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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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2022年下半期を振り返る ・ 映画版


いろいろありました2022年も今月でおしまい。
という訳で下半期に映画館で観た映画を振り返ります。並びは観た順。
観たこと前提でネタを割っているので、未見の方は読まれる際にご注意ください。
上半期の記事はこちら。



『パリ13区』

尊い……!
ノラ&ルイーズ尊すぎる……!!!
いたわりあいから友情が深まって、ゆっくりと肉体性を伴った慕情へとシフトしていく描写がたまらない。このカップルがとにかくずば抜けてるけど、エミリーもいとおしい。女性3人全員好き。
だがカミーユに惚れる女の気持ちは判らない。そりゃ見た目は良いけども。
特にあの、自分がヤリ捨てした相手に今の相手の昼間や夜のつきあい方を全部喋るところ、サイアクじゃないですか? どっちの女にも甚だ失礼だわ。
エミリーの冒頭の買い物シーン、カミーユと出逢う前と後の差がたまらない。あの全身から「恋が始まった、わたし今恋してるの!」と喜びの叫びがあふれ出す姿!
レストランで踊りながら移動していくところも良かった。音楽もいい。サントラ買おうかな。



『アルピニスト』

フリーソロ』にて他のクライマー達に「アイツどうかしてるよ」的に語られていたアレックス・オノルド(声が実に良い)が、こちらの主役・マーク・アンドレ・ルクレールを「コイツはヤバい」的に語っていて笑った。確かに。
実はご当人のことを全く知らずに見に行ったので、亡くなられたことも知らなくて驚きました。
でももっと驚いたのが、同じく登山家の恋人が、マークが亡くなった冬山登山の時には海外にいてセーリングをしていて、死を知った後に「こんなことになるならついていくんだった」と語っていたこと。
こんな無謀な挑戦ができない身からすると、一瞬手を滑らせたら命を落とすチャレンジに向かう際は毎回毎回、「これが今生の別れになるかも」と意識せずにはいられないだろうと思ってたので。
こういうのも一種の「正常性バイアス」なのか。技術だけでなく天候に大きく左右される冬山登山なのに、「こんなことになる」なんて思ってもみなかった、ということだものね。
「絶対に死なない」と思っていないと、こういう人と深くつきあうのは厳しいのかも、とも思うが自分自身もクライマーな訳で、危険性は一般の人より遥かに熟知してるだろうにな。切ない。



『ストーカー』

(なんか上のリンク表示、文字が化け化けってますが危ないものではないのでご安心ください)
思えば「映画館で一番見ている映画」かも。大体何年かに一度はどこかの映画館でタルコフスキー特集がありますので、もし他の作品が都合つかなくてもこれは必ず見に行くから。
だが記憶力の弱い自分は毎回ちゃんとドキドキできる。トンネルとか電話とか、毎回ちゃんとびくっとします。おとく。
ラスト、コップと瓶のシーンの為にそこまでの160分があると言っても過言ではない。このシーンだけは忘れない。それでもやっぱり毎回、息をつめて見ています。肌にピリピリとした緊張を感じる。
大変に重みのある映画なのに、冒頭のクレジットのフォントや鮮やかな黄色づかいが妙にかわいく、そこだけ抜き出すと軽いコメディ映画のようです。特に大文字のAと小文字のpがあいらしい(キリル文字ですがアルファベットで記載してます)。こんなにも映像にこだわるのにフォントはそんなに気にならないのか、タルコフスキー。



『劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM [後編] 僕は君を愛してる』

真砂子ーーーーーーーー!(号泣)
もう既に全部知っている話なのに滝のように泣いたわ。ああ、自分も見つけてもらえた。
血の繋がった親に愛されなくたっていいよねえ。そんな呪いからはとっとと出ていって良いのよ。
長年映画を見ているけれど、シネコンでエンドロールで誰ひとり出ていかなかったのってもしかしたら初かもしれない。誰かしら出ていくもんじゃないですか。素晴らしいな。
元のTVアニメもそうだから仕方がないんですが、後半にいくとプリグリ様が殆ど見られなくなるのがさみしい。
サントラ買うよ!



『ファイナル アカウント 第三帝国最後の証言』

驚いたのが、青少年団や女子団で歌われていた歌を紹介するシーン。
「ホラ今でもよく歌うでしょ、ピクニックの歌よ」と歌い出すんだけど、歌詞に「アカや反動分子に殺された仲間の魂と共に進め」的な文があって、ええっ……となりました。ホントにこの歌今でも普通に歌うんですか!??
それにしてもこの邦題はどうにかならなかったものか。英語に詳しくない自分には、「ファイナルアカウント」なるものが全然ピンとこなかった。
調べたところ、最終決算書、特に会社を畳む際に清算人が出す「最終報告書」という意味もあるそうで、タイトルにするなら間違いなくこっちでしょ、と思いました。『最終報告書 第三帝国最後の証言』の方がずっとイメージ喚起力が強い。
しかしこういう作品にパンフが無いのは本当に辛い……(涙)。



