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災害とともに3

被災地と言われることも、言うこともあまり快くないと思っている私です。
それでも、あえて使わなきゃならないときもあり…ボソっと「被災地」と言うときもあります。
被災者とは、多分言わない。被災された方とは言うかもしれないけど←何のこだわり?と思われるかもしれないけどずっと言われて嫌な言葉だったから使いたくないだけなのです。
ちなみに「絆」は、もっと嫌いな言葉笑

前置きはさておき…。
弾丸低気圧がくると言うので、本当に避難所や避難所にいない方々が心配ですね。
うまく暖が取れてるんだろうかとか、小さい子供や高齢者が凍えていないかとか…。
体調の崩しやすい環境には、変わりないはず。

発災当時、難病のご利用者を抱えてた事業所でしてが…人工呼吸器もあり電気のない自宅では生活できず一時的に老健に入所をした方もいます。
そんなことも含めて、発災当日から落ち着くまでの訪問の記録と対策を書いてみたいと思います。

2011年3月11日
14時46分 発災

大きな地震が起き、現場へ行ってるだろうヘルパーの安否確認と現場の様子、ヘルパー自身とご利用者、その家族へ怪我がないか報告することを伝える。
☆このとき、以前から地震のたびに電話が、繋がらないことを知っていた私は最初からメールでのやり取りを行なっていた。この知識が、後々素早い判断につながっている。

そして、現場のヘルパーへ必要であれば時間を延長し片付けや怪我等の対応を伝え記録は持ち帰るように指示を出す(まずは、ヘルパー自信も家庭への確認や帰宅を促すため)。

サービス提供責任者の私は、その後夕方のサービスは中止にすることを安否確認をしながら利用者宅を回る。
ただし、どうしても行かないとどうにもならない方の訪問はサービス提供責任者の私が訪問。

翌日の早朝サービスもサービス提供責任者が訪問。そのまま安否確認し、ヘルパーを自宅待機にする。

安否確認の中で、必要な人のとこで行ったことは、後々サービスと認めてもらい請求可能だった。
私は細かくメモで、どこで何をしたのか書いていたので役に立った。

自宅待機を指示していたヘルパーから、勝手に安否確認に回ってきると報告を受けオムツ交換しての依頼があったから実施したと報告が入る。

ご丁寧に記録も書いたと言っていたので、再度各ヘルパーへ連絡し発災当日の訪問と時間、それ以外で訪問しているか確認しメモでまとめる。

後から、記憶は曖昧になると思い業務日誌のように訪問したヘルパーと時間、延長や提供表と違う時間かどうかの把握を行う。

その後、原発が爆発💥
避難の状況が変わり、福島県相馬市は逃げないという判断となる。

まとめ
発災当日から、事業所が再開するまでの利用者宅訪問は、ケアプランと違う、時間が違うという理由であっても後に請求ができた。
なので、サービス提供責任者は大変だろうけど細かくメモをして誰がどこを訪問し何をしてきたのかが必要である。
お金の話?となるかもしれないけどヘルパーが現場で自分や自分の家族よりもご利用者を優先にしたことには当然対価をいただくことだと強く思う。

この時の気持ちや、やるせなさは以前ブログでその時に伝えているので省いているけど混沌とした中で、家族の安否よりも現場を優先してくれたスタッフたちには今でも頭が下がる思い。

そして、自身も命からがらだったにも関わらず職員の中で1番被害が出ていた私に「大丈夫だった?」と声にならない言葉で心配してたよと言ってくださった方々に心から感謝を伝えたい。

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