?” と問うと。男は迂駕耶(ウガヤ)について書かれている物だと言った。
「迂駕耶? 其れは何か ?」
 秦王政が問うた。
「古の国であります。」
「古の…。成る程。其の島はウガヤと言うか。」
「はい。」
「其れで何とかいてある ?」
 昔の文字で書かれていたので秦王政には読めなかった。
「はい。文献には初めて迂駕耶に着いた周史の事が書いて有ります。」
 男がそう言うと秦王政は体を乗り出し”其れで何と書いてある。”と、文献を男に手渡した。男は文献を受け取ると其を開いた。カタカタと竹がこすれる音が微かに聞こえる。竹簡に書かれている文献は非常に嵩張るもので、男は無駄に体を動かし文献を広げた。其から一度咳払いをし胸をはって見せた。
「では読み上げます。ーその島は静かで目立った物は無く、人工的に作られた物が所々に散乱しているが其れは乏しく粗末である。島を暫し歩くと体に布を巻いた男を見つけた。靴は履いておらず巻いている布も又汚れていて異臭が漂っていた。男は暫く何かを拾い集めた後、何処かに向かって歩き始めた。我々は乞食だと思っていたが此の島で初めて見つけた人である。男が何処に行くのか後をつける事にした。
 男の後を追っていくと異臭が強くなっていく気がした。其れは先に進むにつれ酷く鼻を指すようになる。我々は布やマントで鼻を押さえ付いて行くが男は気にする事なく歩いていた。
 やがて其の異臭は我々の想像を超える物となり…。」
 と、男は怪訝な表情を浮かべ文献を読むのを辞めると勝手に黙読に変えた。
「其で終わりか ?」
 訝しい顔で秦王政が問う。
「いえ。」
 黙読を辞め男は秦王政を見やった。
「なら何故辞める。」
「恐れながら。」
「良い。答えよ。」
「これ以上の内容はあまりにも酷く。読むに値せぬかと。」
 そう言うと男は頭を垂れた。
「良い。頭を上げ続きを読まれよ。」
 秦王政がそう言うと男は渋々頭を上げ文献を見やり読み始めた。
「目が痛みだしまともに開けている事が困難になった。其でも男は平気な様子で歩き続けた。其から間も無くの事である。我々は其なりの大きさを持つ集落に辿り着いた。
 集落の周りには壁や城壁といった物はない。其の代わりに糞尿を周りに敷き詰め壁のようなものを形成させていた。異常なまでの臭気の原因はこれだったのだ。我々は暫く遠目で観察する事にした。
 乞食だと思っていた男は乞食では無く奴隷であった。乞食のような男女が独特な衣装を身に纏った男に使われている所を目撃したからだ。其からもうしばらく観察していると、彼らの文明、文化が如何に劣っているのかが分かった。
 集落を形成している大部分は奴隷であり、其を従えている民族は見る限り少数である。しかし、武器と呼べる物を彼らは有しておらず鈍器のような物で彼らを服従させている。彼らの中には厳格な身分制度があるようだ。しかし、見た所其れは単純に強さである様に思えた。此の身分制度は奴隷の中にも存在していた。取り分け身分が低いのは女性である。其の次に貧弱な男性といった所である。
 女性に至っては奴隷でないにも関わらず扱いは奴隷と同様な扱いを受けている様に見えた。我々は余りの文明の低さに落胆した。そして、この地を征服するか友好を結ぶかに思案した。しかし、我々が目にしたのは足った一つの集落を発見したに過ぎず。更なる調査が必要であるのも確かである。」
 此処まで読み男は文献を閉じた。
「其で全てか ?」
「はい。」
「成る程。迂駕耶の民か。文明は兎に角其処に人がいると言う事は確かな様だな。」
「はい。しかし始皇帝…。」
「どうした。続けよ。」
「恐れながら。此の迂駕耶と言う国は其の…。」
 と、男は言葉を飲み込む。下手に言葉を挟めば首が飛ぶと言う事を男は知っている。だから、滅多な事は言えない。
