見出し画像

【第36章・武田の隠し金山】狩野岑信 元禄二刀流絵巻(歴史小説)

第三十六章  武田の隠し金山

 間部が居住まいを正す。無表情を一段レベルアップさせ、変な凄みを出してきた。
「いいでしょう。今後のこともあるので、お二人には話しておきましょう。まず、殿の出自に関する讒訴事件についてです。事件のことはご存知ですね」
「はい」
「結構。あの件については、用人職拝命後、私なりに再調査しました。何せ、殿のお立場を根底から覆しかねない問題ですから。幸い、殿の不利益になるような書面や証拠の品は見つかっていません」

「新見典膳はそれを探しているのでしょうか」と竜之進。
「分かりません。ただ、調べる中でひとつ分かったのが、事件の背景です」

「背景? それは、殿が新見正信ばかりを重用すると、父と太田正成が逆恨みして・・・」
「ええ、公式にはそう処理されています。しかし、三人ともそれほど幼稚な人間ではない。私は、別な理由があったと考えています」
「そ、それは?」

「金山です。武田の隠し金山」
「は? いやいや、流行の芝居じゃあるまいし」と、吉之助が突っ込みを入れた。

 元禄時代は芸能の発展期でもある。歌舞伎が舞踊からストーリーのある演劇に変化したのもこの時代とされる。
 吉之助は、数日前に志乃にねだられて中村座の芝居を見に行ったばかり。絵師でもある吉之助は派手な衣装や舞台装置に目を奪われ、話の筋はうろ覚えだが、確か、隠し財宝の争奪戦という場面もあった気がする。しかし、前に座る間部の顔は、意外にも真面目そのものである。

「まさか、本当にあるんですか」
「分かりません。ただ、綱重公の命で武田の隠し金山の探索が行われていたことは事実です。そして、その任に当たっていたのが・・・」
「まさか」と竜之進。
「はい。新見正信、太田正成、島田時之の三名です。特に、太田・島田の両名が中心であったと思われます」
「父が。しかし、なぜそう言えるのですか」

「まず、三名とも、武田家旧臣の家系です。当時、甲府藩は中老職を設けず、江戸に二名、国元に四名の家老を置いて藩を運営していました。太田正成と島田時之は、国元側の三番目と四番目の家老でした。それが、綱重公の命により、若君の側近になるため家老職を外され、江戸に呼ばれました。しかし、まだご幼少であった殿にそれだけの側近団が必要だったとは思えません。育ての親である新見正信と、補佐する近習の二、三人もいれば十分です。恐らく、太田・島田の両名は、若君の側近という立場を隠れ蓑に、金山探索に当たっていたと思われます。そして、新見正信は、その二人と綱重公の間の連絡役を務めていたのでしょう」

「しかし、綱重公は将軍の弟ですよね。そんな風にこそこそ動く必要があるでしょうか」
「綱重公は、殊のほか武張ったことのお好きな方でした。公は、高砂(現代の台湾)への御出陣を強く望んでおられたそうです」

「高砂って、琉球のさらに先の?」
「ええ。当時、幕府に対して、高砂の島を拠点に明朝復興を狙っていた鄭成功一派から援軍要請が来ていたのです」
「しかし、無茶な外征は豊臣家の失敗で懲りているでしょ」

「その通り。ですから、幕府はその要請を断わっています。明暦の大火の後始末は一段落したものの、その後も各地で災害が頻発していましたから、外征する余裕などない、というのが一致した意見だったようです。そこで、綱重公としては、自ら軍資金の手当てをし、兄君(四代将軍・徳川家綱)を説得するおつもりだったと思われます」

「なんか、話が大き過ぎて、頭が痛くなってきた」と、竜之進がこめかみの辺りを押さえる。
「綱重公のお考えは分かりました。しかし、金山の探索が、なぜ殿の出自に関する讒訴騒ぎになったのでしょうか」と吉之助。

「どうやら、探索が綱重公の思惑通りに進まず、二人を責めたようです。綱重公は外面はともかく、屋敷内では粗暴な振る舞いが多く、家臣や奥女中を何人もお手討ちにしています」

「すると、あの讒訴は、父上たちの自衛の策だったということですか」
 だとすれば、主家に対する謀反と断じられた父親たちの行動にも一分の理があったことになる。しかし、複雑な表情になった竜之進に間部がすかさず釘を刺した。
「事情はどうあれ、お世継ぎの出自に関して公儀に讒訴するなど、家臣として絶対に打ってはならない悪手です。そこは間違わないように」

 それはそうだろう。ただ、それはそれとして、吉之助には別に確認しなければならないことがあった。
「隠し金山について、間部様も調べてこられた。そうですよね? では、もしやあの時、西田様も?」

 吉之助が間部の実兄・西田春之丞と出会ったのは塩山近傍の笛吹川沿いの地点。目の前には幕府直轄の黒川金山がある。偶然の一致にしては出来過ぎだ。間部は無表情のまま。沈黙は認めたとも取れるが・・・。

「実際、有るのですか。無いのですか」
「分かりません」
 これに対して吉竜揃って、じっと間部を睨む。

「本当に分からないのです。金山については、私にとって、いや、殿にとってと言うべきでしょうか。有ろうが無かろうが、どちらでもよいのです。問題は、それが殿のお立場を危うくする材料となり得ること。幕府に隠れて金山を開発していたなどと難癖を付けられれば、駿河大納言の二の舞になりかねません」

