「ゾーン状態」の体験 「快」感
「COOからエッセイスト」
りゅうぐう(竜宮)からのメッセージを綴ります
ひとりの「Human being」として
ひとりの「Human doing」を
人間は自分自身の潜在能力の3%しか使っていないと言われていて、残りの97%未使用で限られた顕在能力だけを使って一生を終える、と言われています
私はマスターズ水泳大会の25m背泳のレース中、所謂「ゾーン」状態に入った体験があります
ほんの約5秒間だけど確実に入ったと思っています
トップアスリートやアーティスト、天才的経営者が体験していると言われている状態、「フロー」とも言います
マスターズ水泳ならではの、25mの超短距離のスプリント種目0.01秒のスピードを追求し競い合うレースなのでスタートからゴールまで、ミスは許されません
シーズン最後のレースで50代でのベストタイムを目指して、スタートのダッシュからゴールのタッチ板を指先で触るまでのレースプランをストーリー化して集中し臨みました
スプリントレースはひとつでもミスがあればタイムは大きく崩れ、リカバリーする事ができないので細心の注意を払って自己ベストタイムを目指しました
ただ50代、練習量も限られているので
いつもラスト5mでバテて失速する不安はありました
でもこのレースだけは違いました
順調にレースプランどうりスタートから泳いでいましたがラスト10mから突然不思議な感覚に包まれ、
いつもの
「自分の肉体の力で泳いでいる感覚がなくなり」
「力を入れてないのに自動的に身体が勝手に動いてる感覚」
「水の抵抗を感じる感覚も無く」
「何より身体が軽い」
「まるで、流れるプールでさらに誰かに引っ張って貰っている」
そんな感覚で、体感した事のないスピードで加速して行き、当然バテる感覚も無くフィニッシュ
肉体の疲労感はなく、
感覚としては楽しいというより「快」という感じでした 「快楽」を超え「楽」という感覚もなく言葉にできないあの感覚は、あえて言葉にすれば「快」感です
タイムは目標のベストタイムでスタイルワンの背泳25mで優勝する事ができました
思うに、言葉では適切な表現は見つかりませんが「ゾーン」の状態の感覚は
「一点に向けられた集中力の先にある、
究極のリラックス」
って感じです(もしかしたら臨死体験に近いかもしれません)
以前、競泳の北島康介選手が北京オリンピック「競泳」で100m平泳を世界新で金メダル取った直後のインタビューで
「ちょー気持ちいい〜、何にもいえねえ〜」
と、言ったことを覚えている方も多いとおもいますが、あのレースで彼は間違いなく、瞬間的に「ゾーン」状態に入ったと思います
もうそうとしか表現できない、言葉にならない感覚ですから、(もちろん私とは段違いにレベルの差はありますが)
北島選手の一点に向けられた集中力の先に、究極のリラックス状態に入り、自分自身の潜在能力の域に達し、肉体の力を遥かに超えた潜在力を発揮した結果だと思います
コロナが収まって今年大会が再開したらまた泳いでみたいです
あの状態の感覚をもう一度味わってみたいからです
天才的「神の領域」の感性で「iPhone 」を創り出したスティーブ・ジョブズはこの「ゾーン」状態に常に入っていた方だと私は思っています
彼は「禅」を極めた方です
彼のイメージの中にはハッキリと「iPhone 」が完成しており、それを現実化させる事ができると確信を持っていたと思います
彼が、一切の無駄を省いた「機能性とデザイン」の世界最高基準を定め、彼が求めたクオリティーを実現できないエンジニアは全員クビにし、一切妥協をしなかったそうです
この妥協のない「iPhone」 を実現するイメージとクオリティーの基準を追求し続けた「ゾーン」の状態性は、
「ゾーン」に瞬間的に入ったのでは無く、常時「ゾーン」状態に入っていたから「イメージ」と「実現性」がシンクロしたのだと思います
「神の領域の感性」とは全て無駄がない「シンプル」で
人間が持つ潜在能力の域を100%まで発揮した
「自由自在」「変幻自在」「縦横無尽」
という研ぎ澄まされた「感性力」だと感じています
太古の昔、人がただの「Human being 」という存在だった頃の「感性」そのものであり、
その「感性」で行動した「Human doing」の実現性を北島選手もスティーブ・ジョブズも体現した方々だと思います
次回から沖縄に脈々と流れる太古の英知の文化について書いてみようと思います
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