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桜を見ながら人生を悟る。

こんにちは。今日は大雨と強風ですね。
今日が入学式でなくて良かったなと思いながら、今日入学式の人もいるかもしれないし、何だか春は荒れる時があるので困りますね。
今日、新学期1日目の方もいるだろうし、新生活を送ってまだ数日の人もいるだろうし、自然の力には逆らえないと思う今日この頃です。

桜というと日本中が花見やら桜前線を楽しみにしていて、日本は平和だなぁと思いながら日本に住んでいることのありがたみを感じています。
週末は目黒周辺は人が多くてみんな目黒川の桜を楽しみにしてお出かけしていて、花を見に行くっていうのは素敵な行為ですね。四季がある日本だからこそ味わえる楽しみの一つなのでしょうね。

最近は、今年46歳になる事を色々考えることがあります。昨日も呟きましたが、頭の中は大人になりきれていない自分がいて、大人になるって何なんだろう?と思ってみたり。子供の時はバーで赤い口紅をつけた落ち着いた女の人がお酒を飲むイメージだったけど、そんな余裕もお酒も飲めない私がここにいて、私の子供の頃に思っていた「大人イメージ」はただの幻想だということがよくわかりました。バーになんて一人で行かないし、行ったとて多分烏龍茶とか、オレンジジュース等を飲むんだろうから、バーボンとかウイスキーとかカクテルなんて飲めないし、そういう雰囲気だけは好きだったし憧れていたけど、現実は程遠い暮らしを送っています。

46歳か、母が77歳と言う事でいつまで経っても私は子供だし、親がいる安心感があるけど、いつまでも一人立ちができていないようないるような複雑な気持ちです。(精神的に)

毎年、楽しみにしている桜もあと何回見てるのだろうかと見れるうちは沢山見て楽しみにしています。今年は例年よりも遅かったから硬い蕾を見ていつ咲くのかと楽しみにしていたけど、咲いてしまうと終わりが早くて何だか少し寂しい気持ちになります。昔は大人になるのが待ち遠しくて親から離れて海外に行ったり、好きなことをして過ごすのが夢でもあって憧れでもあったけど、何でもできる自由さを手に入れると不安になったりと、不思議な気持ちですね。人はないものを求めるけど、手に入れると不安になったり罪悪感すら湧き出てきたり、素直に喜んだりしたらいいのに素直になれない自分がいて自分がとても面倒臭い人だと思ってしまいます。

桜を見ると嬉しかったのに、少し寂しい気持ちになるようになってしまいました。一年が終わってしまった。そんな気持ちになります。人の人生は短いようで長いような、インターステラのように3時間が三年のように星によって時間が変わったりと、この地球で生きて時を刻んで生きていくってきっと地球からしたら一瞬の時間かもしれないけど、私たちはこの大地に足をついて生きていて、呼吸をして太陽を浴びて水を飲んで食物を食べて生きている。桜を見ているだけでそんな気持ちになって、人生まで行き着いてしまって、あと何回この景色を見られるだろうかと欲がそちらに行っている感じです。海外に行くとかそう言うことよりも、この当たり前の景色に感謝が止まらなくてしみじみしてしまいます。

今日のこの嵐で散ってしまったら残念だなぁと思いながら桜に思いを馳せるのでした。

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