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10代のパニック障害


#やさしさを感じた言葉

パニック障害に悩まされていた。

高校1年生の時、街などに行くと必ずパニック発作を起こすようになっていた。例えば店内等にいる時、特に誰かに何かされたわけではなくても皆が自分の事を視ているように感じる。するとすぐに眩暈がすると共に心拍数が上昇。顔の表面と身体が火照りだし、特に頭は激しく搔きむしりたいと思うほどに痒くなる。今この文章を書いている最中も、当時の事を思い出すとずーんと気持ちが落ち込む。パニックが起きている最中は目の前の空間がゆがんでいくように感じ、私が無神論者だからなのかいくら神頼みしてみても全く症状は改善しなかった。すぐにこの場を離れないと大変なことになるぞという気持ちになり、せっかくノートや文房具を買いに来ていたのに何も買わずに文具店を出て帰宅する羽目になっていた。その症状は家に入るまで続くので、私は見慣れた近所の何でもない道を、頭を搔きむしりながら、顔を真っ赤にして猛スピードで自転車を漕いでいた。家に帰ると一旦症状は落ち着くのだが同時に何も買えなかった事に落胆するのだった。

心療内科の待合室

両親には相談していた。母は最初、私のことを心配しつつも、気の持ちようではないか?考え過ぎでは?という意見だったような気がするが一向に私の状況が改善しないので、ある日カウンセリングを受けてみないかと提案してきた。当事私はあまり知識がないのもあって“病院に行って薬漬けになるのは嫌だ“という思いがあったがパニック障害に心底困っていたので母の提案にのって、二人で近所の心療内科を受診したのだった。
初夏だったような気がする。心療内科の待合室は当然だが綺麗に清掃されていて花瓶には花が飾られていたと思う。7,8人の男女が私と同じ様に待合室の椅子に座っていた。これも当然だが皆ちゃんとした清潔感のある身だしなみをしており、半分は20代くらい、もう半分は40代くらいだったような気がするが、はた目にはとても精神を病んでいる様には見えなかった。10代の私は、待合室はもっと、見るからに病んでいる人たちが貧乏揺すりをしながら診察を待っているものだと勝手に想像していた。

心療内科の先生

いざ自分の番が来て、母と一緒に先生の部屋に入った。60代くらいの小柄な女性だった。まずは、今どんな症状に困っているかを聞かれた。またそれ以外でも日常生活で困っている事を聞かれた。それからは、何が好きか、また何をしているときが楽しいと感じるか、といったことを聞かれた。
先生の雰囲気はとても優しく、心の余裕を感じた。私は自分の事を話しているうちに自然と気分が落ち着いていくのを感じた。冷静に自分自身の状況を把握することが出来たからだと思う。先生は終始聞く側にいて、何か意見を述べたりすることはなかった。だが自然と私がポジティブになるように話題を持って行ってくれたように思う。

その後


結局、『あの魔法の一言がきっかけとなって心が救われ、一気にパニック障害が治ったんです。』というような映画みたいなことは無く、具体的にどんな言葉をもらったかは私の記憶には残っていない。しかし、確実にあのカウンセリングによって私はポジティブになれたし、劇的に改善はしなかったものの悪化もせず、約1年でこの症状は出なくなった。
あの日のカウンセリングの先生には感謝してもしきれない。



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