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私のお香と香道の先生の事(簡易版)

「madokaさんが香道を始めたきっかけは?」
「お香の流派は何ですか?」
「どちらの先生にお香を習ったんですか?」

初めての方とお会いする時や、お香に関する質問を受ける時、これらは非常によくある質問です。
必ずしも香道に限った事ではありませんが、お香はどの様な師から伝授を受けたのかといった芸の系譜が重要視される分野でもある為、それなりの説明も必要といえます。

とはいえ、先生から「お香の世界に多い面倒臭い人達が自宅を兼ねた教場に押しかけて来たら嫌」とのご希望もあり、公にはぼかしておき、真面目にお香を嗜んでいる方など、お伝えしても差し支えないと判断した方々に個別に詳細をお伝えしたり、教場に来て頂いたりしておりました。

喜佐子先生は何年も前にお隠れになっていますが、他の先生方も数年前に高齢の為にお香を引退なさって、面倒な人が先生のご自宅に押しかける懸念も無くなった事、この手の説明を何度もする必要がある事から、事前に参照いただけるものを用意しておいた方が分かり良いと考え、この機会にブログにもある程度の情報をまとめておくことにしました。

※note(ブログ)なので簡易的な記事になる事、現時点では一部ぼかしてブログに書く必要のある部分も、最終的には私の頭の中に留めたままあの世に持っていっていいものばかりでも無く、後世の資料として残す義務がある内容も多く含まれる事(先生方から伺ってきたお香についての考え方や、お道具に関する約束事、戦前戦後のお香や香道関係者に関する逸話等)から、折を見て本か何かにまとめておく必要があると考えている為、現時点でお伝えできる範囲を記載した簡易版としてご覧いただければと存じます。

偶然、寄り道した骨董屋さんで誘われ、香道を始める事に。

お香を始めたきっかけは本当に偶然でした。
幼い頃から親に厳しい香道の英才教育をさせられたとか、香り好きが高じてお香の先生の教場の門を叩いて回ったとか、そういった「いかにも」な経歴ではありません。

小さい頃からポプリを自作するくらいには香りも好きで、お茶を習ったり、美術(何でも好きですが特に和の古美術)が好きで見に行ったりはしていましたが、香りや芸術に関心はあっても、自分でお香の先生になろうと考えていた訳ではなく、ただ好きで楽しんでいました。

ある日、偶然通りがかりにあった骨董屋さんに寄り道して入ってみて、お店の方と色々と話し込んでいる内に、「貴方、お香をやってみない?」と誘われて、楽しそうだから行ってみようと、非常に軽い気持ちで訪ねたのがきっかけです。
その時の世間話がどうもスカウト?の審査のようなものを兼ねていたらしい、という事は後になってから知りました。

最後の将軍と、長州藩主の孫同士が作った秘密の教場でお香を学ぶ。

そうして、あまりよく分からずに訪ねたのが、榊原喜佐子先生、戸田雅翹先生と、もう一人のα先生の3名で作った香道の教場で、偶然にも先生の家で嗜んでいた御家流のお香を学ぶ事になりました。

3名のうち次の2名の先生方は、既に公の場でもご自分のお名前を出している方々ですが、最後のお一人のα先生は、他の先生よりも仮名へのこだわりが強い為、現状のブログという場ではまだ暫く伏せておく事にしました。
(三者いずれも、以前からお話しても差し支えないと判断した方には個別にお伝えしています。)

榊原喜佐子先生は、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜公の孫、高松宮喜久子妃殿下の妹として生まれ、第六天のお屋敷で育てられた方です。徳川四天王とも称される高田藩主・榊原家にお輿入れしました。戦後は作家としても活動し、ベストセラーにもなった『徳川慶喜家の子ども部屋』等の複数の著書を出しています。そうした喜佐子先生のご縁で、高田城開府400年記念事業の香席も後援致しました。