『NOPE』

あの最期はまさにセルフ『修善寺物語』……情熱の方向性が明らかに人としてどうかしていますよ>ホルストさん(声が激シブ)。大変に好きなタイプのイカレ方です。
「何が何だかよく判らないけどこわいもの」に対する主人公一味の態度が、他のホラーものに類を見ない感じでやたらめったら面白い。一回目、旗出してラッキー(馬)で逃げ切った時「ざまあみろ!」とか言ってるけど、「イヤそれ撮影できただけで状況は一切解決してないですよ!」と内心で突っ込んでしまいました。
主人公一味全員好きなんですが、特にエンジェルが良い。あの顔であの態度なのに、実は巻き込まれ型で雑用担当の人の好さ。びびりなところもキュートです。
実は観ようと思ってなかったんですが、周囲の映画友の評価がやたら良いので観てみました。うん、正解だ。
ゴーディのエピソードが猛烈に恐ろしくて切なくてたまらなかった。ジュープ、まさか馬を食わせてショーに協力させてたのか……?



『オフィサー・アンド・スパイ』

エマニュエル・セニエの眉が太くない……!
自分にとって、ドレフュス事件は「『失われた時を求めて』でキャラ達がどっち派かでやたらモメてた」くらいで、後は「すごい冤罪事件」「ユダヤ人差別」程度のうすーい知識しかなかったので今回全体的な時系列が判って感心しました。
しかし誤審を隠すが為に真のスパイを放置して良し、てのが凄い(最終的に逃げられたそうだし)。
腐ってやがる、とも思いますが、これだけ腐っている割に「獄中のドレフュスを自殺っぽく殺っちゃって偽の告白遺書でも置いておこう」て発想にだけはならないのが何とも不思議。
それにしてもドレフュス役の方はもうちょっとビフォー・アフターで容貌を変える努力は要ったんじゃないでしょうか。ビフォーを特殊メイクでちょっと太らせてもいいから、少しでもやつれてほしかった。つい昨日投獄された人みたいじゃないですか。
「海賊」ラボリさんのキレ味が今ひとつ伝わってこなかったのも惜しい。なんか寸止めばっかりで「本当にこのヒトそんなキレ者なの……?」と首をひねった。あんな目にあったくらいだから向こうにとって強敵なのは確かな訳で、だったらそう見えるシーンがせめてひとつは欲しかった。



『スーパー30 アーナンド先生の教室』

パンフを見て「えっ、リティク『オーム・シャンティ・オーム』出てたっけ……出てたわ!!!」となった。確かに出てた。瞬間的に出てた。
食うや食わずの日々の中、リティクのあの筋肉よ。役柄の為に太ることはできても、筋肉を落とすことはできないのね。
あの謎の二進法らしき恋文が後で効いてくるのかと思ったら全然そんなことなくって拍子抜け。他にも話の繋がりが荒いところがあって、ちょっと残念。でも好きです。
インド映画見てて思うのは、父親の父性愛が激烈に強いこと。ごく普通の家庭のごく普通の父親が、子供の為に全力を尽くすのが当たり前に描写されるのが興味深いです。男兄弟の結びつきもすごく強い。プラナヴ、なんていいヤツなんだ……(涙)。
とは言え当然ろくでもない父親もいます。「捕まるな、走れ!」のシーンでぼたぼたに泣きました。母の愛よ……。
しかし無償で塾をやるとマフィアが襲いにくる、てインドの受験戦争ったらガチいくさ。学力で戦おうね!



『ストーリー・オブ・マイ・ワイフ』

レア・セドゥが(ほぼ)脱がない……!(イヤ脱いではいるんだけどこの役でレア・セドゥでこんなにも脱がないって驚異的では)
観ていて『やさしい女』の主人公カップルを思い出しました(トリュフォーの映画版の感想、こちらの記事にちょっぴりあります)。『失われた時を求めて』の「私」とアルベルチーヌとか。どこまでいっても判りあえず、死で分かたれる男と女。しかしこういう時に死ぬのは必ず女、それも「謎の女」なのは何故なのか(監督は「謎めいた存在じゃない」と言ってるけど、対の男にとって謎なんだから「謎の女」なのは間違いないよねえ)。
かと言って、もし最初に店に入ってきたのがグレーテだったらうまくいったかというと案外そうはならないだろうところが男と女の難しさ。実はあの年嵩女性が一番うまくいったんじゃないだろうか(笑)。
上映時間認識せずに行ったので、途中から「む……この映画、長いぞ……?」と動揺しました。主に「3」の辺りで。「まだ教訓4つあんの……!?」
タンゴのシーンが最高。サントラ欲しい。



