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石切劔箭神社に行ってきました

先週末、家族で石切劔箭神社に行ってきた。

残念ながら、出発間際に息子(小6)が寝冷えしたのか咳き込み始め、体がだるそうなので、出発前に急遽お昼ごはんを用意してからのお留守番。
1人でゆっくり映画見とくって。
(石切神社は急勾配の坂道。無理は禁物。)
また元気な時に一緒に行こうね。
娘(中3)の方はお出かけ大好きで、今日もうきうき。特にお昼ごはんを楽しみにしている様子(笑)


石切劔箭神社には、私は過去2回ほど行ったことがある。初めては夫の母親(義母)と夫の家族7人で、2回目は夫と2人で。

夫の父親(義父)は夫が高校生のときに病気で亡くなった。また、夫の母親(義母)はガンを患い16年前に亡くなった。
義母はとても信心深い人で、御墓参りはもちろんのこと、四天王寺でも頻繁に先祖供養をしていた。また、亡くなった夫の親族の何人かが一心寺にも納骨している。夫が過去に何度も事故にあったり、車に2回轢かれても、怪我もほとんどなく死ななかったのは、多分義母のお陰だと思う。


石切神社は『デンボ(腫れ物)の神様』として有名で、ガン封じにもご利益が高いと言われている。
義母のガンが発覚した時、何か出来ることがないかと、私と夫と2人で石切神社でお百度を踏んだ。

しかし1年にも満たないの闘病の末、義母は亡くなった。父親を亡くした後、母親と兄の家族3人で支え合ってきた。最愛の母親を失った夫の落ち込み様は、見ている方もとても辛いものだった。
『あんなにも信心深かった母を、神様は助けてはくれなかった。』夫は神様に対して、強い怒りと深い悲しみを抱えていた。そしてそんな自分自身さえをも、ずっと責めて続けいた。そんな中、義母が亡くなってから半年後、長女が産まれた。
夫と私は、義母からのギフトだと思った。

長女を育てていくことで、夫は少しずつ癒やされていたのだと思う。母親を失った悲しみが減ることはないかもしれないけれど、育児で忙しく日々を過ごすことで、本当に少しずつ、徐々に徐々に普段の生活に戻れたのだと。
それでも、母親との思い出が色濃い場所には、まだまだ思い出すのが辛いようで、長い間ずっと行けずにいた。

年月が流れ、あの時産まれた長女ももう15才。
夫の中で、まだやり切れない気持ちはあるものの、石切さんにお礼参りに行っていないことが、ずっと心の片隅にあり気になっていて。
それなら思い切って行ってみない?と言ってみたら、「月命日も近いし、じゃあ言ってみようかな…。」と言う事に。


スマホでグーグルナビを設定し、主人の運転する車でいざ出発。外は秋晴れ。

高速に乗り、順調な道程…と思いきや、話し込んでいて気づかず、そんな時に限ってグーグルナビも分岐を教えてくれない。そうこうしている内に、全然違う出口で高速を降りてしまう。
…ここはどこ?
家族は全員方向音痴(汗)

何回ナビを設定しなおしても、間違えた時と同じルートに案内される。もぉなんでよ〜。
道程の半分以上は進んでいたので、もう下道で行く?と高速を使わないルートに再設定。

家を出たのが朝10時過ぎ。
予定では、1時間程でもう現地にいるはずなのに、
なんだかんだでもう12時前。お腹が空いた。

…お腹が、空いた?
そういえば、昨日娘が「ガストに行きたいな〜。」って言ってた。多分石切神社のお店の何処かで食べるから、今回は行かないよって言ったけど。
スマホの地図を見てみた。
後5分この道走ったら、ガストがある(笑)

え〜っ!ガストあるの?
喜ぶ娘。眼の前を通るのに、嫌とは言えない。
そして全員お腹が空いた。
仕方ない。それじゃあ、行こうか(笑)

お店に入ると、うちの家族でちょうど満席。
今日もツイてる。
ポテトも頼も〜♪とご機嫌の娘。
昨日、ファミマのポテトも食べたいゆうてた。
でも最近食べ過ぎやから、また今度…って。