戸田雅翹先生は、泉涌寺の御陵(孝明天皇のお墓)内の石碑に名が残る山陵奉行・戸田忠至の末裔の戸田家に生まれ、子供の頃からご家族の茶香や馬術等を嗜んできた方です。お祖父様が長州藩主毛利家本家の当主なので、先生も戦前から高輪のお家や本邸等でもよく遊んでいたそうです。
そのご縁で、戦前によくお香を嗜んでいた場を特別にお借りして、平成後期に毛利本邸での香筵も開かれました。

※注:泉山御流と称する香道の流派が新設されていると聞き及んでおりますが、当方とは無関係です。また、香道のWikipedia等に泉山御流は江戸時代から続く香道の流派と書かれていますが、相応の根拠を存じ上げません。ご存知の方がおられましたら是非お知らせください。

初日はただその日のお香がとても楽しく、次からも続けてみようと思っただけで、そうした大層なお家の先生であるどうか等はよく知らず、後になって色々わかりました。

お香に限らず習い事には相性の問題もあり、形式的と言われることもある伝統芸術の世界でも、明確に良し悪しがあります。同じように見えても、人となりに左右される部分は大きいものです。

例えば、私とは全く別の香道のお教室に行った作家の松岡正剛さんは、著書の中で「平安時代のお香に比べると、香道は魅力的ではない」という主旨の内容を書かれています。

私自身も、もし他の先生のお教室やカルチャーセンター等に行っていたら「お香ってこんなものかな…」と思って、特に続けたいと思わずに終わっていた可能性も高かったと思います。

香道には様々な流派・会派があり、制度や作法・考え方が異なる。

香道の流派は大きく2つに分けられ、一つが御家流、もう一つが志野流です。

御家流は、雅やかで柔和な雰囲気のお香で、香りや場を楽しむ事を主な目的として、志野流は、茶道のような質素で厳格な雰囲気のお香で、精神修養を主な目的として掲げています。それぞれ考え方や目的、内容、色々な違いがあり、伝授や後継の制度も大きく異なります。

志野流では江戸時代の途中から家元制度を導入し、御家流でも戦後に家元制度を取り入れるところが出ていますが、当方も含め、現在でも一部は完全相伝制を維持しています。

不完全相伝制(家元制)と完全相伝制についての詳細は『家元の研究』をご覧いただければと思いますが、家元制度が広まった現代の人にわかりやすく説明すると、完全相伝制は「世襲に関係なく運と能力次第で家元を選ぶ制度」といえます。

家元制度より古式の完全相伝制では、後継も世襲に限らず、後継として高位の伝授を受けた人であれば、現代の家元が行なっている様な、自らが第三者に伝授・免状の発行も含め全てを決める権利を有します。

しかし、江戸時代以降に広まった家元制度の場合、香道や茶道にあまり興味のない方でも何となくご存知の通り、原則として世襲制の家元以外には、他にどんなに優れた高弟が居ても、現行制度上では後継として認められる事が難しいという課題もあります。但し歴史的には、志野流において、志野省巴の後を、弟子の一人であった蜂谷宗悟が継いだとされる様に、必ずしも世襲に限るものではありません。

御家流では、一部の香人らが戦後の文化復興期に、茶道や華道にあるような家元役を立てることが香道という文化の復興と一般普及に寄与すると考え、それまで香道については何も知らなかった三条西堯山(公正)氏を抜擢し、香道を伝授し、家元役に据えました。一方で、当方を含め完全相伝制を維持しているところもあります。

ただひと口に「御家流」といっても色々な流れがあり、御家流と称する方の大部分は、桂雪会または桂雪会が戦後の文化復興期に三条西堯山氏を宗家(所謂「家元」の立場)として推挙した三条西家、どちらかの流れに分類されるものを一般的な御家流と仮称します。
私はその一般的な御家流のどちらでもなく、雅翹先生達がご自分のお家で嗜んでいた御家流のお香を習い、伝授を受ける事になりました。

非常に複雑で端的にまとめる事が難しいため、ここでは「香道には色々な流派や会派があり、それぞれ特色や制度が異なるものだが、いずれも時代によって様々な変化が生じながら、どうにか現代まで続いてきている」という点をご記憶いただければと思います。

