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【心に響く漢詩】王安石「元日」~「旧」を送る爆竹、「新」を迎える桃符

   元日  元日(がんじつ)
                         北宋・王安石

  爆竹聲中一歳除  
  春風送暖入屠蘇  
  千門萬戸曈曈日  
  總把新桃換舊符
  

爆竹(ばくちく)声中(せいちゅう) 一歳(いっさい)除(じょ)す
春風(しゅんぷう) 暖(だん)を送(おく)りて 屠蘇(とそ)に入(い)る
千門(せんもん)万戸(ばんこ) 曈曈(とうとう)の日(ひ)
総(すべ)て新桃(しんとう)を把(と)りて 旧符(きゅうふ)に換(か)う

王安石

 「元日」と題する、いかにも正月らしい漢詩を読んでみましょう。
 作者の王安石(おうあんせき)は、北宋の宰相となった有力な政治家です。

爆竹(ばくちく)声中(せいちゅう) 一歳(いっさい)除(じょ)す
春風(しゅんぷう) 暖(だん)を送(おく)りて 屠蘇(とそ)に入(い)る

――爆竹の音がけたたましく鳴り響く中、一年が終わった。
  年が明け、春風が暖かさを屠蘇の杯に吹き込んでくる。

 中国では、伝統的に、除夜に爆竹を鳴らします。
 爆竹は、元来は、魔除けのためのものです。春節(旧暦の正月)になると、魔物が山から人里に下りてくるので、竹を燃やしてパチパチと音を立てて追い払ったといいます。のちに、竹に火薬を詰めるようになり、宋代には現代と同じ紙筒の爆竹が作られるようになりました。

 旧暦の正月は、西暦よりおよそ一ヶ月余り後にずれます。除夜の賑わいが過ぎ去り、いざ正月を迎えると、季節はもう春です。

 「屠蘇」は、邪気払いの薬酒。正月に一家揃って飲んで、無病息災を祈る風習が古くからあります。

千門(せんもん)万戸(ばんこ) 曈曈(とうとう)の日(ひ)
総(すべ)て新桃(しんとう)を把(と)りて 旧符(きゅうふ)に換(か)う

――見渡す限り無数に建ち並ぶ都の家々に元日の陽光が射し込む頃、
  人々はみな古い護符に換えて、新しい桃木の護符を戸口に掛けている。

 「曈曈」は、日が昇り、夜明けの陽光が照り渡るさま。
 「新桃」は、桃木で作った新しい護符。桃もまた邪気払いのアイテムで、伝統的には、一対の桃木の板に門神の名「神荼(しんじょ)」と「鬱塁(うつりつ)」を書いたり、門神の像を描いたりした桃符を戸口の両脇に掛けて魔除けとしました。

桃符

 この詩は、「爆竹」「春風」「屠蘇」「新桃」と、元日の風情が存分に盛り込まれた佳作としてよく知られています。

清・姚文瀚「歳朝歓慶圖」

 なお、この詩は、単なる正月の風物詩ではなく、政治的な寓意が込められているという説があります。

 王安石は、新法党の領袖として活躍した急進的な政治家です。国家財政の疲弊を救うために数々の改革を断行し、司馬光ら旧法党と激しい権力争いを繰り広げました。

 そこで、この詩にもそうした「旧」を除いて「新」を迎えるという寓意があるという説です。

 日本人が漢詩を鑑賞する時、政治的に解釈するのは野暮、雅趣を損なう、と考えがちですが、中国の古典文学は、政治と切り離して解釈することができません。

 「文学は政治の道具」という伝統的な考え方があり、そもそも詩人のほとんどが役人です。

 ですから、一見ただの叙景詩や風物詩に見えても、その裏に作者の政治的立場が反映されていたり、政治批判、諷喩、教訓などが込められていたり、ということが多いのです。

 作者にそのような寓意を込める意図がなかったとしても、後世の読み手は何らかの寓意があると解釈し、寓意があることを理由に作品をより高く評価する傾向があります。

 この王安石の詩に寓意が有るか無いかはさておき、古いものが新しいものに取って代わられるのは世の常です。
 旧年の垢はさっぱり落として新たな年を迎え、心機一転、一念発起したいものです。

神荼・鬱塁

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