見出し画像

【第39章・大月宿のかまいたち】狩野岑信 元禄二刀流絵巻(歴史小説)

第三十九章  大月宿のかまいたち

 川越藩江戸家老・穴山重蔵の命を受け、同藩の甲斐潜入部隊が江戸を発ったのは元禄十二年(一六九九年)四月十七日。狩野吉之助たち甲府藩一行が出発した三日前のことである。

 潜入部隊は二隊編成。新見典膳が指揮する一番隊は、武田の隠し金山の探索を主任務とする。江戸を各個に発ち、甲州街道の大月宿で集結。以降、山道伝いに塩山方面に出るべく行動中。

 一方、徒目付・貢川保道を長とする二番隊は、甲府藩主の側近・間部詮房の殺害を主任務とする。二番隊は一部川越から来る者もあり、大月宿での集結は四月二十三日とされていた。

 二番隊に副将格の客分として名を連ねる若い剣士がいる。青柳厳四郎、本名・柳生厳四郎である。彼は定められた二十三日の昼過ぎ、大月宿に入る直前で隊長の貢川と合流した。

 その夕方、厳四郎は彼に与えられた旅籠の一室で、私的な家来(正確には勝手に付き従っているだけ)の水分嵐子を待っていた。

「厳四郎様、お待たせしました」と、朗らかな声と弾むような足取りで嵐子が部屋に入ってきた。
「お待たせしました、じゃないだろ。お嵐、そこに座れ」
「はい?」
「それで、何で殺っちまったんだ?」
「はて、何のことですか」
「あの口入れ屋だよ。十二人も。いくら何でも殺し過ぎだ」
「ああ、あれですか」
「あの口入れ屋、どうやら川越藩の連中が頼みにしていたらしい。貢川さんも泡を食ってたぞ」

 厳四郎は、二時(四時間)ほど前のことを思い浮かべる。

 彼は大月宿の手前で二番隊隊長の貢川と出会い、貢川に同行して宿場の顔役だという口入れ屋(江戸時代の人材派遣業者)を訪ねた。

 真っ昼間だというのに表の障子戸は閉められ、人の気配が全くない。貢川が障子戸越しに声を掛けても返事はない。すると、「旦那方、この店に何か御用で?」と、岡っ引き風の男が近寄って来た。
「詮索無用だ。行け!」と、貢川が手を振って追い払おうとする。しかし、男も引かない。
「だってね。この店、誰もいませんぜ」
「留守か」
「いえ、違いますよ。今朝、皆殺しになっちまったんです。親分子分十二人、全滅です」
「馬鹿な」
「本当ですよ」
「宿場の顔役と聞いていたが、対立勢力との喧嘩でもあったのか」
「それなら分かりやすくていいんですけどね」
「何だ。はっきり言え!」

「その、かまいたちです」

「何だと?」
「かまいたち。ご存知ありませんか、妖怪の。風が吹くとスパッと斬られるって奴です」
「からかってるのか、お前」
「滅相もない。あっし自身、朝っぱらから血まみれの死体の片付けを手伝わされたんですから。ひどい有様でした。中も血だらけですよ。御覧になりますか」と言って、男が障子戸を半分だけ開けた。

 中を覗き込んだ貢川が、「うっ」と発して後ずさりする。交替した厳四郎も絶句した。しかし、同時に強い違和感を持った。
「変だな。どこもかしこも血だらけだが、障子も破れてない。道具類もそのままだ。何だ、これは?」

「お若い旦那、さすがですな。妙な具合でしょ。喧嘩なら、あれだけの死人が出たんだ。家中どこも滅茶苦茶になってなきゃおかしい。それにね。近所を聞き込んでも、昨夜から朝にかけて、茶碗の割れる音ひとつしなかったと言うんですよ」
「それで、かまいたちか」
「はい。十二人全員一太刀、バッサリでさ。これは与力の旦那の話ですがね。切り口が尋常じゃないそうで。あと、変な角度で斬られてるのが多いと。いずれにしても、人間技とは思えないってことで・・・」

 そこで厳四郎は思考を戻し、目の前で座布団の上にちょこんと座っている嵐子に問うた。
「お嵐、お前なんだろ?」
「はい」
 軽く認めた嵐子。悪びれた様子は微塵もない。

「何があった?」
「話してもいいけど、長くなりますよ」
「聞かないわけにいかないだろ。話せ」

 厳四郎は、横にある急須を取って湯呑に茶を注ぎ、嵐子の前に置いた。嵐子はそれを一口飲む。ほうじ茶だ。思いのほか香ばしい豊かな香りに驚き、湯呑を覗き込む。
「あっ、茶柱!」
「おい」
「そうか。えっと、小仏峠を過ぎてから、あたし、一人で先行してたじゃないですか」
「ああ」
「それで、昨日の夕方なんですけど、山道の途中で物売りの母子に出会ったんです。蒸し饅頭と食中りに効く薬を売ってて。母子は家に帰るところでした。あたし、ちょっとお腹が空いてたから、売れ残っている饅頭を全部買ってやったんです。そしたら、女の一人旅を心配して、家はすぐそこだから、よかったら泊まって行かないかって」
「へえ、親切だな」
「でしょ」