一般的な御家流との相違点と、先生が自分のお香の教場を作った背景。

雅翹先生は、戦後初代の三条西堯山氏の娘・四条さんとは学習院時代のお友達で、戦後、お墓参りに行った時に会った四条さんから「私の家(三条西家)でお香を始めたから来ませんか?」と誘われました。

お香は元々好きで、お友達からのお誘いという事もあって、先生は霞会館(旧華族の親睦団体)で関係者向けに開催している三条西さんのお香教室に行ってみる事にしたそうです。

四条さんのご実家である三条西家や桂雪会、或いはその流れを汲む御家流会派といった、一般的な方の御家流では、組香と名香鑑賞を含む鑑賞香(一炷聞き)の2つのお香があります。

当方が香盆手前を披露して以降、それまで乱箱手前しか無かった他の御家流講師が突然、香盆を取り入れた鑑賞香を新しく始めた事例も幾つか聞き及んでいますが、

原則として一般的な御家流のお香は、いずれも全て紹鴎棚を使い、乱箱に聞香炉や香盤、火道具等を入れた組香形式と同様の御手前で完結する非常にシンプルな形態です。

こうしたお道具や御手前、伝授の階段は、それぞれのお家のお好みや考えによって異なります。わかりやすく喩えて言うと、地域によって異なる様々な方言やお祭りが存在し、家によって色々なお雑煮やカレーのレシピがある様なものです。

例えば、紹鴎棚も使用する事が出来ますが、厨子棚等の別の色々な棚も用いる等、お香の作法や御手前・お道具・約束事・お好み等に色々と違いがあります。
また、当方のお香では乱箱による組香も、お稽古や香遊びの一種として行いつつ、炷継香・焚組香といった他の御家流系統では絶えてしまっているお香の遊びやお手前等があります。それらは志野流とも現代の一般的な御家流とも異なる考え方や様式に基づいて行われます。

雅翹先生の場合は、四条さんのご実家で始めたお香よりも、こうしたご自身のご実家で嗜んでいたお香の方がお好みに合っていたので、
「自分の家のお香を致しますので…」と言って、霞会館のお香は失礼する事にしました。

雅翹先生と四条さんや、その父である堯山氏とは、特に仲違いをした訳でもなく、雅翹先生の開いたお香の会に四条さんも遊びにいらしゃる等、良好な交友関係が続きました。

そうした背景で、雅翹先生は、親しかった喜佐子先生と、茶花香の実技に長け教場等を提供するα先生と3人で、お家の御家流のお香を楽しむ為の場を作る事にしました。これが私のお香を学んだ教場です。

教場を秘密にしてきた理由は、面倒な人を避ける為。

お香の世界には、どの流派にも、結構な割合で「面倒な人」が居ます。

勿論、どの流派にも、善良で真面な香人の方々も居られますが、面倒な人の相手は面倒なもので、折角のお香の楽しみもすり減ってしまうのは確かです。
「面倒な人達を家に招きたくない」との先生のご意向から、教場についての詳細は公にしないように気をつけていました。

当初は「それはまあ、どの世界にも、多かれ少なかれ、色々な人間が居るものだろうけど…」くらいに考えていましたが、

喜佐子先生が霞会館関係者のお香の集まりで、ご両親の仕事やお住まいの事等を色々と聞き出して利用価値を推し量ろうとしてきた輩に遭遇した時のお話を伺ったり、

当方の御家流の炷継香を無断で聞き出して剽窃を試みた一般的な御家流のお香の先生方も出てきたり、

自分よりもずっと若い人間が伝授を受けてお香を教えている事を妬んで陰で風評を流したりと…昔も今も、お香の世界には先生方が仰る所の「面倒な人」が少なくない事がよくわかりました。

まともな香人の方々も居られますが、面倒な人が少なくない、というか、結構多いと言った方がより正確かも…と思うくらいには、他ではそれほど遭遇しない面倒な人の話をよく見聞きします。
多分、香りや文化への関心というよりも、ある種のコネクション作りを目的にお香を始めるタイプが存外多い世界である所為だろうと見ています。

確かに、こういう人達にご自宅の教場を嗅ぎつけてきてこられて、お香を教えないといけなくなるのは、物凄く鬱陶しいだろうな…と思い、先生がご自宅の教場を閉じるまでは、教場の詳細については公言せず秘匿し、必要に応じてお話しする形にしてきました。