「構わぬ。其方の意見は重要である。首跳ねる事はせぬ。此処で其を誓おう。」
「はい。其では。」
 と、男は秦王政を見やり覚悟を決める。何故なら秦王政の言葉ほど当てにならぬ物はないからだ。
「其の迂駕耶と言う国ですが、大量の予算を投じてまで行かなければならぬ場所でありましょうか。私にはなんの得もない場所に思えます。」
  そう言い終わると男は強く目を瞑った。
「そうか…。なら逆に其方に問おう。其の文献はいつの時代のものか ?」
「いつ ? でありますか。恐らく数百年前のものと思われます。」
 男は強く目を閉じたまま答えた。
「そうであろう。其方は知らぬかも知れぬが。他の周国の文献には其の国から朝責を行わせていたとある。もしも、其れが事実であるのなら朝責には必ずそれ以上の見返りを送るが常。と、なれば其の国は我国の文明、文化を吸収していると言う事になる。其れから数百年。文明、文化は進化はすれど、退化する事などはない。そうなると既に其の国は侮れぬ大国になっているやも知れぬ。」
 秦王政がそう言い終わると男はそのまま頭を垂れた。秦王政は男を見やったまま”其方が持参した文献は非常に価値有る物である。褒美を貰われよ”と、秦王政が男に言うと、男は非常に良い顔をしてもう一度頭を垂れた。秦王政は男の姿を見やり褒美を与え城を去らせた。其からすぐに秦王政は計画の最終調整の為項雲大将軍を城に呼ぶ様に伝えた。
「所で丞相諸君に聞くが、迂駕耶をどう思う ?」
 竹簡を広げ読めぬ字をジッと見遣りながら秦王政が問うた。丞相達はその問いに対し順番に自分たちが考える意見を述べた。
「文献の内容は数百年前の代物。今は一つの国家となっているやも知れませぬ。」
「確かに。もしそうであるなら利用する価値はあるかと…。」
「しかし、その国がどうであるかは想像でしかあらず。何方にせよ内部調査は必然でありましょう。」
「調査であるなら船の数も差して必要とせず。小振りな船が好ましく人員も少数で済みましょう。」
「ですな、その後の事は調査の結果次第。」
「結果次第で倭族と共に…。」
 秦王政は口を挟まずジッと彼等の意見を聞きやった。何はともあれ先ずは調査である。
「良い…。なら、我は我のすべき事をしよう。もしも、其の国が国として存在していたのなら…。世界は変わるかも知れぬ。」
と、言って秦王政は竹簡を閉じた。
「否、変えねばなりませぬ。其れが我等が務め。」
 最後に宰相である李斯が言った。

 其から半年も経たぬうちに準備は整った。船の数は三十隻。船員の総人数は三〇〇人程である。此れはあくまでも調査であり侵略や征服といった行いでは無い。だから過剰な人員は必要ではなかった。秦王政としては船は小さく目立た無い物が好ましかったが、小舟で魚釣りをしに行く訳ではないし、目の前の陸地に行く訳では無い。だから、船を小さくと言っても限界があった。
 秦王政は船団の総司令を務める項雲に、あくまでも内部調査で有る事を強く言い聞かせ、迂駕耶の民に気付かれず行動する様に念を押された。項雲も其れは承知しているので素直に従った。
 一行は周国の時の様に朝鮮から南下していくのではなく、芳洲から船を出し南下して行く航路を選択した。此れは秦国が此の当時は未だ朝鮮を属国にしていなかった為である。
 無事項雲が出航して行くと、秦王政は取り敢えずはひと段落と天下巡遊を再開した。此の天下巡遊に際しその都度西南市に立ち寄り、迂駕耶について帥升と話を交わした。帥升はそう言った事にあまり興味を示さないが秦王政の話は真剣に聞いている様だった。元々気が荒く残忍であるとされる倭族だが、帥升と話をしているとそう言った風には見えなかった。神となり残忍さが無くなったのか ? 何千年もの間優雅に暮らし続けてきた所為で腑抜けてしまったのか…。だからと言って驕慢(きょうまん)になれば何が起こるか分からない。だから秦王政は常に腰を低く保ち倭人と接していた。