『バビ・ヤール』

こう、何て言うのか、あまりにも「映画」になっているのがこわい。
編集が凄くて、ものすごく「映画的」、「物語的」になってるんですよ。ちゃんと「映画を観てる」という気持ちになる。「飽きない」ようにできてる。
恐るべき量の資料を集めて選り分けて切り取って繋げて「映画」に仕立てる、それは確かに技として驚異的で図抜けていて凄いんだけど、どこか不安になると言うか、空恐ろしくなると言うか。こういう風にしちゃっていいのか、とこわくなる。
カメラに向けられる目もこわい。でも撮ってる側が絶対安全圏にいるかと言うと必ずしもそうでもなくて、弾に当たったり服に火がつきそうな距離で淡々と撮り続ける。この全くカメラに映らない「カメラを構えてる人」を思うと、それもえも言われずこわい。
あちらにもこちらにも笑顔で手を振って花を捧げてお礼を言って、ハイル・ヒトラーと声を上げウラーと叫んで、でもきっと自分もこの場にいたらこうなるな。ものすごく気をつけないと。
パンフレットの出来が素晴らしいです。



『LAMB』

いやキミ達「この子ったら人見知りでー」なんてことより前に言うことあるやろがい!(笑) そら弟も「えっ何言うてんのこのヒト達……」てドン引き顔にもなります。意外に笑いどころがありつつかつグロテスク。
母殺しもともかくも、魚も食べさせてるらしきところにぞーっときた(さすがに羊肉は出してないと思いたいが)。あれ草を食べさせた弟の方が正しいわ。言葉は理解してるっぽいけどそれが賢い犬猫や鸚鵡レベルを果たして越えているのか、迷わず草を貪る、振り返らず素直に去っていく、つまりは中身は結局「羊」なのだよな。「子羊として」間違いなくかわいいけれど、「ヒトの子として」かわいいかと問われると答えを躊躇する。

弟の車強奪シーン要る? と思ったけど、つまり「携帯が無いから連絡不能」&「バスまで弟を送る=家からマリアが不在になる」状況をつくる為で、正直上手くない。携帯は時代設定を25〜30年前にして(テレビをブラウン管にするだけで説明は事足りる)、車は「借金のカタに売った、バスと歩きで来た」でいいじゃないの。
途中までアダの人間ボディ部分を執拗に隠す演出も気になった。ああなるに至った親ごころを考えると、むしろ人間部分を視界に入れたり直で触れたいもんだと思うんですよ。体はくるんでも手は出しておいて握ったりとか。観客をびっくりさせたいんでしょうけど、「物語の為に演出を優先させる」のが見え過ぎるのは難だ。

それにしてもこんなにもド田舎で買い物にも行かない生活でありながら、様々な調度品や洋服がすべて猛烈にかわいくて洒落ているのは何故。北欧雑貨パワー恐るべし。
カップも皆かわいいし(特に琥珀色に濃茶のラインが入ってるヤツがいい)、黄緑の魔法瓶、小花模様の布団カバー、白のキッチンエイドのスタンドミキサー(映画のオシャレ海外キッチンに必ずあるけど使われるシーンを見たことがない)、壁の電気のスイッチまでかわいい。二人のセーターやチェックのシャツも絶品。どこで買ってるんだ本当に。



『ダウントン・アビー/新たなる時代へ』

トムの筋肉がはなはだしい。館の主人にはそんなにも筋肉が必要なのか。
メアリーが「わたしは古くさい女なの、感情に任せたふるまいなんてできないわ」言いよった時、「そんなん言うのはこの口か!!」との激しいツッコミの幻聴が全世界から響きました。ああ、この場にイーディスがいてくれたら。

映像作品で悲しいシーンを見る際には、当たり前ですが登場人物の悲しみと自分のそれとは別世界、交わることのないものですよね。だから時々、おいてきぼりにされる。自分がまだその悲しみに浸かったばかりなのに、画面の中ではどんどん話が進んでいって、気持ちも意識も強制的に切り替えられる。
でも今回初めて、自分のそれが画面の中の人々皆と完全に溶け合って同時進行している感覚がしました。自分がその場にいて、皆と一緒に悲しんで、実際のそれがそうであるように、隣に共に悲しんでいる人がいることで自分の悲しみが慰められる。画面の内外が無くなった、完全なシンクロ感。稀有な体験でした。

ヴァイオレット様の名言数あれど、自分一はドラマ中のこれ、「思いやりの欠如は過剰な涙と同じくらい品が無いわ」。この台詞、死ぬまでに一度は口にしてみたい。
そして今回も衣装が本当に素晴らしかった。新婚旅行に向かうルーシーの青いコートが本当に素敵で、もっとじっくりゆっくり全体を見たかった。袖や裾に百合らしき花の模様がついていて、どこか日本の着物っぽくて最高に美しかった。いいなあ。



『彼女のいない部屋』

自家中毒と言うか脳内麻薬と言うか。ああ、多分自分もこうなるな。実際の人間に頼ったりはしないで、全部自分脳内でまかなう自信はあるけども。それにしても素晴らしい邦題だ。
しかし種明かしが判って改めて見直すと、家出の原因はパパのせい、自分達を捨てて出ていったのはママだけど、ママを責める気は全くないの、悪いのはパパだしパパがいなくったって自分達は平気、て進行はどうか>クラリス
まあ、うん、愛してはいてもね、彼が連れ出したことでああなってしまった訳だから、こころの一番底に憎しみや恨みが止めようもなく流れてしまうのは仕方がなくて。そこからだんだんと「いいパパ」になっていくところが彼女の心情を思うとたまらない。
手前味噌ですが、自分が書いた『真夜中のすべての光』を思い出しました。妻を失って、仮想空間にいる人工的につくられた妻の幻想にすがろうとする男の話。現実と見分けがつかない仮想の世界で、決してかなわない夢に溺れることを望むその姿。良かったらお読みください。



