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「もう聞かなくてもいい」と思った取材のこと。

編集者として、取材して記事を書く仕事を始めて5年半ほど経ちます。メインで携わっているのは、北海道の心豊かな暮らしを伝える季刊誌。おいしい野菜を育てる生産者さん、すてきな器や道具を生み出す作家さん、心がほっと温まるカフェや喫茶店を営む人たちを「取材」という形で訪ねては、本当にたくさんのお話を聞かせてもらってきました。

農家さんの家にお邪魔して夜まで過ごした一日、馬そりに乗せてもらった日、憧れだった喫茶店の扉を開いた日。今日はここに、この夏経験したある取材のことを書き残しておこうと思います。

海辺の高台にあるその喫茶店のことは、ひと目みたときから気になっていました。すばらしいロケーションにあって、信頼している方からのおすすめもあって、すてきだろうという予感はあって。「いつか取材させてもらえたら」という思いを1年以上温めてしまったのは、ほんの少し迷いがあったからです。最初に行ったとき、たくさんのお客さんが来ている光景を見ていたから。「これ以上、知られることを望んでいないお店かもしれない」と感じていたからです。

私たちが取材をお願いするお店のほとんどが、ひとりかふたり、もしくは家族で営まれているような小さなお店。「うれしいけど、これ以上お客さんが増えても手が回らないから」とお断りを受けることもしばしば。実際には、掲載されたからといってどっとお客さんが押し寄せるようなことは、良くも悪くもほとんどない、ゆったりとした雑誌なのですが。あたらしいお店が開店したと聞けば喜んだり足を運んでみたりしつつも、「落ち着いた頃、いつか話を聞きたいね」と温めることがほとんどです。

その喫茶店に感じていた迷いは、半分当たっていました。「夫婦ふたりでやっているので…」。取材依頼の電話をかけて、あぁやっぱりだめだったかなと思った矢先、「それでもお声がけいただけるのであれば、やぶさかではありません」と、どこまでも丁寧なお返事をいただきました。誤解されがちですが、やぶさかではないって「躊躇しない」とか「努力は惜しまない」という前向きな表現なんですよね。「定休日なら、ゆっくりお話できるかと思います」。せっかくなら海がきれいに見える日にと、2日間通う約束をして電話を切りました。

取材当日の天気は晴れ。約束の時間にお店を訪ねては見たものの、やはり店内は海に沈む夕日を楽しみにするひとたちで混み合っていました。それでもその喫茶店のご主人は、「お待ちしておりました。良かった。窓際の席が空いていますので」と穏やかに迎え入れてくれました。建物の隅々まで夕日が差し込んで、全体がオレンジ色の光に包まれて輝いていて、あまりにもすてきで。胸いっぱいになりながらも、同時にすごく戸惑ってしまいました。偶然、同じ時間に別メディアの取材班の方たちが撮影をしていて、普段とは少し違うであろう空気が流れているのがわかったからです。

「どうしよう」とぼそぼそ呟いているうちに、きっといい絵が撮れるだろうシーンがやってきて店内の空気はもう一度揺れました。一瞬迷いましたが、私はその列に並びませんでした。そしてただただ、お茶を飲むことに専念することにしました。もし私がテレビ局や新聞社の取材班なら、その絵がきっと必要だったと思います。でも、私は前述したようなゆったりした紙媒体の編集者です。自分なりの視点を持って表現することを、良しとしてもらえる世界にいます。それなら、私は私のやり方を全うしよう。そんな風に心を決めて、目の前の光景をしっかり焼き付けました。

そして翌日の同じ時間、定休日に再びその喫茶店を訪ねました。いよいよ、取材本番です。

店内は、昨日と同じ色の光で満ちていました。違っていたのは、お客さんたちの姿がなかったこと。大きなテーブルを挟んで、ご主人は言いました。「きっとこれから、いろいろ質問していただくのかもしれませんが、先にこちらから少しお話してもよろしいでしょうか」。

そんな風に始まった取材は、初めてでした。言葉のとおり「少し」。けれど過不足なく話してくれたことと、「せっかくなので」と聞かせてくれた海外製のオルゴールの音。それだけで、十分でした。私の質問なんていらない。「もう聞かなくてもいい」。そんな風に思ってしまいました。そうは言っても、貴重な時間をとってくださっているわけですし、私は自分の仕事を全うしなければいけません。心を正していくつか質問をしましたが、やっぱり多くは聞けなかったように思います。最後のほうは、ただみんなで海に沈む夕日を眺めていました。

知ることも、知られることも、簡単になった今の時代に。取材を受けてもらえる理由についてよく考えます。「好きな媒体だったから」と喜んでもらえることもありますが、今回のように、「せっかく来てくれるんだから」という優しさで受け入れてもらえている場合も多いでしょう。もらった時間の分、返せるものといえば、できる限りの記事を編むことしか思いつきません。その喫茶店のご主人にとって、うれしいものであったかどうかは正直わからないのですが。それでも、言葉を尽くして、今の私ができる精一杯の記事を編んだと胸を張って言えます。というより、それしかないのです。最初から。

あの日、揺れる空気の中で心してお茶を味わったことも、「もう聞かなくていい」と思ってしまったことも、いいことではなかったかもしれません。でも私は、それを良しとしてくれる世界で書いていたいです。夕焼けが見どころの喫茶店について「雨の日に行くといいかもしれない」と書くことを許してもらえる世界で、書いていたいです。

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ここまで読んでくださって、ありがとうございました。編集部でやっているインターネットラジオの中で、編集についてじっくりお話しました。一度寝かせて書くこと、そのまま書くこと、離れて書くこと。良かったら、聞いてみてください。それでは、また書きます。


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