 其から半年ほどが過ぎた項、項雲が戻ってきた。帰ってきた船は驚く事に一隻だけだであった。此れには秦王政も驚いたが項雲が如何に海が危険なものかを伝えると秦王政は非常に悲しい表情を浮かべた。が、迂駕耶の民から攻撃を受けたのではない事を知って安堵の表情を浮かべた。そして秦王政は項雲から報告を受け取るため別室に彼を招いた。
 秦王政と項雲は椅子に腰を下ろし、秦王政はテーブルに茶と菓子を運ばせた。二人は茶を嗜み一口菓子を食べると先ずは秦王政が項雲を称えた。項雲は頭を垂れると迂駕耶について話し始めた。
 先ず初めに項雲が言ったのは、迂駕耶は国の名前では無く其の土地の名前だと言う事だ。其の場所は陸続きでは無く海に囲まれている事、そして迂駕耶、其処から海を渡った場所に出雲と言う場所があると言った。其れはともに大きく広大な場所で有るとも伝えた。そして其の二つの場所を統治する国家が既に存在する事…。と、伝える事は非常に多かった。
「既に国が存在していたか。」
 茶を啜り秦王政が言った。
「はい。国の名前は八重大国(やえおおこく)。若倭根子日子毘々(わかやまとねこひこおおびび)という者が其の国の王で御座います。」
「ふむ…。八重大国…。王の名は長い。舌を噛まずに言えた其方を褒め称えたいほどだ。此の長さに意味は有るのか ?」
「無いかと思います。」
「そうか…。」
 と、秦王政は菓子を摘んだ。
「其れで其の八重大国なのですが、此れは他の小国を一つに纏めた呼称であります。」
「他の小国 ?」
「はい…。迂駕耶には八つの小国があり、出雲には七つの小国があります。」
「ほぉ…。其れは面白い。」
 と、秦王政は茶を啜る。
「正に此の国と同じ。否、似ていると言うべきですか…。」
「つまり、倭族の下に我等がいる様な物か…。」
「そう言う事です。ですが、此の国の統率は素晴らしく八重王の元皆が一つとなっております。」 
「一つに…。」
「はい。」
「一つに…。か…。」
「ただ…。此の国は非常に貧しい国でもあります。食事は一日二食であり、其の内容も米、汁、おかずニ品内一品は野菜であります。着ている衣は装飾も柄も無い真っ白な衣でした。」
「貧しい ? 全ての民が其れであるなら我が国よりも豊かではないか。」
「否…。八重王も又見窄らしい衣を着やり、食事も貧しい物であります。」
「なんと…。つまり、文献に書いてあった部族が一つに纏まっただけで、その実内容は何も変わっていなかったと…。」
「違います。貧しい国では有ります。ですが豊かなのです。」
「意味が分からぬ。どう言う事だ ?」
「皆が楽しく、平和に暮らしておりました。大飢饉に襲われても民は餓死せず、王は民の為に尽くす国なのです。つまり、国力が豊富なのです。」
「国力が豊富で何故貧しい生活をしている ?」
「全ては侵略に備えての事…。」
「侵略 ? 真逆…。」
「否、本当の事です。」
「では、八重国は数百年も昔の事を忘れず今に備えていたと。」
「はい。」
「人は自分が犯した罪は忘れても犯された方は死んでも忘れぬと言う。まさに其だな。」
「はい。其よりも驚く事に彼等は此の国に間者を潜り込ませているのです。」
「何と!」
 項雲の言葉に秦王政は非常に驚いた。
「間者を…。我等は既にその国知らず、されど八重国は我等を警戒し間者まで送り込んでいたか。我等は彼等を知らず。されど彼等は常に我等の動向を把握しておったとは…。いやはや、驚かされる。」
 と、此の事実に秦王政は深く落胆した。属国であった古の国は幾ら文明、文化が発達しても自分達には到底追いつけ無いと思っていたからだ。其がどうだろうか、蓋を開けて見れば驚く程に進化しているではないか。