『RRR』

インド映画のタイトルって主役名がそのまま付くことが多い為、てっきり主役2人&ヒロイン頭文字がRなんだと思ってたんですが、全然違ってしかも結局理由が判らないままで、後でパンフ読んで爆笑しました。まさかの役者名&監督名。役者名はギリとしても監督イニシャルて。ステキ(2023.03後記:2度目を見てきて、「STORY」「FIRE」「WATER」で「R」がでっかくなってることにやっと気がつきました。我ながらフシ穴です。それにしても「STORY」が強引過ぎてやはり可笑しい(笑))。
主人公はいくら手ひどい怪我をしても、戦闘シーンになるとけろっと全力(世界レベルの格闘家のおよそ八十倍)で戦えちゃうのがインド映画のいいところ。敵ボスにも適用されちゃうのが難ですが。
多分これは、インドの謎医術がすごいからだとも思います。なんかその辺の草練ったり煎じたりして塗ったり飲んだりで治っちゃう。イギリス医術では解毒できない蛇の毒でも楽勝です。
火の海と化した川で子供を助ける時の助け方が超謎でした。なんで両側から? 1人がロープで下に降りて1人が上で支えるでよくない?? あっ、カッコいいからか、ならば良し。
頭はふさふさ、髭はもじゃもじゃ、胸毛どころか背毛までびっしり、筋肉ぱんぱん、顔つきこってり、灼熱の国インドでこんなにも暑苦しい男2人がじゃれつくシーンがたまらんかわいい。肩車て。その体格同士で。
そして喉から手が出る程サントラが欲しい……いつ消えるか判らない配信じゃなくて板で欲しいんだよ、板で……!



『SWAN SONG』

すっごい歩くやん……。
髪をさわる指先の繊細さと愛のこもった動きがたまらない。わたしは癖が強くてまとまりの無い自分の髪が好きじゃないんですが、こんな人に整えてもらえたら好きになれそうな気がします。
ウド・キアー今年78歳なのか。でもブルーの瞳の美しさは全く変わらない。子供と遊ぶ姿もダンスも何もかも良かった。
「あの時の私が一番かわいかった」で1ジーン、「今もかわいいよ」で2ジーン。ああ、いい話だあ。パステルグリーンのスーツの似合うこと似合うこと。『キングダム』(トリアー監督)完結編、いつ見られるのかな。早く来い。

わたしは煙草に全く興味が無いので、この映画で初めて「MOA」なる煙草を知りました。峰不二子ちゃん愛用なのね。これは確かに洒落ています。なんで廃れてしまったのだろう?
しかしああいう要求をするんだから、化粧品やら交通費やらの必要経費はそっちが持てよ。まああの経緯では交通費は仕方がないにしても、あの孫くんは「メイクには化粧品が要る、でも金が無いんだよ」言われたら「はーい」て素直にお金出してくれそうなのに。
それにしてもパンフレット、ちゃんとしたキャスト一覧を載せてほしいです……。



『ドント・ウォーリー・ダーリン』

キミ等もうちょい出逢い方のパターン作っとかんかい!>ビクトリープロジェクトスタッフの皆さん
そんな雑なことしたら無駄な疑念を引き起こすのでは、と思うのですが、つまりこれに参加するような男共にとっては「ソコどーでもいい」てことなんだろうな。出逢い、恋して、やがて結婚へ、という大事なステップを、いちいち一カップルごとに設定するなんて彼等には面倒なだけなんだろう。
しかし結局あんなことになっちゃうんだったら、男性用と女性用で別ワールドにしとけばいいんじゃ? 勿論、当人達には内緒で。あの男達なら、帰宅後、妻が2、3種類くらいの同じパターンで相手しても気づかず満足してるだろうし。現実肉体のお世話は、脳内ワールドの昼夜を男女逆にして「お仕事タイム」にそれぞれ起きれば良し。
でもその場合、アメリカ女性達の「理想ワールド」てどんなんになるんだろうな。アメリカ男性はこの「1950年代アメリカ黄金期ワールド」で満足できる人が一定数いそうですが、女性に作らせた場合にどんなワールドが希望が多いのか全く想像がつかない。

こちらもやはり自作『真夜中のすべての光』を思い出しました。元は「小説家になろう」サイトに今も置いてある『辺獄のパンドラ』というお話なのですが、仮想リゾート施設「パンドラ」の設定や人工人格の少女と主人公の会話などが変えてあるので、もし良ければ双方比較しつつお読みください。



『ペルシャン・レッスン 戦場の教室』

パンフ読んだら監督曰く「原作は短編小説」「でも当時は機転と知恵で助かった話がたくさんある」、つまり「実話」では無いのに「実話ベース」っぽく宣伝するのはちょっと頂けない。この時代をベースとした創作映画としては大変良い出来なのに、そのやり口だけが惜しいな。
しかし大佐、きっとあの後一生、「俺は裏切られた」「目をかけてやった、守ってやった、打ち明け話もしたのに」「嘘つきめ」みたいに彼を恨み続けるのだろうな。「畜生あいつめ、だが敵ながら天晴れだ」なんてことは死んでも思わないのだろう。これは「友情」ではない。