お香を始めるきっかけは人それぞれですが、私も面倒な人との関わりは避けて、香りや文化に興味のある人とお香をご一緒したいというのが本音です。

飛び級を重ね、香道を始めて約4年で蘭奢待炷香の伝授を受ける。

「教場」と言うと堅苦しい感じですが、雰囲気からすると、お香のサロン、とでも呼ぶ方が似つかわしい場で、『香の文化史』(雄山閣出版)の出版前から、著者の松原睦先生を含む複数の先生方にお香を学びました。

当初は、これがお香の世界では普通の事だと思っていたのですが、既存の流派・会派と比較すると、それが実は非常に自由闊達なものであった事を後で知りました。

例えば、歴史や香道の伝書等の古典の研究に対する制約が生じたり、公共放送を巻き込んで贋作名香の問題の情報統制が行われたりする等、

「そのルールは、お香の本質に照らして何の意味があるの?」と思う様な、色々と腑に落ちない業界ルールや、よく分からない規制も多い世界である事を知りました。

元々、1年目から灰のお稽古なども積極的に行う社中ではありましたが、私の場合は、初めてお香の教場に来てから3ヶ月足らずで公式な香筵の香元を務める等、最初から最後まで尋常ではない飛び級の重ね方をしました。

香筵の事を聞いた時は、ここには来たばかりだけれど、受付くらいならお手伝い出来るだろうか…と思っていたところに「貴方も香元で出るのよ?」と突然仰られた時は、流石に驚きましたが。

任せて頂くからには、絶対に成功させたいと思い、私を紹介して下さった先輩にも練習に付き合って頂いたのですが、その先輩からも「まさか、本当に出来るようになるとは思わなかったわ…」と驚かれました。

一般には、最初の1年間のお稽古は先輩の御手前を見るだけで、自分自身での御手前などは許されず、2年目からやっと香炉灰や執筆(組香の記録等を行い香元を補佐する)のお稽古に入るもので、

大体4〜5年以上経って漸く初伝(公式な香筵で香元をしても良い)をいただき、次の中伝(お香のお教室を開ける)をいただくのも最低10〜15年以上は先で、次の皆伝はその先…というのが一般的な香道の伝授の流れとされています。

御家流の伝授は比較的シンプルですが、志野流の場合は、伝授の階段がより細かく設定され、高位の伝授までに掛かる時間も長くなっています。

最初の灰や御手前の割稽古など、教場や社中によっては早い段階から教える所もあるものの、一般的な御家流も志野流も、多少の差はあれど、人に教えるには最低でも10年以上、高位の伝授には数十年が必要とされてます。

香道の体験会や講師をする場合、どの流派でも伝授が必要とされていますが、私の場合は、先生のお家の御家流として伝授を受け、香筵・香道体験会の主催や香道の講師等、色々なお香に関する活動を行う事が出来るようになり、蘭奢待炷香式に至りました。2016年1月、お香を始めて3年と11ヶ月弱の事でした。

飛び級に飛び級を重ねた特殊な経歴の為、香道を長年嗜んでいる方々からは、物凄く驚かれたり、人によっては妬まれたりする事もよくありますが、あくまで私のケースではそうだった、としか言えません。

(香道歴の長さや伝授の早さだけで、その人の良し悪しが決まるものでもないと私は思うのですが、自分の方が長くお香をやっているのに面白くないと思う方も居る様です。)

但しこれは、私個人の才能や努力だけで実現したものではなく、腕利きの先生方に多くの時間を割いて教えて頂き、面倒見が良く腕の立つ先輩方にもお付き合い頂き、様々な学びの機会をくださった方々が居て、

そうした自分以外の人や環境の力に、多くの偶然や幸運が上手く重なった為に実現したものであろうという事は強調しておきたいと思います。

だからこそ、もしかすると、この世にはまだ香道に関わった事が無いけれども、何かのきっかけや環境次第で、お香に長けた方も出てくるかもしれない、という事をいつも考えています。