「はい。我等は直ぐにでも其の間者を見つけ出し事を起こさねばなりません。」
「うむ。彼等は既に此の国が統一された事を知っておるのだろうからな。」
「はい。知っております。」
「なら、至急彼等の捜索をさせねばならぬな。」
 そう言うと秦王政は残りの茶をグイッと飲み干した。其れからも項雲と秦王政は八重国について色々と話し合い其れは次の朝まで続いた。
  其から直ぐに項雲は多くの人員を使い間者の行方を探った。勿論これは秘密裏に行われ部外者に口外する事をきつく禁じた。その甲斐もあり間者は直ぐに見つけることが出来た。今まで彼等の存在に気づかなかったのは、単純に考えもしない事だったからだ。要するに知れば見つける事は容易い。結果半年も掛からぬうちに、間者が集まり情報交換をする場所まで特定していた。しかし秦王政は彼等を捕まえるでも、殺すでも無くそのまま放置していた。其は彼等が自分の駒として使えると判断していたからだ。その一人が此の呂氾である。考えても見ればそもそも此の呂范の出自には不明な点が非常に多い。其れは戦時中であったが為致し方がないと思っていたが、此の考えが甘かったのだ。もっと周りに気を張っていれば無駄な予算を使う事も無駄に時間を使い航海などする必要も無かったのだ。否、其は其で別に構わない。その時間があったればこそ秦王政は何度も帥升の元を訪れ古の国について話すことが出来たのだ。そして今日と言う日を迎える事が出来た。
 秦王政が馬車に揺られ向かっている場所は帥升達が住む西南市である。咸陽から馬車で三日程の所にあるその場所は何とも優雅で広々とした所である。
 緑豊、綺麗な川が流れ、人は働かず。女は歌を歌い舞を踊り、男は武芸に励、何とも言い難い楽園のような場所であった。
 その場所に着くと覇者である秦王政であっても馬車を降り、冠を脱いで歩かなくてはいけない。其れは秦王政にとって屈辱以外の何物でもなかった。
 女であれ、子供であれ、その場所に住む人間は皆秦王政よりも各が上なのだ。此では何の為に覇者になったのか分からないが、天下を取り損ねればさらにひどい環境になる事は確かである。行く度に憂鬱になるが仕方の無い事である。
「始皇帝。そろそろ西南です。」
 呂が言った。
「そうか…。」
 秦王政が答えるとほぼ同時に馬車が止まった。秦王政は大きく溜息をつくと馬車から降り冠を従者に渡す。西南に入れば、秦王政も従者と同じ平民である。冠をかぶる事は許されないからだ。
 と、確かに許されないとはなってはいるが、此れはただの式たりであり、今は昔の話である。今は秦王政が冠を被っていようと誰も気にしてはいない。現に帥升自身も態々冠を取る必要は無いと秦王政に告げている。だが、帥升が良くても他の異民族がそれを許さない。神を愚弄する行為だと責め立ててくる。だが、秦王政が身に付けている装飾には誰も文句は言わない。だから、秦王政は出来る限り豪華な装飾品を身につけている。
 詰まらぬ抵抗である。
 全く、こんな事をしなければ自分を見せる事が出来ないもどかしさ。自分は此の国の覇者である。始皇帝である。そう、言いたいが、昔も今も此の国を統べるは帥升を継ぐ者だ。詰まり始皇帝とは奴隷の王なのである。王と言っても西南に入れば唯の奴隷に過ぎず。奴隷に身分等存在せず、倭人にとっての秦王政は一人の奴隷に過ぎないのだ。
 秦王政は溜息をつき帥升の住む宝樹城迄歩き始めた。何とも情けないが、此れが覇者と言われる男の姿である。
「しかし、何度来ても此れは戴(いただ)けんな。」
 ボソリと秦王政が言った。
「滅多な事を言う物ではありません。」
 呂范がボソリと嗜めた。
「分かっておる。所で呂范其方はどう考える ?。」
 秦王政が唐突に話を振った。
「どうとは ?。」
 秦王政を見やり呂范が答える。
「八重国についてだ。」