大佐も含め、ナチ側の人達が割と「普通な日常」を送っている描写が良い。その「日常」と暴力(「ラージ」のタコ殴りとかエルザが料理人囚人に通りすがり的にふるうような個人的な感情が暴発したものと、採掘場囚人を無理に働かせたり脱走者を撃ち殺したりする「勤務」に近いものの2種類)が並び立つところが本当に恐ろしく同時に大変興味深いと昔から思っている。
それにしても、ほんとにペルシャ人なのかどうかも判らんままに殺されちゃったイギリス空軍服の捕囚の人が大変気の毒……。



『マスター 先生が来る!』

そんな修羅場を子供に見学させてはいけない>先生
しかしあの状況で子供を人質にとらないバワーニ、案外いいヤツじゃ……? シャンプーの泡で頭がサリーちゃんのパパになってる姿があいらしい。
主役が敵にバイオレンスの限りを尽くして勝利し終わり、てインド映画は星の数程ありますが、その後にその罪で主役がちゃんと刑務所に入るところを初めて見た。冷静に考えてみたら当たり前なんだけど、そんなこと超越してると思ってるじゃないですか無意識に。

「大将」ヴィジャイは二枚目ダイアルを最大出力にしたパパイヤ鈴木、て感じ。ダンスが上手いのも鈴木さんを連想させます。ちなみにウンディヤルを演じたプーヴァイヤルくんは安藤玉恵さんに激似。見得切って登場するシーンがたまらんかわいいです。
この「ささやかな話」の曲 ↓ がもう何とも言えず好き。

(簡単な英語歌詞なのでぜひ字幕表示してご覧ください)
こういう「悩みはあれど人生楽しまなくっちゃ」的な曲はインド映画に割とよくあるのですが、基本アップテンポでメジャーなウキウキソング。が、これはどこか物哀しささえ漂うマイナーバラードで、でもこのゆるやかさがたまらなく良い。
しかし一応ヒロイン扱いのチャールよりワーナティの方が自分は断然好きだわ。あの凛々しさったら。車の幌を開けて全く臆することなくまっすぐに矢を放つ姿、惚れ惚れします。
ダース役・アルジュン・ダースの声がイケボに過ぎて、今すぐ来日して日本語覚えて声優やってほしいと思いました。コントラバスの音色のような響きの深い低音がたまらない。



『グリーン・ナイト』

「やられた通りにやり返される」のなら肩口ちょっと切るくらいにしときぃさ>ガヴェインさん
しかし、何故に一年後に自分の首を切られるゲームに乗っちゃうのか。しかも命まで賭けてゲットした斧、使った気配無し。上半期の『湖のランスロ』感想でも書いたけど、ああ本当に騎士の思考は判らない。物語が大事、強さが大事、名誉が大事、忠誠が大事、貴婦人への愛(プラトニック)が大事。と、こう書くと立派なのに、何故か突然急にすんごく愚かなこともする。

映像がばりんばりんに美しくて、もうそれだけでいいやと思えるんですが、ひとつ大きな謎、おかんキミ無茶苦茶すぎん……? 息子の性根叩き直して騎士にしたかったんだろうけど、もうちょいマシな試練にできんかったか……? 
モーガン・ル・フェイ名だったけど、イヤ違うよな、と思ったらあえての変更なのね。まあモーガンさんアーサー王ワールドでヤバみNo.1だから(笑)。『サー・ガヴェインと緑の騎士』、未読だったので今度読みます。
瞬間的に映った「有ったかもしれない未来の王子」の小さい方が激烈にかわいかった。あの白目!
パンフが素晴らしくて最高。分厚く美しく、こういうパンフなら喜んで1000円払います。



『アフター・ヤン』

ひたひたとしずかにうつくしい。切り取られた数秒間のいとおしさ。ひとつひとつの粒が集まってやがて白い砂浜となり、そこに波が打ち寄せる。
自分にとって輝いた瞬間を美しい蝶の標本のように大事に蓄えいつくしむ、それは確かに「愛」だと思う。勿論ヒトのそれとは異なるけれど。ヒトはその瞬間の「情報」を忘れてしまっても、「感情」は忘れず維持できるし、逆に忘れてしまうことだってできるものね。彼等には「忘却」は無い。