もしや、娘の願望を叶えるために、グーグルナビが共謀して…?(笑)これは娘の具現化の旅なのか。

どこのガストかわからんまま、わけわからんと家族で楽しく昼食。それもまぁいいか(笑)

食事を終え、お腹も満たされ皆ごきげん。目的地の石切神社まではナビで後約15分程。
もうすぐ着く…はずだった。

最近家族でお出かけする時は、助手席には娘が座る。景色が良く見えて気に入っているらしい。
なので、娘にナビを頼むこともある。
さっきグーグルナビがバグったため、念の為車のナビもセットすることにした。ただ、中古で買った車なので、搭載されているナビの情報がやや古い。
距離もあと少し。石切神社は過去に夫が何度も行っている。グーグルナビもあるし、大丈夫じゃない?と気楽な感じで出発した。

あと5分程で現地というところで、2つのナビが相反する道を案内した。急に始まる新旧ナビ対決。
右折か、直進か。
さっきのバグで、グーグルナビは信頼を失っていた。今回は、車のナビで行こうとなった。
これが間違いの始まりだった。

走れば走るほど、道がどんどん細くなり、山の方向へ向かっていく。とうとう対向出来ない道幅になり、どう考えても住宅街に迷い込んだ。
戻りたいのに、そんな時に限って後ろから地元民らしき車がピッタリ後を走っている。もはや進むしか道がない。ここどこなんよ。

物凄い坂が続く。通り過ぎた小学生の集団も、ほとんどが電動自転車に乗っている。ここに住む人々は凄いな〜。年をとっても足腰強いんだろうなとか思っていたら、車ではもうこれ以上登れないところまで来た。車のナビを見てみたら、『石切なんとか観音』に設定されていた。小さな駐車場横に、小さなお社があった。まさかの石切違い。
いや、着いたけども。
娘よ…そもそも設定間違えてるよ(涙)

石切神社にナビを合わせ直し、なんとかかんとか、もと来た坂道を下っていく。石切の商店街のある参道が見えたが、車は入れない。もうゴールはそこに見えているのに…(涙)

仕方なく、近鉄石切駅の近くの駐車場にナビを再設定。今度は辿り着けたのに、駐車場が満車。
駐車場が空く気配ゼロ。
流石に普段は運転好きの夫にも、疲労の色が色濃く見えている。娘の顔にも疲れが見える。

なぜこんなにも辿り着けないのか。
私達はもしや神に嫌われているのだろうか…?
今日はもう無理ではなかろうか。永遠に到着しないのではという気持ちになってくる。
もう時間は午後2時過ぎ。

家族全員、絶望的な気持ちになりながら、最後にグーグルナビで、石切神社南駐車場にナビをセットする。これで着かなければ、今日はもう諦めよう。

ぐったりした3人を乗せ、再度車は走り出す。
2つのナビが対決した道まで戻ってきた。
正解は…まさかの左折(笑)

3分ほど走ると、見覚えのある大きな鳥居が見えた。とうとう着いた!駐車場だ!
この瞬間、地の底を這っていた3人のテンションが爆上がりした。ありがとうグーグルナビ。やっぱり君なんだな。疑って本当に悪かった…!

昼過ぎの変な時間に着いたので、駐車場は混んでいてすぐには入れなかった。でも10分ほど待つとあっさり車を止められた。後にはまだまだ車の列が続いている。もう午後2時半(笑)

※皆さん、石切神社に車で来る際は、くれぐれも『石切神社』ではなく『石切神社駐車場』でナビをセットしましょう(笑)



ひとまずトイレ休憩後、本堂へお参りに行く。16年振りの石切神社。色んな所が改修されていたり、キレイになっている。

お百度参りが懐かしい。
この日も沢山の人がお百度参りしていた。

夫が義母といつも回っていた順番でお参りしていく。確かこっちにあるはずなんだけど…と、夫がどんどん歩いていく。
本堂からかなり坂を下り、こんな所にお参りするところがあるの?といった場所に小さな休憩所のような建物があった。通称『首無し地蔵尊』。頭痛、めまいなどのご利益があるらしい。

居心地良過ぎるねって言ってたら、
ちゃんと『昼寝はご遠慮下さい』って書いてあった。

戻って、参道の坂道を登って行く。
夫がお店を見る度、オカンとここでよくご飯食べたなとか、買い物したなとつぶやいている。心が義母さんとともに、過去に旅行に行っているよう。

