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障害の記載「自治会が強要」

かなしいニュース。

どうしたらこのようなことが起こらなかったのか。推測も含め考えさせられる。以下、何が足らなかったのだろうかと思い浮かんだ点を挙げる。

・障害を持つ人への必要な配慮は特別扱いや優遇、不公平、ずるい、わがままなのではなく、配慮をしてはじめて平等になるという合理的配慮の考え方

・本文にあるように、病気や障害について他者に伝聞するのはプライバシーや人格権の侵害、それをしないための人権を守る意識

・第三者による本人の望まないかたちでのアウティング→これまでも「できないこと」でつらい思いをしてきたその内容を書き出させること・今暮らしている地域の住民ひとりひとりに説明してまわるという精神的苦痛への想像力

・自治会組織のあり方、運営の問題→役員などの重要性、病気や障害をもつ人でもそれをしなければならない暗黙の強制力のようなものがなぜ発生してしまうのか?本来の必要性などあらためて見直すこと

・障害のある人と自分に線引きや距離があるのではないか。身近で障害をもつ人と接することが少なく、接し方が障害のない人に対するものと変わらない。合理的配慮や障害の社会モデルなど、多くの人が現代的な障害観として最低限の知識だけでも得る必要。人権や障害に関する教育のあり方を考えること。


この件は、障害の有無に関わらず、相手の苦悩や屈辱を考慮しない関わり方にも思えてしまう。もし相手に障害があるゆえ、その人の気持ちをないがしろにしたのだとしたら、たとえ障害があっても同じ人間であり、あなたと変わらない人の心・気持ちを持っていることを知ってほしい。自死された男性は「ひとがたくさんいるとこわくてにげたくなります」と書いており、拒否することはとてもできなかっただろうと思うと胸が痛い。

あるいは、弱肉強食の競争社会のなかで弱者がより弱者を許せない風潮がある。余裕のない人がたくさんいる。他人や自分より弱い者が得をしているように見えたとき、その人を叩くしかなくなっているほどに荒んでいる。この件に関しては、無関心でい続けられる強者も含め、すべての人が当事者や被害者かもしれない。

障害のある人たちが地域で安心して暮らせるようになったのは障害のある人たちの長年の努力とたたかいの末にあるもの。また地域で安心して暮らせなくなってしまわないように、そして、障害のある人だけでなくさまざまな人が安心して暮らせるように、自分も含め地域住民として考慮していく必要もある。例えば、誰しも高齢になればいつ生活の支障や障害を抱えるかわからない。見返りを求めて助けるわけではないが、少しでも地域に障害への理解・配慮の雰囲気があるほうが、自分自身も安心して暮らせるのではないだろうか。


合理的配慮とは 内閣府ホームページより(リーフレット)https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/pdf/gouriteki_hairyo/print.pdf

 
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