 駿河大納言とは、二代秀忠の次男・徳川忠長のことである。兄の三代家光から謀反の疑いをかけられ領地没収、配流幽閉となり、最終的に切腹して果てた。

「従って、私の関心は、出羽守様などが、殿を陥れるために何か仕掛けてくるのではないか、ということです」
「そうか。公方様も殿を嫌っているわけだから、ないことじゃないか」
「確かにな。そうだとして、一度話を元に戻すか。竜さん。それで、新見典膳は何と言っていたんだっけ? 正確に思い出してくれ」

「そうですね。えっと、父の遺品の中に書類や絵図の類はなかったか、と」
「で、どうなんだ?」
「いや、ありませんよ。本当です。両親が遺したのは、父の刀と硯箱、母が愛用していた茶道具くらいです。他に身延まで持ち込んだ物があったとしても、大方、食料に替えてしまったと思うなぁ」
「紙束や帳面などは?」と間部。
「ないですね。ああ、父上が書いてくれた手習いのお手本が数冊あったかな」

「どれも関連があるとは思えないな。それにしても、奴は、竜さんが浜屋敷にいるとどこで知ったのかな?」

 その疑問には間部が答えてくれた。
「少し前、甲府の藩庁から、数冊の文書が紛失したと報告がありました。その中に、藩の政治犯の名簿もあったのです。それぞれ関連のない書類が同時に消えたので、どれが本筋か測りかねていましたが、これで分かりました」
「その名簿には、父や私の名が?」
「あります。名簿は毎年更新され、本人と家族の現況を把握できるようになっています。島田殿が江戸詰めになったことも当然記されています。それを見たのでしょう」

「間部様。そのおっしゃり様、書類は紛失ではなく、盗まれたと聞こえますが」
「そうでしょうね」
「まさか、甲府の藩庁に内通者が?」
「いてもおかしくありません。以前説明したように、当藩の藩士は半数以上が幕臣の出向組や幕臣の子弟ですから。まあ、かくいう私もその一人ですが。そう言えば、狩野殿もそうですな」

 間部の実父は御家人(将軍への拝謁資格のない下級幕臣)であった。そして、吉之助の父・狩野常信は旗本格の御用絵師であり、これも立派な幕臣だ。ただ、二人ともそれぞれの事情で若くして家を出ているため、家の上にある幕府に対して帰属意識は全くない。

 苦笑する吉之助を横目に竜之進が話を継いだ。
「やはり、背後に柳沢出羽守様が? 新見典膳は、出羽守様の手先なのでしょうか」

「そう考えるのが一番自然でしょう。ただ、単独で動いている線も捨てきれません。また、後ろ盾があるとしても、出羽守様と決めつけるのは危険です。将軍継嗣に絡み、殿の失脚を望んでいる者は他にもおりますから」

 話がどんどん大きく、複雑になって行く。やれやれ、と思っていると、間部がさらに不穏なことを言い出した。
「ともかく、あの名簿を見て手近なところから来たとすれば、次は、太田正成の遺族を狙うと思われます」
「その者、どこに?」
「甲斐です。内通者の詮議も含め、春になったら、一度甲府まで行かねばなりますまい。覚悟しておいて下さい」

 甲府藩は江戸定府である。大名家にとって最大の負担となる参勤交代が免除されている。それが特権であることは確かだが、反面、行動の自由がなく、常に幕府の監視下にあった。実際、綱豊は藩主就任以来、一度も江戸を出ていない。影の如く綱豊の側を離れない間部も同じ。その彼が自ら甲府に赴くという。相変わらずの無表情だが、彼自身、覚悟を決めているようだ。

 吉之助と竜之進は、しんと静まり返った廊下を黙って歩いていた。表玄関を過ぎ、西の御長屋が見えてきた。
「分かった気がするよ」
「何がです?」

「考えてみると、殿が父君のことを話しているのを聞いたことがない。伯父である家綱公のことばかりだ。ご病弱であられたが、将軍の責務から逃げず、賢臣を用い、民を慈しんだ名君であったと」

「確かに。殿は九歳になるまで屋敷の外で放置されていたわけでしょ。結局、他に子が出来ないから跡継ぎにって、勝手にも程がある。よくグレなかったなぁ」
「まったくだ」
「父上も何を考えていたんだか。私にとっての父は、身延で一緒に暮らした父以外になく、それ以外は考えないようにしてきましたが、それでよかったのかなぁ。新見典膳か。一体何がしたいんだろう?」
「さあな」

「妙な奴ですよ。訊きたいことがあると言っておきながら、出会い頭、完全に殺す気でしたからね」
「自分の初太刀をかわせるぐらいの者でなければ、話すに値しない、ということかな」
「そんな勝手な」
「強いのか」
「強いですね。正直、まともに斬り合っていたら、私は今ここにいませんよ」
「それは厄介だな」

 二人は、いずれ避けられないであろう強敵との対決を思いながら歩を進める。廊下を吹き抜ける冬の風が、肌を刺すように冷たかった。

次章に続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?