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私は本当に愛されていなかった?〜『家族』と『愛』について考えてみた話〜

noteを読んでいると、家族との関わりについて悩んでいる人が世の中には沢山いるんだな、と思う。

その人が本当はどう思っているのかは、記事の端々から溢れて出ている。親に愛されなかった。兄弟と比べられて苦しかった。親は私にだけ厳しく当たって辛かった…。

そんな時、大抵人は自分の心を守るために攻撃を始める。「親(兄弟)が悪かったのだ」「酷い親だった」。逆に「私が悪かったから」「私がいい子じゃなかったから」。
愛されなかった、愛されたかったと、その人の中の小さな子供が傷つき、涙を流している。
読んでいて、胸がきゅうっと苦しくなる。


私の場合は、「ずっと親に放任されていて、いくら頑張っても褒められた事がなかった」と「やりたい事はいつも反対された」が、ずっと心の中にあって苦しかった。

ごくごく普通の家庭だったと思う。銀行員の父と、専業主婦の母。食べるのに困った事はなく、不自由のない暮らし。それでも「両親から愛されている」という実感はずっと得られなかった。

それが、自分が親になって、子供の立場から親の立場へと視点が変わることで、最近やっと考え方が変わった。親は完璧な存在ではなく、苦悩を抱えながら生きているただの人間だったのだ、と。


☆☆☆☆☆☆☆


私には2才上の兄が一人いる。初めての子供、男の子。兄は私より繊細な性格なので、両親も何かと気にかけていたようだった。
2人目として生まれた私はあまり手がかからない子供だったようで、それもまた「放任された」と感じた一因だったのだろう。
さらに当時父はまだ2人目を考えていなかったのに、母は早く2人目が欲しくて父を騙して産んだ、という話も早くに母から聞いていて(お母さん…汗)、「父は私をそんなに必要としていないのでは」と考えるようにもなった。


兄とは子供の頃は仲が良く、私は常に兄の後にくっついて、兄の友達に混じってよく虫採りなどに連れて行ってもらっていた。兄と意気揚々と虫採り籠にヘビ(毒なし)を入れて持って帰り、「すぐに返して来なさい!」と母が悲鳴をあげた事も、今ではいい思い出…(笑)

でも小学校に上がると、兄は友達を優先するようになり、1年生になりたての私に「もう一人で行けるだろう」と言って、ある日を境に私の面倒を見てくれなくなった。今なら妹をいつまでも連れて歩くのは恥ずかしかったのだろうとわかるけど、ずっと兄にベッタリだった私はかなりのショックを受けた事を覚えている。それまで私はずっと兄の後に隠れ、兄に守られていた。

中学生になり、兄は書いたような思春期に入り、家族への無視が始まった。時には私と血を見る喧嘩をすることもあった。男女別とはいえ、私が兄と同じ部活に入ったのも嫌だったのだろう。

高校生になっても特に関係は変わらなかった。親とすれば、兄妹同じ高校になって色々楽だったと思うが、兄からすれば自分が懸命につけた道筋を、後から来た妹にやすやすとトレースされ、本当に嫌だったと思う。

多くの長兄、長女は苦労しながらコツコツやっていくが、下の子は上の失敗を見ているので大抵要領がいい。でもその代わり、失敗に対する免疫が薄かったり自信がなかったりする。

兄は今、自動車の整備工をやっている。昔から好きだったことをきちんと仕事にして、一途に続けている兄を、私は尊敬している。
父と兄は、兄の思春期に関係を拗らせて以来ずっと距離があいているが、高卒から最後まで銀行員を勤め上げた父と兄はそっくりだと思う。

大人になってから、兄は優しくなった。というか、元々兄は、本当はずっと私に優しかったのだと思う。単純に、私が兄を悪者にしたくて、その記憶を都合よく忘れていただけなのだと思う。
昔海で私が溺れた時、真っ先に兄は必死に私に向かって手を差し伸べた。あの時の兄の真剣な顔を、今でも覚えている。


坂爪圭吾さんは、「家族の問題を解決すると、人生はボーナスタイムに突入する」と書かれていた↓

その通りだな、と思う。全ての人間関係は、家族関係から起因している気がする。


子育ては誰もが初体験。親からしてもらったことをトレースするしかない。

虐待を受けた人が、自分の子供に虐待してしまうのはある意味仕方がないことだと思う(※決して虐待を容認しているわけではありません)。親から子供の愛し方を教えてもらっていないから、子供の愛し方がわからない。そこに気づかない限り、延々と負のループが続いてしまう。