「八重国 ? 私は其の国を知りませぬ。ですが、方々から聞いた話から推測するに我国の敵ではありません。」
「敵では無い…。其方はそう考えるか。しかし、項雲の話では何とも厄介な部族がいると言う…。」
「厄介な部族 ?。」
「左様…。何とも不思議な話だが其の部族…。名は何だったか。確か、ああそうそう。三子族だったか。その三子族には女しかいないとの事。しかも攻撃的で、彼女達が治める国の周辺には幾多もの罠が仕掛けられているのだと言う。そんな話信じられるか ?。」
「信じるも何も項雲大将軍がそう仰られているのであれば其れは真実なのでしょう。」
「真実…。そうだな。真其の通り。では、彼女達が相手でも我等は勝てるか ?。」
「勝てましょう。」
「勝てる ? ほう、何故そう言えるのか。」
「彼女達が如何に優れていようと、其れだけだからです。」
「それだけ ?。」
「はい。それだけです。如何に彼女達が攻撃的で厄介な部族であっても只それだけの事です。」
「彼女達は我等の敵では無いと ?」
「恐れながら…。私が質問しても宜しいですか。」
 頭を垂れ呂范が言った。
「構わん。」
「三子族とは八重国の民なのですか ?」
「項雲の話によれば、三子族の治める国は八重御国の属国であるとの事だ。」
「属国でありますか。」
「そうだ。その国は卑国と呼ばれているらしい。」
「ひ国…。火ですか ? 其れとも日ですか ?。」
「いや、卑だ。正確にはヒュ…。ヒッュ…。ヘッ…。全く、あの国の発音はややこしくてかなわん。兎に角奴婢の婢と同じ意味の卑だ。」
「奴婢 ?。」
「我等で言う奴隷の事だ。奴婢の婢は女の奴隷を意味しているのだそうだ。」
「奴隷ですか…。と言う事はその国は八重国の奴隷と言う事でしょうか ? にも関わらず国の周りには多数の罠が仕掛けてある…。何の為にです ? 其の国は既に八重国の属国なのでしょう。しかも奴隷として扱われている。その様な者達が何故罠を ? まるで未だ戦が続いている様に感じます。」
「そうだな。何とも不思議な話だ。が、彼女達は奴隷では無い。名こそ卑ではあるが奴隷に有らず。今や八重国を支配していると言っても過言ではないとの事だ。」
「属国である国が支配ですか ?」
「我等の考えで言うとそうだ。が、八重国や卑国の考えで言うと共存と言う方が正しいのか。」
「共存…ですか。」
「そうだ。八重王は国を守る為に、卑国は其の土地を守る為に…だったか。要するに利害関係が一致しているわけだ。」
「成る程…。しかし、私の答えは変わりませぬ。」
「ほう…。その理由は ?。」
「其れだけだからです。仮に卑国が真に八重国を支配していたとして、其れが我等にとって脅威となるかは又別の話。クズを集めてもクズにしかなりません。」
「成る程…。だが、其の脅威にならぬ国が我国に間者を送り込ませているとの事についてはどう思う ?」
 そう言うと秦王政はチロリと呂范を見遣る。流石に間者として送り込まれて来ているだけの事はある。呂范は顔色一つ変えなかった。
「間者をですか ?」
「うむ。彼等は我国の動向を常に把握しておった。当然秦国が天下統一した事も知っておる。さて、八重国はどうすると考える ?」
「どうする ?。当然秦国の侵略に備えるかと…。」
「そうであろうな。だが、如何に周国の力が衰え其の効力がなくなったとは言え、元々其の国は我等が支配する属国に過ぎず。今ある文明、文化も我等が与えた物。其の恩義を忘れ間者まで送り込み我等を敵とみなす事許される事ではない。」
「確かに…。」
 少し呂范の顔色が変わった。
「我は八重国に制裁を与えるつもりだ。」
