見出し画像

私のすきなお酒

私は酒の中ではビールが好きだ。
父もビールが好きで、実家では毎晩、母が食卓に出すビールをうまそうに飲んでいるところを見てきた。
ところで田舎のアメリカの中年男性はバドワイザーなどのアルコール度数が比較的低い物を仕事が無い日は長い時間をかけて何本も飲むそうである。私は普段は大量に飲酒することはない。飲みすぎると記憶を無くしたり嘔吐することはないものの、顔はもちろん耳や腹まで赤くなり、翌日二日酔いはないが片腕が筋肉痛のように痛くなる。これは肝機能が弱い人に見られる症状らしく、片腕が痛いのは筋肉が破壊されている証拠らしい。将来の自分の身体の事を考え、飲むのは一日一本位にとどめている。
何故ビールが好きなのかというと気持ちよく酔える事と単純にビールの味が好きなところである。飲み込むと体中に多幸感が染み渡るのを感じ、何か今からでもできそうな気がしてくる。
またビールといえば「幸せの黄色いハンカチ」で刑務所から出所した高倉健が両手で実に旨そうに飲む有名なシーンを思い出す。あれはビール以外の酒では不自然になってしまうだろう。特に珍しくもない庶民的な存在である必要があるからだ。娑婆にいるときはそこまで有難がることもない、日常生活の中のささやかな幸せを噛み締めているのだ。
「賭博破戒録カイジ」の缶ビールを美味しそうに飲むシーンも印象的だ。ビールには労働者が飲む酒という印象もついていると思う。かく言う私も労働者の一人だ。そういえばビールが美味いと感じるようになったのも社会人になってからだった。関係ないがアメリカ人のラッパー ミヤチは、「祖国のビールは酔うまでに何杯も飲まなければならないのが嫌だった。日本のチューハイは度数が高く美味しいからすぐに頭がぐちゃぐちゃになれるからこっちのほうが好きです。」とインタビューで語っていた。私はすぐにべろべろに酔っ払ってしまいたいと思うことはあまり無いが、例えば仕事をこなしていく日々の中ですぐにでも忘れたい経験をした日の夜はすぐに酔いたいと願う夜もある。たしかにそういう日はビールでは物足りないが、それは私は毎日ではない。
二日酔いの朝や身体が酒を欲していない時、服に誤ってこぼしてしまった時等、不意にビールの匂いを嗅ぐととても気持ちのいい香りとは言い難い。酔っぱらっている時はそんな匂いには感じない。常に自分の感覚は一貫していると錯覚しているが実は自分で思っているよりも外的環境や体調によってシーソーのようにグラグラしているものなんだという事を再認識させられる。
私の父は今夜も飲んでいるだろう。父とは元々あまり共通点がなく、二人きりで話した記憶はほとんどない。今も父と会うと独特の緊張感と気まずさが漂う。もっと年を重ねて、気兼ねなく二人でビールを飲みに行くような日がくるだろうか。その時飲むビールの味はどんなだろうと考える。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?