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【物語の現場012】融女寛好も目にした池上本門寺の多宝塔(写真)

「融女寛好」の第三十五章(最終章)で登場する奥絵師四家の菩提寺・池上本門寺。狩野派絵師の墓が一番集中しているのが、境内の西側エリア。

 目印は、写真の真っ赤な巨大多宝塔(東京都大田区、2021.11.15撮影)。

 大堂と本殿の間にある大坊坂を下るとあります。そして、その東側に主に中橋家(狩野宗家)、南西にその他の三家の墓が集まっています。三家側のほぼ中央に立つ狩野探幽の墓については紹介済み。

 さて、この多宝塔、国の重要文化財に指定されています(指定名称:池上本門寺宝塔)。総高は17.5メートルあり、装飾も豪華絢爛。
 寺の御用大工・小木新七(藤原信盛)が棟梁を務め、文政十一年(一八二八年)に棟上げし、天保元年(一八三〇年)に完成した、とのこと。

 従って、お栄さんも、四十少し前からですが、融川の墓参りに来るたび、このド派手な姿を目にしていたはず。そして、この多宝塔が完成した六年後に融女謝師恩碑を建立しているのです。

 ちなみに、融女謝師恩碑建立の5年後に「天保の改革」が始まり、17年後に米国のペリー艦隊が浦賀に来航するという流れになります。

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