 秦王政の此の言葉に呂范は此の場で始皇帝を殺すか、殺すまいか悩んだ。否、剣を抜きかけた。此れは一時の感情で大事に向かわせてしまう所であった。此処で始皇帝を殺した所で八重国が安泰になる訳ではない。既に八重国は不確かな国から実在する国として認識されている。此れは項雲が実際に赴き其れを証明しているからだ。だから此処で始皇帝を殺しても誰かが侵略してくる事に間違いはない。
「確かに、其れも必要でしょう。」
 俯いたまま呂范が言った。
「呂范よ。我等は常に強者でなくてはならぬ。故に我等の上に立つ者許さず。其れが誰であろうとだ。」
 秦王政はそう言って口を継ぐんだ。呂范は此の時始皇帝の言葉に異様なまでの違和感を覚えた。だが、それが何なのか呂范には分からなかった。
 其れから一行は西南に入り三時間程歩き続けると立派な作りの宿泊施設に到着する。宿泊施設までの道のりは完璧なまでの一本道で、此の道中で一行が倭人と遭遇する事はない。言わば秦王政の為の道である。こう言えば聞こえが良いが、言い換えれば其の他の場所を歩く事を許していないと言う事である。要するに奴隷が歩く奴隷のための道でなのである。勿論こんな偏見な見方をしているのは秦王政だけである。何故なら此の宿泊施設は西南でも五本の指に入ろうほど立派な物だからだ。当然其れを建てたのは秦王政であるが倭人は其れを良しとしている。
 そして此の宿泊施設で一行は帥升の謁見許可を得るため三日ほど滞在する事になる。勿論、此の三日と言う日数も異常に早い物だ。秦王政ですら諸外国の王に謁見許可を出すのに一ヶ月は必要とするのだから其れを踏まえて見ても此れは異常なまでの速さと言える。それだけ帥升は秦王政を大事にもてなしていると言う事である。
 そもそも帥升及び倭族自体が秦王政以下その民を奴隷とは思っていないのだから、西南での作法はただ単なる昔の名残りと考える方が正しい。だが、此の名残が秦王政を苦しめる。倭族が如何に秦王政を奴隷として見ていなくとも此の名残が奴隷と言っているのだ。そして倭族も其の名残を正そうとはしていない。此れは倭族にとって、どうでも良い事なのかもしれない。だが、それが闇となり光を奪うのだ。
 宿泊施設の門前で従者が門を叩くと中の者が門を開ける。当然の事だが宿泊施設には常駐している者達が多数存在し此の者達は西南で生活をしている。此の者達に何か制限があるのかと言えば全く無い。歩く道も住む場所に至る迄その制限は皆無である。なら、何故秦王政には決まった道があるのか ? 其れは秦王政が一人や二人で此の西南には来ないからだ。
 秦王政が西南に来るとなれば其れに伴う者達は百人を超える。其の様な行列が西南の町を行進するとなると流石に迷惑となる。此れが秦王政に特別な道を与えている真の理由である。
「どうされました ?」
 門前で立ち止まったままの政を見やり呂范が言った。
「いや、中に入ろうか。」
 そう言うと秦王政は従者を先に中に入れ、その後ろをついていく様に中に入って行った。
 宿舎に入ると秦王政は何処による事もなく自室に向かい、そのまま次の日を迎える迄部屋からは出てこない。朝になり庭に出て少し日光浴をすると又部屋に戻り、それ以降は殆ど部屋からは出ず次の日を迎える。長旅の疲れなのだろうか、これがこの宿舎での秦王政の過ごし方である。お陰で従者達もゆっくりと体を癒す事が出来るので有難い事だと思っている。ただ下っ端の従者は帥升の謁見許可を貰いに行かなければいけないので休む暇はない。
 城に向かうのに半日。其処で二日滞在して、三日目の朝に謁見許可を貰い半日かけて宿舎に戻る。そして戻れば直ぐに出発となる。この行って帰ってがかなりキツイ。だからと言って文句を言えば間違いなく地面から空を見上げる事になる。だから、フラフラになりながらも彼等は歩き続けなければいけなかった。其れでも城に着けば休息が与えられるので、今暫くの辛抱ではある。