「映画」として大変好きなのですが、設定的にはちょっと謎も多し。ああやって記憶蓄えるのは違法らしいのですが、でもそもそも買われた相手の家族の顔や日常会話を記憶しないと仕事にならんくないですか?? 日常生活の記録は必須だと思うんだけど、一体どこにどういうかたちで保存すれば「適法」扱いなのか。映像情報だって音声情報だって記録も保存も要るよなあの仕事内容見てると。
あと、クローン女性が「テクノやクローンが人間になりたいと思ってると思うの?」てなこと言うのも超違和感がありました。だってクローンって「人間」じゃないですか。完全同一の遺伝子情報を持つ「親」がよそにいる、というだけの話で、ある意味「時間差付きの一卵性の双子」でしかないのに。おぎゃあと生まれて年とって死ぬだけですよ。テクノとは全く違う。
上の『グリーン・ナイト』を観て数日後の鑑賞だったので、研究者女性がサリタ・チョウドリーだったのに「この人ならば秘術パワーでヤンを治せるんじゃ……!」と一瞬期待しました(笑)。
冒頭のダンスバトルがたまらん好き。あれあの先の完全版までつくって配信してほしいです。楽しく運動できそう。

そして三度目の正直、自作『真夜中のすべての光』には、人工的につくられたAIキャラが出てきます。ヒトとは思考の組み立てが明らかに違い、けれど彼等自身の「こころ」を持つ存在達。そして最新作『この季節が嘘だとしても』の主な舞台は中国茶カフェ。ぜひお読みください。




『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』

ゼペット爺さんアンタ歳いくつなん……!?
カルロと同居時代はさすがにもっと若い姿で良かったんでは。あれでは孫と祖父にしか見えん。
荒れ狂ってノミをふるうゼペット爺さんや、命吹き込まれた直後のピノッキオがホラーにしか見えなくて口元がゆるむ。夜歩いてて道を曲がった先からこんな動き方の人形が向かってきたら、全力で泣きながら逃げる自信がある。
最終的に「人間の子供」にならないところがたまらなく好き。全員をみとって去っていく背中の明るい哀愁よ。クリケットいわく「彼にもいつか死がくる」それはすなわち、きっとこの先、彼がまたいつかどこかで「永遠の命を放棄してもいいと思える相手」に出逢えるということだよね。

このピノッキオ、最初はほんとにワルガキなのが、見ている内にどんどん好きになる。声を当ててるグレゴリー・マン、新人だそうだけど驚異的に上手い。
しかしティルダ姐さんは、声だけでも何故あんなにも神がかりの人外役が似合うのか。
絵も歌も話も良くて、全般的に大変好きで満足したんだけど、ただひとつ大きな不満、キャンドルウィックはあの後一体どうなったのか……! 彼のその後が見られたら100点なのにな。



『ザリガニの鳴くところ』

やることが……やることが多い……!!(by 有森裕二)
しかも勝ち逃げですよ。金田一少年の犯人も犯沢さんも見習うべきじゃ?
って本当に一体どうやってあの短い時間であの手数を必要とする作業をやってのけたのか。「都会→観光地でもない田舎」に深夜バスに乗る人なんてほぼ田舎側の住民だろうから、乗客全員どこのどいつか調べるなんて簡単だろうし、見かけないヤツが乗ってたら気づく客も大勢いるだろうに。
この事件そのものの詰めが甘いし、そもそもの「湿地帯で一人生き抜いた子供」がどうにも。母親も上の姉達も、まず置いていくなと思ったし、置いていくならそれこそすぐに福祉局に保護を頼め。
ああいう典型的なDV親父が「自分の巣」と「暴力のはけ口」をあっさり捨てて出ていくとも思えず、最後まで「カイア殺ったな」あるいは「母親がカイア連れにきた時に相打ちか」と思ってた。庭か床下に死体があるからあの家から離れられないんだと(ミステリ読みあるある発想)。全員ただの家出、ってカイアの設定を作りたいが為にあまりにも無理な状況を重ね過ぎでは。
しかもカイアさん髪もお肌もキレイ過ぎ。初々しく口紅をひいたり都会でこってりメイクもしてますが、そもそも子役(かわいい)からデイジーに変わった時点で明らかにメイクしてるのでかなり萎える。こういう役をやるなら、ノーメイクで日焼けして挑むくらいの気概が欲しい(せめて日焼け見えするメイクでもいい)。

それにしても、「苦労して生きてきた女性をよそ者と疎外し偏見の目で見て『あれならやりかねない』と罪まで押しつける、それが本当に正義か」的にこころの底から熱く弁護した善意100%の弁護士さんがとても気の毒……イヤ確かにチェイスはクズですけどもね。
そして家族全員に捨てられた彼女の過去を知りながら、都会に出てたった1ヶ月で気を変え音信不通、4年後に戻って「やっぱり僕には君だけ」とか言いよるテイト(街で他の女とつきあってダメだったんだろうなあ)、こいつもかなりのクズでは。てか貴様、なんで裁判所で「その帽子ボクの」て言わんのじゃい!! 「繊維はボクがチェイスと喧嘩した時ついたと思う」ていいや!!!

湿地の風景は本当に美しくて素晴らしかった。オープニングが良い。
「ザリガニって鳴くんだ、知らなかった」と思っていたらそんな場面は全く無く、パンフで初めて意味を知った。イヤこれはさすがに説明入れて……テイトが意味聞いて答えるだけでいいのに。
原作はかなり評判良いみたいなので、文字で読むと多分全然違う印象になるんだろうと思います。読んでみなければ。
サンディちゃん(猫)がかわいすぎて。拘置所から出たくなくなる……!



