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添削屋「ミサキさん」の考察|38|『文章の書き方』を読んでみた⑧

|37|からつづく

【女優・沢村貞子の文章】

まずはどんな文章なのかを見てみましょう。皆さんは、どんなふうに感じますか?

 暑さにうだる夏の夜でも、濃い紫にひかる茄子は食欲をそそる。きれいな色を出すためにぬか床に包丁や釘をいれる、などという話もきくが、私は焼みょうばんを使っている。薬局で買った固まりをすこしずつ、乾いたフキンにつつみ、金槌でそっと叩いて粉末にしておく。なるたけ新しい茄子をえらび、少量の塩で皮をなでるように優しく、まんべんなく揉んでやる。手ざわりがなんとなくやわらかい感じになったら、左の掌に一つまみのみょうばんをひろげ、その上に右手でもった茄子をくるりくるりところがす。

辰濃さんが注目しているのは以下のことです。

 この短い文章のなかにはいくつもの動詞がでてきます。「使う」「買う」「つつむ」「叩く」「えらぶ」「揉む」「ころがす」。動詞の主語はすべて私、つまり沢村です。沢村は台所という現場での自分の体験を細密に見つめ、それをきちんと書いている。「なでるように優しく、まんべんなく揉んでやる」なんていう表現は現場にいなければ書けません。体験の数々はこのような動詞で表されます。沢村の文章がきわめて具体的で、わかりやすいのは、動詞を文章の基本にしているからだ、と私は思っています。
(強調は引用者)

私にとっては極めて有用な面白いヒントでした。
文章であれ、エッセイであれ、おそらく意識しないと、「考えた」「思った」「感じた」「○○に見えた」という述語が多くなるのではないでしょうか。
自分(あるいは一人称の主人公)を主語にするならなおさらです。
しかしそれは体を持って行為しており、客観的には行為が主であるわけです。
ここを意識するだけで、文章はぐっとリアリティを増すように思われます。

|39|につづく


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