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【小説】  猫と手紙  第17話

第17話

考え事をしながら歩いていると、気づくともう家の前にいた。
 
家に着くと、いつもの様に彼女と向かい合ってカレーを食べた。
 
いつもの様な時間。
僕は彼女と同じ空間に居るのがとても心地良かった。
 
僕は彼女と出会って変われた。
自分の本音を探し始めていた。

同じ世界なのに全てが違って映っていて、彼女と居る時間だけいつもより優しく温かい世界で。

もうひとつの別の世界に存在している気にさせられた。
その世界の時間の刻み方は曖昧で、不思議な気分だった。
そして、とても穏やかな日々だった。
 
僕はカレーを食べ終わると、まだ幸せそうに食べている彼女を見つめた。
自分でも自分の表情が穏やかに緩んでいるのが分かった。

彼女がこちらをチラリと見て、目があった。

彼女は僕の目をしっかりと見つめ返して、微笑んだ。
僕は一瞬、ドクンと心臓の鼓動が大きく鳴ったのが分かった。

彼女は何も言わずに食べ続けた。
僕は誤魔化す様に窓の外を見た。
心臓は、続けてドクンドクンと、いつもより大きく音を鳴らしていた。


 
窓から見上げた空は、青く綺麗で心地良かった。
彼女といると、良く空を見上げる様になった。
いつも彼女が空を見上げるからだ。

僕も幼い頃は空を見上げ、空想するのが好きだった。

けれど、ある日からしなくなった。
僕はその日のことを、今でもはっきりと覚えていた。忘れようとしたけれど、胸の奥の方にずっと引っかかったまま、忘れる事が出来なかった。
 

小学3年生の夏だった。青空が綺麗で教室で空を眺めていた。
ぼんやりと空想に浸っている僕に向かって、当時好きだった女の子が
「ニヤニヤして気持ち悪い」
と言ってきた。

僕はショックで何も言えなかった。ずっと今までそういう風に思われていたのだろうか。

気持ち悪いと言われてから、人の目が気になるようになった。
僕を見てヒソヒソと喋る人がいるのが気になり出した。

僕を見てくる目が否定的なものなのか、好意的なものなのか分からなかった。ただ、好意的であれば良いな。そう願っていた。

僕を見てヒソヒソと喋る彼女たちは僕に話しかけてはこなかった。
 
今でも彼女たちの視線の答えを知らない。
彼女たちの僕をチラチラ見る目とヒソヒソと喋るその様子は、僕をすごく不安にさせた。僕は小学校の休憩時間は、人の来ない屋上近くの階段で座り込んで、ひとりで過ごす事が増えた。
そこで本を読んでいたら心は穏やかだった。
 
今考えたら、気持ち悪いと言った彼女の言葉は、特別悪意のある言葉では無かったのかも知れない。
ちょっとした冗談だったのかも知れない。
でも、その時僕は深く傷ついていた。自分がすごく汚らわしい様に思えた。
その頃から僕は、笑う時に口元を隠す様になった。

僕はたくさんの人が褒めてくれるこの見た目も、自分には醜くさえ見える時があった。
いつも不安だった。僕は仕事で褒められるたびに、自分は大丈夫だ。と言い聞かせていた。
 
 
高校生になってからは彼女が出来た。
人から分かりやすく好意を持たれる事は素直に嬉しかった。
その頃は告白されたら付き合っていた。

けれど、やっぱり彼女たちは僕の事を見ていなかった。
僕の顔は見ていたが、僕自身のことを見ていなかった。
いつも僕は、僕の外側しか見られていない。

数人と付き合ってみたが彼女たちはいつも自分の話をしていた。
僕が静かに映画を見るのが好き。という事さえ覚えていなかった。

家で映画を観ている最中にも、熱心に自分の話をしていた。
彼女たちが何のために僕と付き合っているのか分からなかった。
僕も何で彼女たちと付き合っているのか、分からなかった。
彼女たちが顔やスタイルを褒めるたび、他には僕に価値がないと言われている様に思えた。
 


ぼんやりと空を見上げて、そんな事を思い出していた。
 

今までみんなは見ようとしない僕の中身を、彼女は覗こうとした。
僕は多分何も入っていない箱だ。

彼女の様にお気に入りの物があるわけでもなく、思い描く夢がある訳でもなく、ただ期待されていることをひたすらやってきた。

僕は覗かれてがっかりされるのが怖くて箱の中身を隠し続けていた。
見て欲しいけれど怖かった。

けれどきっと彼女は、開けた箱が空っぽでも一緒に笑ってくれる気がした。

そして彼女の僕に向けられる温かな笑顔は、空っぽの僕にも、何かがあるのではないかと思わせてくれた。
 
 
そんな彼女と今、一緒にいる。
僕の世界も彼女の世界と混ざり合って、優しく自由になり始めていた。

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