「それで?」
「朝になって、さすがに昨日の饅頭代だけじゃ悪いと思って、薪割りを手伝ったりしてたら、ガラの悪い二人組がやって来て。昨日の売り上げを半分持って行くって言うじゃないですか。毎日のことなんですって」
「ほう」
「あたし、笑っちまったんですよ。だって、あの母子の一日の稼ぎって、百文いきませんよ。そんな小商いの上前を撥ねようなんざ、みみっちいにも程があるって。そしたら連中が、文句があるなら、案内するから親分に直に言えって」

「それで行ったのか」
「はい」
「で?」
「そうしたらあの店に案内されて、今度は親分らしいおじさんが、同じですよ。文句があるなら、力尽くで止めさせてみろって」

 そこで厳四郎は頭を抱えたくなった。連中は恐らく、嵐子のことを世間知らずの跳ねっ返り娘とでも思ったのだろう。飛んで火にいる夏の虫。いたぶった後、女郎屋に売り飛ばせばちょっとした臨時収入だ。

「あたし、悪くありませんよ。だって、確認したもん」
「確認? 何を?」
「だから、本当にいいのかって。二度も訊きましたよ」
「で?」
「やれるものならやってみろ。二度、繰り返しました」

「それで殺っちまったのか」
「はい。あたし、悪くありませんよね」

「まったく、お前は。確かに連中も悪いが、いくら何でも皆殺しはないだろ。あの手の連中は、親分と上の二、三人を除けば、あとは蜘蛛の子を散らすように消えちまうもんだ」
「でも、親分はともかく、次の二、三人なんて、会ったばかりで分かりませんよ。それに・・・」

「それに何だ?」
「だって、口答えしてるみたいで嫌だもん」と、嵐子がぷっと頬を膨らませた。
「いいから、最後まで言えよ」
「それに、あの母子をいじめてたのは一番下っ端の連中ですよ。悪いことにかけちゃ、上も下もありませんよ」

「なるほど。それは一理あるか」
「でしょ」
 一転して得意げな顔になった嵐子を見て、厳四郎は力が抜けた。嵐子は山深い柳生の里で、しかも、孤児同然の境遇で育った。そのため、何事も自習自得してきた。倫理観も然りである。時折、厳四郎でも理解に苦しむことがある。しかし、それも含めて嵐子なのだ。

「とにかく、今後は自重しろ。いいな?」
「はぁい」
「しかし、人足の手配が出来ないと困るだろうな」
「心配いりませんよ、厳四郎様。あんな弱っちい連中、いてもいなくても変わりゃしません」

「馬鹿だな。戦ってのは、斬り合う人間以外にも人手がいるんだ。荷物運びに飯の準備、戦いの後には負傷者の手当や死人の回収だってせにゃならん。ここはもう敵地だからな。誰でも彼でも使えるわけじゃない」

「なるほど、厳四郎様は軍師だ。それで、貢川って人に話すんですか」
「話せるかよ」
「あたし、あの人大嫌い。やたら偉そうで、厳四郎様に対してだって無礼千万ですよ」
「仕方ないさ。あちらは川越藩の正規の藩士だ。対してこっちは、あくまで恩賞目当ての素浪人という触れ込みなんだから」
「それにしたって・・・」

 経験上、嵐子に悪く思われて長生きした者はいない。彼女の気を逸らすため、厳四郎は急いで話題を変えた。
「しかし、あの狭い屋内で、よく抜刀が使えたな。しかも連続で。新しい技でも編み出したか」
「あっ、分かります? 新技ではないんですけど、体のひねりと返しの際の踏み込みを工夫したんですよ。御覧になりますか」と、嵐子が嬉しそうに立ち上がった。

「馬鹿、いいよ。それより腹が減った。早く風呂に行ってこい。お前が戻ったら飯にするから」
「はぁい」
 嵐子は手拭いを肩に掛けると、根結いの垂髪をふわりふわりと揺らしながら部屋を出て行った。思えば、あれだけの殺戮をしていながら、彼女には血の臭いがしない。本当に一瞬のことだったのだろう。つむじ風のように駆け、斬り、そして去った。

 かまいたち、か。まったく、あ奴の強さは化け物じみてきたな。このままでは、いつか己の強さで身を滅ぼすことになるだろう。俺が余程注意せねば・・・。

 厳四郎は軽くため息を吐き、目の前の湯飲みに手を伸ばした。同時に、窓の外からひと雨きそうな湿った風が入ってきた。

次章に続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?