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差別意識への恐怖


#多様性を考える

リアン・フェルフーフェン著、水島治郎、佐藤弘幸訳の『アンネ・フランクはひとりじゃなかった』を読んだ。

ヒトラーが政権を掌握した1933年、アンネの母親エーディトは、母国ドイツからアムステルダムに家探しにやってきた。物語はここから始まる。
ドイツは1940年にオランダを占領、そしてフランク一家が隠れ家に消えるのはその2年後だ。しかし潜伏までの約8年間、アンネは家の前のメルウェーデ広場を親友たちと「少女ギャング」よろしく闊歩し、小さな子供たちの世話をやき、隣人たちと豊かな時間を過ごしていた。
一方、アンネの親友たちとその家族はどうなったか。外国に脱出する一家もあったが、大半は拘束され、収容所に送られた。
外国に脱出する一家もあったが、大半は拘束され、収容所に送られた。
著者は、この広場でかつてくり広げられたユダヤ人住民の日常、祭り、迫害、密告、抵抗の一部始終を、元住民へのインタビューや史料の渉猟から再現する。大きな歴史を反映した、小さなコミュニティの物語だ。
(みすず書房ホームページより抜粋)

 この著作を読み、とてもじゃないが単なる過去の悲しい歴史のひとつとして、過ぎ去った事として読むことができなかった。昨今でもテレビやネットでは様々な有名人が公然と、それが優生思想と受け取れるような発言をしている。また経済格差は年々深刻化し、皆他人にかまってられる余裕がなくなっていっているのではないかと思う。当時世界恐慌で苦しむドイツ民衆の支持を受けナチ党が政権を握ったように、いつの間にかナチ的な考えを是とする空気感が出来上がっても不思議ではない。

 では次に生贄にされるのは誰なのか。私が懸念しているのは発達障害を持つ方々が今よりも強い差別にあうのではないかという事である。ASD、ADHDへの研究は進み、世間での認知度は上がっている。しかしSNSなどでは彼らへの不満、ヘイトを平然と発言する者が多い。例えばまるで玩具かのように彼らの特性を揶揄し、見下す事で自身の自己肯定感を歪んだ方法で上げようとする者。また仕事をする上でトラブルを起こしやすい彼らの存在を純粋に害悪ととらえ、彼らの存在自体を否定、拒絶する事が自身においても、また自分の会社や社会においても良いことだと本気で考えている者も多い。自分がいつそちら側に行ってもおかしくはないという事など露にも考えていないのだろう。
 WAIS-Ⅳ などの知能検査で、発達障害の傾向があるかどうかは誰でも数値化することができる。知能検査とは、個人の特性つまり何が得意で何が苦手なのかがどのような点(たとえば処理速度や非言語的抽象課題解決力など)に現れるか、知能や発達の水準を客観的に明らかにするための検査だ。今後より研究が進めば、より正確、詳細に診断を出すことができるようになるだろう。この知能検査を全国民に義務化したらどうなるか。
つまり映画「ガタカ」の世界に近い。先ほども述べたように人は経済的に困窮すると他者を思いやる余裕がなくなるし、目的や立場が上の存在からの指示であれば平然と残酷な行動に出る。

 我々にできる事は、今後優生思想を語る人間が現れた時、それが身近な人でも有名人や政治家だとしても、はっきりとNOを突きつけることだ。

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