石切参道には参る所が多すぎて、全部まわったらお賽銭貧乏になりそう(笑)占いのお店もめちゃめちゃ多くて、噂によると坂の上になればなるほど、占い師の腕も高いらしい。(あくまで噂です。)夫も昔義母と一緒に占ってもらったらしいけど(結婚相手と、新居の間取りを視てもらった)、お店の場所は覚えていないらしい。残念。

参道の真ん中辺りを過ぎた頃、普段運動不足の母と娘がへばり始める。
やばい、膝が若干笑っている(苦笑)
娘に、まだピチピチの15歳なんやからママに負けてる場合やないで〜とハッパをかけると、まだママには負けたくない!と負けず嫌いな面を見せる娘。
2人でヤバい〜ヤバい〜と言いながら坂を登る。

その間も、過去に旅行中の夫が後ろの惨状に気づかずどんどん先に歩いていく。
石切大仏さんに到着した。

迫力の大仏様。
空気が清々しい。

ここでついに、娘がギブアップ。
スイーツでエネルギーチャージが必要だと訴えるので、坂を下りながら途中でソフトクリーム休憩。
気がつけば丁度、おやつの時間だ。
普段私はあんまりソフトクリーム食べないけど、疲れ果てたこの時のソフトクリームはめちゃウマだった。北海道が、五臓六腑に染み渡る。

帰り道すがら、家でお留守番の息子の為に『なると屋』さんでお味噌を買うことにした。息子は味噌汁が大好き。こちらの味噌蔵は淡路島にあるらしい。

a.s.m.t☆真実さんが店の詳細を教えてくれました。
ありがとうございます。無事買えました♪

息子の好みの田舎味噌(中辛)と塩麹を手に取った後、甘酒って体に良さそうやけど、使い方がよくわからないな〜と、とりあえずお店のおばちゃんに使い方を聞いてみた。
お砂糖の代わりに煮込み料理とかに使うと、料亭のような上品な味に仕上がるらしい。おばちゃんも、お客さんが来る時はよく使ってるんだって(笑)

(ミニレシピもくれたので買ってみて後日使ってみたら、家族全員のお通じが快適に…笑)

せっかくきたので、最後に夫の好きな名物『石切おでん』も買ってみた。こちらも味がシミシミですごく美味しかった。

持ち帰りはちゃんと真空パックにしてくれた
ここのおばちゃんも楽しくていい人だった。

無事に来れて、良かったねといいつつ、車に乗り込んだ。マジで本当に、着いて良かった…(涙)


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夫の中には、まだ色んな気持ちがあったようだけど、とりあえず1つの区切りにはなったよう。

久しぶりに石切神社に来て、もういないはずなのに、何故かそこかしこに義母の気配がするような気もした。

私も一緒に歩きながら、もう、少し薄れてしまいつつあった義母の記憶を辿っていた。


夫の実家に行くと、いつもニコニコ笑顔で『いらっしゃい』と出迎えてくれた。優しく思いやりがあって、いつも周りに人が集まった。
病気になってからの、辛く悲しみに満ちた顔。
最期の時、もう意思の疎通は出来なかったけど、お姉さんの声に反応し、その頬に伝った涙…。

今だに、『もっとしてあげられる出来る事があったはず』と後悔する気持ちはなくなることはない。悲しみは悲しみのままで、『いない』と言う事に慣れてきただけなような気もする。

特に夫は、義母に新たな治療をするかしないかの決断を病院側から迫られた時「する方」を選んだことで、自分が母の寿命を縮めたのだと、未だに自分を責め続けている。
私は義母と同じ「母」である目線から、夫にはもう自分を責めて苦しまないで欲しいと願う。きっと義母も、自分の事で息子が苦しむ様子を見たくはないだろうし、心配しているのではないかと思う。



義母は夫に、本当にたくさんの愛を与えた。
義母は夫が大好きで、夫も義母が大好きだった。
その愛は、ずっと夫の中に、今もある。

娘と息子は、義母と義父には会えなかった。もし今会えたら、どんな話をするのだろう。永遠に叶うことのない夢だ。でもきっと、いつもどこかから見守ってくれているんだと、私は思う。

























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