本来のお香の魅力を伝えるために、香道体験会「伽羅の香りを聞く会」を開始。

多く人と偶然の力を分けて頂いてお香に関わってきた事もあり、お香という文化に親しむ良き機会を作りたいと考えると同時に、少しずつ見えてきたお香の世界の課題についても、何か自分なりに出来る事はないか?と考えていました。

そうして生まれたのが、香道体験会「伽羅の香りを聞く会」シリーズです。

お香を習っていない方が香道を体験しようとする場合、多くは「大寄せのお香の会」か「カルチャーセンター等の簡単なもの」か、どちらかになります。

大寄せと呼ばれる大規模なお香の会では、本格的なロケーションやお道具が出る等の長所もありますが、大体100名前後かそれ以上の人を集めて、一日5〜10回前後のお席に分割して、順番位茶室に寿司詰めにして、目まぐるしい回転率でお客様を捌いていかなければなりません。

一方、カルチャーセンター等のお教室の香道体験であれば、10〜20名程度までの少人数制が多く、気軽に行ける代わりに、本格的なお香の会の趣に触れる事は難しく、入門の勧誘が生じたりと、相性の良し悪しがあった時に少し苦労する事もあります。

これでは、本来の香道の魅力はきちんと伝わらないのでは?と考え、
自分なりに少しでもその課題に対処する為の一案として、

今までに無かった「気軽に参加できるけど本格派」のお香の雰囲気を楽しめる様な香道体験会を企画しました。

日本庭園付きの由緒あるお茶室で、一炷聞きで香木の香りにじっくりと向き合う。
古くはお香の後に、お茶や酒宴を楽しむ後座(ござ)も行われるものであった事を踏まえ、季節の茶菓と共に、お香に関する質問やお話のための時間を用意し、
古くからある本格派のお香の魅力を現代の人にも親しめる形で伝える…というものです。

年に1〜2回程度の開催ながら、結果は大好評で、特に広告も出さずクチコミと個人のSNSで広めて頂き、沢山のご好評を賜りました。

参加者の方々の中には、お茶やお香など和のお稽古事を始めたり、香文化に関する本や関連する歴史について調べる方々も居られる等、何かしら良いきっかけをお届けできたのでは…と自負しております。

その後は「少人数制」や「組香ではなく聞香の体験会」「お香と一緒に茶菓の提供」といった、当方の「伽羅の香りを聞く会」の影響を受けたと見られる香道体験が急激に増えましたが、

恐らくは「今までの自分たちのお香には、何かが足りないのでは?」と気づく香の宗匠達も増えてきたからこそ起きた現象だと考えています。

おかげ様で当方の体験会は、コロナ禍で中止するまで、すぐに満員御礼となる状態が続きました。

コロナ禍を経て、来年の事を。

日本では2020年2月頃から始まったコロナ禍により、罹患により命を落とす危険や、心臓・腎臓・肺等の重要な臓器や血管等に深刻な疾患を後遺症を引き起こす方々が確認されています。
命や健康に関わる事でもあり、香道を嗜む人にとっても一大事である嗅覚障害も引き起こす事からも、軽視すべきではないものと考え、

オンラインだからできる企画として、国内・海外の美術館博物館に所蔵されている香道具をInstagram等で解説する「#香道具紹介」プロジェクトや、

暗闇で見る蒔絵の香道具の鑑賞会をzoomで開催する等、これまでにない試みを実施してきました。

しかし、香道についての魅力をお伝えする上では、一部はオンラインで実施する事も可能ですが、全てをオンラインのみで完結する事はどうしても不可能です。

今後は、オンラインで出来るお香の魅力を伝える試みに加えて、感染症対策を行った上で、対面による香道の活動についても、少しずつ再開して参りたいと存じます。

来年は、お香の遊びをもう少し身近に、より多くの方々に知って頂く為の、新しい活動も開始したいと企画しておりますので、どうぞお楽しみに。

街には松飾りも見え始め、新しい年を迎える寿ぎの気配に満ちる時節となりました。どなた様も、どうぞ良いお年をお迎えください。
新年も宜しくお願い申し上げます。

令和五年 極月 吉日   madoka 拝

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