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風雅な格言集『幽夢影』を愉しむ~「情多き者は生死を以て心を易えず・・・」

情多き者は生死を以て心を易(か)えず、
飲を好む者は寒暑を以て量を改めず、
読書を喜ぶ者は忙閑を以て作輟(さくてつ)せず。


(清・張潮『幽夢影』より)

――真に多情な人は、生きようが死のうが、心を変えたりしない。
  真の酒好きは、暑かろうが寒かろうが、酒量を変えたりしない。
  真の読書家は、忙しかろうが暇だろうが、いつも変わらず本を読む。

「情」について

明末清初は、中国の精神文化史の上で、きわめて特異な時代でした。

明末には、一部の思想家や文人の間で、性情の解放が唱えられました。

朱子学に対立して陽明学が台頭し、人欲を去って天理を存する「理」の倫理に抗して、人間の自然な心情の発露を尊ぶ「情」の倫理が唱道されました。

そして、戯曲『牡丹亭還魂記』、怪異小説『聊斎志異』、白話小説『紅楼夢』などに代表されるように、明清を通じて、文学作品の上でも、「情」がクローズアップされた時代でした。

『幽夢影』の中には、「情」に言及したものが、上に挙げた一節以外にも、次のようなものがあります。

「情は必ず痴に近くして始めて真なり。
 才は必ず趣を兼ねて始めて化す。」
(情は、痴に近くてはじめて純真なものになる。
 才は、趣を兼ねてはじめて立派なものになる。)

「情の一字は、世界を維持する所以なり。
 才の一字は、乾坤を粉飾する所以なり。」
(情というものによってこそ、人の世が丸く保たれる。
 才というものによってこそ、天地自然が美化される。)


多情者不以生死易心
好飲者不以寒暑改量
喜讀書者不以忙閑作輟


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