 其れに半日かけてと言っても只歩き続ける訳ではない。途中には休憩所が多数設けてあり、秦王政達は其処で二、三時間の休憩を挟んでいる。この様な休憩を挟んでの半日であるから実質は余り歩いてはいない。まぁ、余りと言っても楽なわけではないし、キツイ事に変わりはない。何故なら下っ端の従者は休憩の間であっても何かとやる事が多かったからである。其れにこの日は珍しく秦王政はずっと呂范と話続けていた。話しながら歩いている所為かいつもよりも休憩の回数が多く無駄に従者は動き回らなければいけなかった。そして秦王政が話している内容は全て八重国の事である。
 さて、何故秦王政がこれ程までに間者である呂范に八重国の話をするのか ? 貴様は間者だと遠回しに言う事で尻尾を出さす為なのか、其れとも何か別の思惑があるのか ? 恐らく秦王政の考えは後者の方である。呂范が間者だと言う事は先にも述べた様に既に確定しているのだ。なら、無駄に遠回しな事などせず、捕縛、拷問、処刑と言った流れの方が自然である。だが、秦王政はあくまでも素知らぬ顔で呂范と接し自分の考えを呂范に伝えているのだ。さも、其れは自分達の仲間に即刻伝えよと言わんばかりである。
「では、始皇帝は帥升を担ぎ上げ、八重国を攻めようと考えておられるのですか ?」
 呂范も秦王政の内実を知ろうと探りを入れるが、其処は秦の王そうそう内実を見せたりはしない。だが、此処まで政治とは無関係の呂范にあれこれ話すと言うのはどうもふに落ちない。其れだけ信用されているのか、其れとも自分が間者と知って話しているのか ? 確かに呂范がそう考えるのは無理の無い話である。項雲大将軍が八重国に調査に赴き数多くの情報を持ち帰って来ているのだ。何より秦王政は八重国がこの国に間者を送り込んでいる事を知っている。
 自分が疑われているのか否か。いや、疑われているのなら今此処で始皇帝と言葉を交わしているはずがない。呂范は自分にそう言い聞かせ秦王政を見やる。
「左様。我等が軍を総出で攻めても良いが未だ北には敵も多い。総出となるとその隙を突いて攻めて来るであろうからな。」
「なら、先ずは北を攻めるが先決では、ありませんか ?」
「勿論、北も制圧するつもりだ。だからこその倭族。その為に来たくもないこの場所に何度も来ておるのだ。」
「成る程…。其れで帥升は何と ?」
「正直、余り乗り気ではない。が、乗らざるを得ないだろうな。」
「何故です ?」
「儂が煽るからだ。既に不確かな存在は、確かな存在に変わった。後は切っ掛けが有れば万事上手く行くだろう。」
「其れで…。八重国に攻め込むと。」
「その通り。」
「しかし、分かりません。」
「何がだ ?」
「何故そうまでしてあの国に執着されるのですか ?」
「前に言うたであろう。」
「前にですか ?」
「あぁぁぁ、確かに言うた。我等の上に立つ者許さず、とな。」
 又この台詞。呂范はこの意味が分からず困惑しているのだ。何故ならこの台詞からは秦王政の意図が全く伝わって来ないからだ。百歩譲っても八重国は秦国の上に立つ事出来ず。如何にとち狂った政治を行ったとしても秦国に攻め入るなんて馬鹿な事もしない。何にしても八重国は秦国の上に立てる様な国ではない。
「恐れながら、その言葉は覚えております。しかし、私にはその言葉の意味が理解できません。その言葉はまるで…。」
「まるで ?」
「八重国が上と言っている様に聞こえます。」
「我とてそうは考えたくはない。しかし、あの国は未だに朝責すらして来ないではないか。上と見做さずとも対等でありたいとかんがえておるのではないか ? そうであろう呂范。否、サカヤラノツグネ…と呼んだ方が良いか ?」
 小さな声で秦王政が言った。この言葉に呂范はピタリと動きを止め政は其れを静かに見遣っていた。


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