『すずめの戸締り』

「死ぬのはこわくない」と本気で言える少女が、「死ぬのはこわい」と知るまでのお話。
しかしこれ、「地震警報に似た音が鳴りますよ」なんてことよりも「阪神・東北の震災関連の映像が出てきますよ」て方を事前注意すべきなんじゃ。自分は大丈夫だったけど、ここまで生々しいと「無理……」て劇場出てっちゃう人もいるんじゃないかと思います。
阪神・淡路大震災の日、自分は大阪のビルの高層階にいて、大阪湾をはさんで神戸の辺りから真っ黒な煙が大量にたちのぼっているのを見ました。この話を人にできるようになるまでは時間がかかったし、数えるくらいしか話したことはない。
ミミズを見ながら、あの煙を思い出しました。神戸の後ろ戸が閉まって、夜景が綺麗に浮かび上がったのに涙が出た。
この題材をこんなにエモく扱っていいのか、というきらいは確かにあるけど、ではどう扱うのが正しいのかとか、ずっと扱わないままの方がいいのか、と問われると判らない。これを受け入れられる人も受け入れられない人もいて、それはそれぞれで良いんではないのかな。

話としては、ちょっと都合が良すぎるところや(一瞬で皆が「ダイジン」と呼び出したりとかバス停で神戸行きの車に拾ってもらえるとか、東京の道でばったり芹澤くんに遭遇したりとか)、謎なところ(ルミ達にだけダイジンが人間に見えてるのは何故とか、サダイジンの要石は誰が抜いたのとか何で環さんにあんな悪さするのとか)もあったけど、もうあそこまで力技で押し切ってくれたら良し。
ちなみにサダイジンが環さんに悪さした理由は「新海本2」に答えがあったけど、そんなの映画見てても判らんと思った。でもあそこですずめが、すぐに「この人環さんじゃない」て気づくのは実に良い。『鬼滅の刃』の「言うはずが無いだろうそんなことを俺の家族が!」を思い出しました。相手の自分への愛情に対する確固たる信頼感。泣いた。

ダイジンちゃん、すずめんちの子になれる、嬉しい! って要石の役目を草太に押しつけ、ようやく草太を完全要石化できてウッキウキなところを「二度と話しかけないで!」て突き放されて「ガーン!!」ってしゅるしゅるしぼむところがかわいくもかわいそうであった。山根あんって子役の子が声を当てていて大変かわいいんだけど、パンフに写真も経歴も載ってないのがちょっと気の毒でした。
環さん、わたしとしては漁協のニイさんよりも歳の差越えて芹澤くんどうかしらと思った。すごくいいカップルになりそうな気がするんだよこの二人。
しかし大変に「父親」の気配の薄い話であった。唯一、千果の父親がちらっと出てきはするけど、ほぼ存在感無し。何故なんだろうなこれは。
そして草太に一言言いたい、静岡より西の住人が東海道新幹線で東京に移動する際に車窓から富士山を見るのは一大イベントなんだよ!!
それにしても、西と東にあるべき要石があんな近くになっちゃって大丈夫か日本……?



『擬音 A FOLEY ARTIST』

ちょっとこれは予告に騙された感がある……。

上の予告に加え、公式サイトトップには映像の効果音・フォーリーに使う道具の図柄(チラシも同じ)。
こういうの見てたら映画の時間配分として「フォーリー7:それ以外3」くらいだと思うじゃないですか。そしたらむしろ逆で、フォーリーの割合が3、いやもうあれだと3以下じゃないですか? 映画内でフォーリー技師・胡定一フー・ディンイー氏が実際に音出してる場面、割合2も無いかも。予告に出てるシーンにちょっぴりプラス程度。
わたしそもそもこのフォーリーというヤツがたまらなく好きで、この予告に、台湾映画の歴史と共にフォーリーの妙技がたっぷり見られ、他に吹き替えや音楽の話も紹介される映画なのだな、と思っていたのでかなりがっかりしました。それが判る予告にしていてくれたらこんなにもがっかり感を味わわずに済んだのに。
それにしても、ラストで胡氏がもう何年も前に解雇されていて、今はフリーでやってはいるけど仕事がなくて半引退状態、というのに衝撃を受けました。中劇どうしてるんだろう、お弟子さんが継いだのかな?(パンフに記載されてるかもしれないけど、がっかり感が強過ぎて久々にパンフを買わなかった)
ちなみに先日テレビを見ていたら、ゲームの効果音をつくる人達が紹介されててめっぽう面白かったのですが、胡さんコレどうかな。ぜひ日本に来て、「この世に存在しない未知の音たち」をその創造力でガンガンつくっていってほしい。あの才能が埋もれたままになるなんてもったいなさすぎる。それにしてもこんな職人さんを眠らせておくだなんて、台湾のゲームやアニメの効果音一体どうしてるんだろう?? 『幸福路のチー』(いい映画だった)の効果音、この人がやったそうですのに。
エンドロールの効果音ミュージックが良かった。この曲配信とかないのかな。



