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良き先生にであう

みなさんは何かを習う時
どんな風に先生を選びますか?

良き先生に出会うって
実は大学院で指導教官に出会うまであんまり考えたことありませんでした

それまでは、何かを学んだり習ったりすることって
先生の知識を受け取って自分の中に落とし込んで
後は自分がなんとか熟成させるだけだっていうような
なんか、かなりおおざっぱな考え方だったように思います

京都の院で出会ったその先生は1年の期限でNYCの大学から訪問されていました
私はちょうどそのタイミングでその研究科に進んで
ただなんとなくテーマが面白そうということでその授業を選択しました

初日のクラスはなんか度肝を抜かれる感じでした
とにかく面白い

シュルレアリズムと二次大戦後のアメリカ
女性の社会進出、ミソジニー
そして猟奇的殺人事件とフィルムノワール・・・
この全てがリンクしてゆく
わくわくするような知の世界が広がりました

ちゃんと目標をもって会社をやめたのだけど
でもやっぱりどこか冷め気味だった私にとって
それは爽快な花火が連続して打ち上がる刺激と
インスピレーションでした

今日はどんな世界が広がるんだろ?
毎週のそのクラスは本当にわくわくした
もっと頑張りたいと思ったし
こんな研究をしたいとおもいました

クラスで学ぶこと
先生(でもファーストネームで呼び合います)との会話
何もかもが新鮮でまるで命を潤すネクターのようでした

深く幅広い知識はもちろんのこと
その背後に深い人間愛を感じ、それにとても感銘を受けました

こんな風に人の痛みや悲しみに寄り添う眼差しを持ちながら
文化をひもとくことができるんだなぁって
すっかり文化研究の印象が変わったぐらいです

1年が過ぎ、先生はNYCに戻られ
私は父の死を経て、不思議な導きでNYCへ行くことになりました

先生って呼んでますが上下関係というより友人という感じです
留学中は私の mentor として支えてくださり
そして、学長でありながら例外に論文指導もしてくださいました

その後、私はヨガへと大きく舵取りをするのですが
歴史や背景、東洋思想の研究、資料が見つかるところ
NYCのスタジオのことまで
いろいろとアドバイスをもらいました

研究のことからアートやトレンド
今興味を持っていることや近況に至るまで
カフェでいろいろな会話を交わしたことを思い出します
それらの会話が私にたくさんのものをもたらしてくれました

先生で
そして大切な友人




素晴らしい先生との出会いは人生において宝物だなと思います

振り返ってみると
それ以降も、私は良き先生たちに巡り合ってきたように思います

ヨガはもちろんのこと
漆やカヤックそしてスキーの先生たち

こんな風に世界を眺め
こんな風に世界と関わる人がいて
そしてあまたの中から
私はこの人たちに出会うのだなぁって思いました

どの先生も私にはその知識や技術もだけど
人としてとても魅力的なのです
そして何より、自然体でリラックスした私がその場にいました

その人たちの姿勢から受け取るものが多く
それが私自身を引き上げることにもつながっています

この先生からも学びたいという気持ちが強くて
ここ数年でいきなり多趣味になりました




良い先生の定義って人の数だけあると思います
だからこれは私にとっての・・・という限定つきなんですが
「これ続けたいな」と思う理由はなんだろうな?と考えてみました

教えてもらうことが面白いとか
できるようになるとかも大事ですが
その先生と過ごす時間が自分にとって大切というのが大きい気がします
その先生が私のインスピレーションの源になっているのですね

先生が生徒のことをよく見ているというのもあります
私の体力や技術、性格や感性、そして今の状態などを良く見て
その上で導いているという感触があります
それを受け取れるのも、そこに信頼があるからだと思います

自由に試す余白があること
また、背中を押してもらえることも大切です
ゆだねることと踏み出すこととがほどよく調和している
そのような学びの場を心地よいなと私は感じます
(私もそんな先生になりたいと思います)

これは私が魅力的に感じる先生像です
私はこんな先生たちが好きですが
みなさんにとって良い先生ってどんな先生ですか?

ヨガの指導に携わっている人は
そんなことをちょっと考えてみてもいいかもしれないです
それは何度となく訪れる揺らぎの時に
ヒントをもたらしてくれるんじゃないかと思います

今年は叶いそうにないですが
来年あたり、海の向こうの先生たちに会いに行こうと思います

ようやくです

OM