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添削屋「ミサキさん」の考察|34|『文章の書き方』を読んでみた④

|33|からつづく

向田邦子の「広い円」

作家の向田邦子は、小学四、五年のころ、夏目漱石の『坊ちゃん』『三四郎』『吾輩は猫である』を読んだそうです。

 漱石先生から大人の言葉で、手かげんしないで、世の中のことを話してもらった

向田邦子の文章はとにかく上手です。エッセイスト、脚本家、作家として多岐に活動されましたが、やはりエッセイにその醍醐味は示されているでしょう。
そういった文章の「才」は、幼少のころからの貪るような読書で培われたことをうかがわせます。
幼い頃と言わず、多くの作家が、小説がうまくなるためにはとにかくたくさん読むこと、と述べているのは一面の真理でしょう。
ただし、たくさん読むことである種のスレができてしまうことも否めない事実のようにも感じます。
ただし、子供のころの読書が自分の文章をつくることにつながるというのは間違いないでしょう。

ちなみに向田さんは、『黄金分割』なる建築の専門書と悪戦苦闘したそうです。文章というより「未知の世界への目を開かせてくれた」そうです。好奇心はつねに必要で、これが枯れてしまったらお終いだというのが、恐縮ですが私の持論です。

井上ひさしの「細部」

私は観たことも読んだこともないのですが、辰濃さんは作家・脚本家、井上ひさしの『きらめく星座――昭和オデオン堂物語』を例に挙げています。

戦時中の浅草のレコード小売店が舞台だそうです。
辰濃さんは、その中に出てくる当時の流行歌、新聞の広告文、軍国美談、などなど当時の具体的な話がたくさん出てくることに驚きます。

 なぜ、戦時中のことにこんなに詳しいのか。この劇を書くために、井上ひさしは当時の何年分かの朝日新聞を古本屋で見つけて買い込み、それを隅から隅まで読んだそうです。昔の新聞を読むというのは大変な作業でしょうが、なるほどそういう手もあったのかと、新聞記者である私のほうが「新聞の効用」について教えられました。
 井上ひさしは古新聞を読みながら1940年、41年の雰囲気にどっぷりつかり、つかりながら筆を走らせたためでしょう、劇には時代のにおいが濃くただよっていました。

井上ひさしさんというと、黒木和夫監督の手で映画化された『父と暮らせば』を思い出します。広島への原爆投下から3年後の話です。とても感動的な映画でおすすめですが、井上ひさしはこの戯曲を書くために、被爆者の方の手記をくまなく読んだそうです。劇中に出てくる台詞、とくに原爆にかかわるもののほぼすべては手記からの引用だということです。

時代の雰囲気、匂い、空気、音などをも含めて自分のものとしてから描く。これは井上ひさしの書き方だったのでしょう。なかなかできることではありませんが、学びたいところです。

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