私の場合、親は自分に対して「放任」「心配からくる過干渉」をしていたのだと思っていたけれど、いざ自分の子供が不登校になった時、子供に対して自分は親と全く同じ事をしていたのだと気づいた時、愕然とした。

でも多分、これは自分の親からスタートしたことではないのだろうと思う。
父は3兄弟、母は5姉弟。それぞれの祖父母は戦中、戦後を生き抜くためだけでも日々必死で、子供達一人一人に目を配ることは難しかったのではないだろうか。だからそれは、誰にも責められることではないと思う。
現に母方の私のいとこ達は、引きこもりや精神病になっている。母はうちが1番平和ね、と言っていた矢先に孫達の不登校。ここまで来ると、『家族との関わり方』が一族のテーマなのか?と思ってしまう。

でももういいかげん、この「負のループ」を終わらせてもいいのではないだろうか。

自分が親になってみて初めて、子供に毎日ご飯を食べさせて、安全な住まいを提供し続けるというだけで、大変な労力だとわかる。でもお互いにそれを「当たり前」だと思っていると、それ自体が大きな愛であることに気づかず、また、忘れてしまう。


人は自分を守るために、いとも容易く自分の愛する人や自分を愛してくれている人を悪者にしてしまう。そして自分を被害者にして、安全な自分の檻に逃げ込んでしまう。

母が私を「放任し、褒めなかった」のは、いつでもしっかりしているからと、私をただ信頼していた証だった。
父が「私のやりたい事に度々反対していた」のは、突拍子もない事をいつも言い出す私を心配し、本当にそれをやり遂げる覚悟があるのか、と問うていただけだった。

私が欲しかった愛の形と、親が渡した愛の形が違っていたから、ずっと受け取る事が出来なかった。でも、親はずっと私に愛を渡し続けていた。

都合良く、自分の中で改ざんされたり、取りこぼしてしまっている楽しかったはずの思い出達。
ただ忘れているだけで、本当はきっとそこにはたくさんの愛が詰まっていたはず。

人は誰しも『自分が正しい』と考え、間違いを認めたくないもの。自分の間違いを受け入れることは、とてつもない苦痛を伴う。

でも、人間は皆元々、『愛』で『光』の存在とするならば。喜怒哀楽の全てが愛に由来していて、起こる出来事に良い悪いもなく、世の中の全てが調和がとれていて、完璧なのだとしたら。

受け入れ難い出来事でさえ、自分が『愛』に気付くためのもの、必要だった事になる。

あの時、私がもし父だったら、母だったら。兄だったら、弟だったら、姉だったら、妹だったら…。
『平面』だけで見ていた出来事も、『立体』で見直すと、違った見え方をすることがある。


家族はチーム。近すぎる存在だからこそ、愛を受け入れてもらえないと、逆に憎しみを抱いてしまうことすらある。でも、それさえも、自分が『愛』に気づくために敢えて『悪役』をやってくれているのだとしたら…?

自分の放ったものが映し出される『鏡の法則』。善意には善意が、悪意には悪意が。それは、因果応報、反省すべき事というより、「あなたはあなたの事をこう思っているんですよ」というお知らせなのだと思う。自分を愛する、という事を思い出すまで繰り返えされる、宇宙からの愛。
それに気がつかないでいると「まだ気づかないの!?」と、病気とか破産とか、どんどん学びが劇的ハードモードになっていく。怖い。

鏡は先に笑わない。
それなら自分が先に許せばいい。
負けるが勝ち。

家族からの愛に気づかなかった幼い日の自分。
家族を愛せないと自分を責めてしまう自分。
家族から愛されたいと諦めきれない自分。
家族を憎むことを止められない自分。

もう何もかもを許してしまえばいい。
もう誰も悪者にしなくていいんだよ。



家族は仲良くしなくては、と思って苦しくなる人もいるし、どうしても気が合わなくて、離れていたほうがいい相性の場合もある。

やり方は人それぞれ。許してもいいし、許さなくてもいい。でも本当は、心の奥底では『仲良くしたい』って思っているなら。

面と向かって言えなくても、心の中で『ごめんね、ありがとう』って言えばいいと思う。もし相手がもうこの世にいなくても、その気持ちは必ず通じると、私は思う。

自分の中の、愛も憎しみも悲しみも喜びも。
潔く、全てを受け入れてしまえ。
そうすればきっと、人生のボーナスタイムが待っている。

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