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災害とともに

私たち介護職は、レスキュー隊でも自衛隊でもない。
もちろん、被災していれば同じように被災者。
それでも、命の助かったご利用者の生活を守る役割もある。
守ると言う言葉が妥当かわからないけど、被災してその後の環境が変わるたびにその生活と共にする役割はある。
快適とはいかないけど、なんとか命が繋がるような環境を作っていかなきゃならないと思ってきた。

それでも、今石川県では崩壊しそうな家屋に住んでる方も多いと聞く。
そこに、ヘルパーを訪問させるかという問題もでてくる。
管理者なら、頭の痛い現実。
東日本大震災後、うちのヘルパーに震災当時何が不安だったかアンケートをとりそれをもとに災害マニュアルを作った。
それを開くと「家が流されてる!」と悲痛なヘルパーの叫び声を思い出す。
安否確認にちょうど繋がった電話から、自宅が流されてる声だった。
自宅が流されてるから、夕方のサービスいけないし車も流されてヘルパーバックも流されたという。
パニックだったんだろうけど、律儀な連絡だったなぁと今なら笑える。

昨日の事務連絡にもあるように、発災当時からその後の安否確認、その時の支援は後から記録に残しておけば請求ができる。
また、その間のケアプランは後からでも良い。
まして、個別援助計画書なんて落ち着いてからで良い。
でも、メモで良いからその時の訪問記録は残しておいた方が良い。
どこにいって、何をしてきたか…。
それだけで良い、後から記録に残しておけば良い。
請求ができるようになったら伝送すれば良い。
相馬市は、包括が避難所になったのでケアマネさんとの連携は難しい状態だった。それまでの関係性もあったからおおよそのことは事業所に任された。
それも、良かった。

でも、落ち着いたら報告できるようにサービス提供責任者はまとめておいた方が困らない。

昨日、訪問介護の報酬単位が下がった書類を見た。
それを見た、被災したヘルパー事業所の皆さんが心折れてしまうんじゃないかと悲しくなった。

コロナの時だけじゃなく、また国はヘルパーを見捨ててしまうんだろうか…。


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