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添削屋「ミサキさん」の考察|40|『文章の書き方』を読んでみた⑩

|39|からつづく

感覚――感じたことの表現法


「この章で考えたいことは二つあります。一つは、感覚を磨くということであり、もう一つは感覚の表現を磨くということです。感じたことをどう表現するかということです。」

――視覚について。



「自分が見た色を表現するのはやさしいようで、なかなか難しい。」
たとえば沖縄の海。

 環礁の内側のまばゆい海の色をどう表現するか。淡緑か若緑か翡翠色か、あるいは少し沖にいって紺青か藍か純青か、日の輝きや潮の干満によって微妙に変わる海の色をいいあらわすのはなかなか難しい。

 色名事典を見ていますと、日本の色の名には、いかに植物の色を借りたものが多いかがわかります。紅梅、薄紅梅、桜色、桃色、薔薇色、小豆色、柿色、栗色、朽葉色、小麦色、煤竹色、山吹色、ひまわり色、橙、若草色、もえぎ色、わさび色、青竹色、松葉色、紫苑色、藍色、藤色、露草色、ときりがありません。色の感覚を磨くには、自然界に教えを乞うのがいちばんだ、何よりも花の色を見つめることだ、と色名事典は教えてくれます。

たとえば実際に小説やエッセイを書く場合には、このような美しい色・風雅な色ばかりの描写ではすみませんよね。でも、目に見えるあらゆるものの色を描写しようとふだんから意識すると、鍛えられるのではないか、と個人的には思っています。実際には一言の色名だけでなく、比喩の力に負うところが多いでしょう。

北村薫『覆面作家は二人いる』

 電車の窓からは、家並みの彼方の遥かに遠い雲が、竜胆(りんどう)色の和紙で作った山脈のように見えた。空はそのうえにサーモンピンクに広がっていた。二人、連れ立って、よほど素敵な夢の国にでも出掛けるようだった。
 しかし、着いたところは監獄めいた高い塀の前である。
(強調は三咲)

同『六の宮の姫君』での磐梯山の描写。
 
 見えるのは、いったん円錐形に盛り上げたアイスクリームの頂きを、大きなスプーンでごっそり持っていったような山である。大噴火で中央部が飛んでしまったのだ。ガイドブックによれば、それは明治二十一年七月十五日の出来事である。周囲の山肌は刻んだパセリを満遍なく撒いたような緑だが、《持っていかれた》部分は今も露わに土の色を見せている。山の向こう、猪苗代の方には雲があり、それが頂きの欠けたところから綿菓子がふわりと落ちかかるように、こちら側のくぼみに溢れ出している。
(強調は三咲)

ほかにも、北村薫さんには、「卵の黄身をほぐしたような花粉」「露草色の沼」などの描写があるそうです。
色だけでなく、質感までよく表現していますよね。

他に、私が色彩を含む描写でいいなと思ったものをいくつかご紹介します。

雄大な自然情景の描写が非常にうまい作家・花村萬月『心中旅行』。

 海が消滅していた。海は水平線まで完全に氷に覆われていて、いわば氷平線だった。目の当たりにして初めて知ったのだが、流氷は押し合い圧(へ)し合いしてお互いの上にのし掛かり、複雑に絡みあっていて、視界のとどくすべてに平坦な部分はなく、巨大な白銀の野放図な尖りが無数に突き立っていて、それが朝焼けの地の色じみた朱に溶ける彼方まで連なっていた。じわじわと上昇する太陽は蜃気楼のせいだろうか、左右に引きのばされて平たく潰れた巨大な楕円の揺らめきで、しかもその左右が滴を振りまくように点々と分離して紫に染まった空を穿っていた
(強調は三咲)

また、辺見庸銀糸の記憶」より。

 それは、よく光る糸を見た記憶だ。一本ではない。何本も何本も、なのだ。それらは、しかも、空を飛んでいくのである。二十年ほど前の晩秋だったと思う。北京の北の、明時代の遺跡に行ったときに、荒れた草地の上空にそれを見た。ほとんど透明で、銀色に煌めく細い糸が、真綿がばらけたみたいに、いく筋もいく筋も、どうかすると空に消え入りそうになりながら、水平に、あるいは斜めに、吹き流れていった。上空は硫酸銅色の絵の具に、さらにニスでも塗ったように、しっとりと艶めいた青色なのだった。端から端まで、一点の色むらも濁りもない真っ青。そこを、縫い針の先で無数の線を引いたように、もつれたり、ほどけたりしながら、たくさんの銀糸がさらさらと漂っていく。
(強調は三咲)

辺見庸さんはジャーナリスト・論説家としての方が有名かもしれませんが、文学作品はこのような鮮やかな詩的な文章が多いです。

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