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ティル・ドーン

■2019/01/01 元日


 車のヘッドライトが消えると、思った以上の暗闇だ。ざざ、という波の音だけが聞こえてくる。少し先には、デザイン性のかけらも感じられない地味な灯台の影が見えた。海の方向に向かって歩きながら、時刻を確かめる。日の出まではまだ少し時間がある。

「よう、ニイチャン」

 どきりとして顔を上げる。目を凝らして見ると、灯台の根元に人の影が見えた。

「な、なんすか」
「こっちに来て一杯やらねえか」

 男は、持っていたライトの光でチューハイの缶を照らした。見れば、男の周りには空き缶がいくつも転がっている。一人で飲んでいたらしい。「車で来たから」と言って断る。

「なんでわざわざこんなとこに来たんだ」
「なんでって、初日の出でも見ようと思って」
「こんな、誰も来ないようなとこでか?」

 初日の出を見ようと思って来たのは嘘ではない。この辺りは、高い山の山頂といった特殊な場所を除くと、本州で一番早く日の出の時間になる。近くには観光地化された灯台もあって、元日の日の出前にはえらい数の人が集まるのだが、少し離れただけのこの場所には誰も見向きもしない。ほんのわずかだけ、「本州で最も早く朝が来る場所」ではないからだ。何秒も変わらないはずなのに。

「人が多いところは嫌いなんだよ」
「まあ、座れ。日の出までまだ少しある」

 男が、どこかから拾って来たビールケースの残骸を椅子代わりに置いた。断る理由も失って、言われるがまま腰をかける。だが、座れ、と誘ってきた割に、男は何も話しかけてこなかった。日が昇ってくるであろう方角に目を向けたまま、黙々と酒を飲んでいる。別に赤の他人と話したいとは思わないが、ずっと黙りこくっているのもそれはそれで苦痛だ。

「ニイチャン、言っておくがな、ここに来た理由なら俺の方が悲惨だからな、絶対」

 急に男が口を開いた。

「は?」
「今年の年越しそばは冷たいのが食べたい、って女房に言ったらな、そんなの非常識だとぬかしやがった。そばなんて冷たかろうが熱かろうが、どっちだっていいと思わんか?」
「温かいの食っとけばいいじゃんか」
「むしゃくしゃしたんでそばも食わずに家を飛び出してな、近くの寺のボウズを蹴り飛ばして、除夜の鐘をガンガン鳴らしてやったのさ。そしたら警察を呼ばれちまってな。帰るに帰れなくなったもんで、ここでしかたなく酒を飲みながら初日の出を待ってるってわけだ。年越しそばも食わずにな。悲惨だろ?」
「悲惨、って、自業自得じゃないか」
「別に俺が悪いわけじゃないだろ」
「むしろ、他に悪い人がいるなら教えてよ」
「まあ、細かいことはいいんだよ。人間生きてりゃいろいろあるが、初日の出さえ見とけば、今年一年、いいことが目白押しだ」

 視線をちらりと向けると、男は酒臭い息を吐きながら、な! と、笑った。

「じゃあ、去年は、いいことあった?」
「ないな。むしろ最悪の一年だった」
「ここには来なかったのか、去年は」

 いや、去年もここにいた、と、男は笑った。初日の出のご利益ゼロじゃん、と返す。

 遠くの空が少し白んできた。初日の出を見たくらいで何かが変わるわけではないのだろうが、意味不明な期待感で、胸が躍る。

「見ろ、ニイチャン、夜明けだ」

 見りゃわかるよ、と言いながら、東の水平線を見た。「本州で一番に限りなく近い朝」が始まろうとしていた。


小説家。2012年「名も無き世界のエンドロール」で第25回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。仙台出身。ちくちくと小説を書いております。■お仕事のご依頼などこちら→ loudspirits-offer@yahoo.co.jp