『ミセス・ハリス、パリへ行く』

ほんとは上の『擬音』で今年を締める予定だったんですが、記載の通り自分にはどうにも食い足りなかったので、チラシも予告も見るからに夢があって幸福があって色鮮やかで、確実なハッピーエンドが約束されているこちらの作品を年末に駆け込みで観てまいりました。当たりです。
ミセス・ハリスとってもあいらしい。わざわざドレスなんか着なくたって、競馬や飛行機でのお洋服が既にとってもおしゃれでイケているのはさすがブリティッシュマダムであります。
ディオールに着いてすぐに、裏方女性達が全員エイダの味方になるのにうむ、と思う。洋服に限らず最高級の物品やサービスを提供する側にありがちなことですが、それ等を一番底で下支えしている人達にはその品はあまりにも高過ぎて到底手が届かないんだよね。
資本主義の悲しさではありますが、だからこそはるばる海を越えてディオールのドレスを買う為だけにやってきた「家政婦のおばさん」に、皆のテンションがダダ上がるのすごく判る。「オレ達のエース!」みたいな気持ちになったんだろうな。
それにしても殆どのフランス人が大変善良であった。駅でお酒飲まされて寝てしまった後に、荷物がすべて消えているに違いないと思ったこころの汚れた自分に反省。
とは言え、1957年のディオールの新作発表会に黒人やアジア人のモデルがいるのはどうなの、と思いました。本来そういう人達にこんな舞台の門戸が開かれたのはずっと後の筈で、それなのにこれじゃまるで「ディオールは他と違って昔からそんな差別はない、先進的なブランドですよ!」と本来の過去を隠しているように感じてしまった。気になったのはそこ一点か。

ユニバーサルの公式サイトにはろくな情報がなくて、むしろインスタやTwitterの方が見応えがある。それもどうなの、と思いますが、映画を観た人なら絶対ゆっくり見たいと思うであろうドレス写真、インスタやTwitterにたっぷりあります。

https://www.instagram.com/mrsharris_2022/




まとめ

さて下半期の映画の特徴はこれ、

「 パンフが厚い 」

パンフレット好きにはたいそう喜ばしい傾向です。

しかも今回、殆どのパンフが1000円以下。
ちょっと記憶に自信がないんですが、多分一番高かったのが『バビ・ヤール』で、それでも1400円くらいだったと思います。
そして厚いだけでなく装丁に意匠をこらしたものが多くてそれも良かった。特に『オフィサー・アンド・スパイ』『グリーン・ナイト』『LAMB』辺りが好きです。

今年公開された映画で「しまった、映画館で観れば良かった」と思ったのはこれ、『ガガーリン』。
ちらっとチラシを見かけて気にはなっていたんですが、他に観たいものを優先させてしまって詳細も調べず後回しにしている内に終わってた。
夏に古い映画友に会った時、彼女のご夫君(同じく古い映画友)が、「あなたコレ絶対ハマるから観た方がいいよと伝えといて」と言ってたと聞き、たまたまそのすぐ後にWOWOWで放送されていたのを観て「おお、むっちゃ好き……!」と震えました。さすが古くからの趣味友、好みを知り尽くされている。

そしてこの下半期は、たまたまではあるが自作『真夜中のすべての光』を思い起こさせる映画が多くございました。
失ってしまったもの、現実では手に入らないものを求めて仮想の世界に没頭する人々。ヒトに夢を見させる為に働く人工人格を持つ存在達。
最近の「AIがクリエイティブな仕事に進出」的な状況を含め、ちょっとこの辺については思うところがあるのでまたそれは別記事にして書きたいと思います。ここに足すには長すぎるので。


さて振り返るに今年はなかなかよく映画館で映画を観た。
下半期は25本観たので、ならすと大体週一で行ってることになりますね。
勿論ガチの映画好きの方とは比ぶべくもありませんが、自分にしてはハイペースでした。
来年ももしこのくらい行くなら、3ヶ月ごとの掲載でもいいな。

年三桁とか観る剛の者ではなく、自分くらいに「程々に好き」てレベルの人間あるあるだと思うんですが、映画って「行くはずみ」もあれば「行かないはずみ」もあるんですよね。
「観たい度合」が10レベルのものがたまたま続いて二週連続で行ったりすると、7レベルとかでも「じゃ行くか」て行けちゃう。腰が軽くなるんですね。で、そこでまたいい予告を観たりして「これも」と続いてく。はずみがつく。
でも逆に「観ないはずみ」もあって、日程や体力(心身・財力共に)がどうしても無理で諦めてしまうことが数回続くと、7レベルくらいでは「まあいいか」と流してしまい、結果どんどん映画館から足が遠のく。スルーする方が楽になってしまうんですよね。
できれば来年も、一定数の映画を映画館で観られるように頑張りたい所存です。


来年の初映画はおそらく『響け! 情熱のムリダンガム』かな。このタイトルの覚えられなさよ。いつも一瞬「ダンガム? ガンダム? どっち??」と悩む。

インド映画がコンスタントに映画館で観られるって、いい時代になったものだなあ(しみじみ)。

それでは皆様、来年も素敵な映画ライフを!
 
 
 
 

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