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頭人間が思うこと

このところ考えている。


好きなキャラクターを3人だか5人だか挙げるとその人の好みの傾向がわかる、みたいな話を聞くが、私は強烈な「頭食い」である。
思考し続けるキャラクターが好きだ。
知識を愛し、データを集め、分析し、予測し、行動する。そこに一切の感情を挟まない。
論理的な思考に感情を排したような冷静さ、非情であればあるほどいい、むしろ「人間の感情なんて理解できない」くらいに思っていてほしいし、その上性格が歪んでいれば最高だ。
なんなら「機械」とまで言われるくらいがいい。


とか書いておいて実際にキャラクターを挙げると怒られそうだが、例を挙げると、

●サッカー漫画『カテナチオ』の嵐木八咫郎、ノアハ・デ・クヴァイ
●バレー漫画『ハイキュー!!』の月島蛍

ほかに海外ゲームでものすごく好きなキャラクターもいたりするのだが、それは割愛するとして。

こういう、四六時中思考を働かせているようなキャラクターが好きだ。
同時に、「考える前に身体が動く」「情熱に突き動かされる」キャラクターが、どうも苦手だ。
それはたぶん、私がそういう感情あるいは肉体が思考に優先するキャラクターを自分とはまるで違う一種の天才だと思っていて、コンプレックスがうずくからだろうと思う。

上に挙げた『ハイキュー!!』の月島蛍は、同作の主人公である日向翔陽を嫌っている。
それは日向が「運動能力お化け」と言われるほど身体能力に恵まれていて、基本的に「考える前に身体が動く」タイプであり、月島はそれが日向の才能であって、自分は「敵わない」と感じているから、だろうと思って私は読んでいた。
そうだよなあ、と、思っていた。
わかるわ、と思った。


この記事を書いてから、ずっと考えていたことがある。

こちらは山根あきらさんというnoterさんの、こちらの企画に参加したものだ。

上記企画の設問前半を要約すると、
「Cさんにひどい目に遭わされたAさんは、復讐のためBさんに協力を求めた。BさんはAさんのために(自分ではよく知らない)Cさんへの復讐を手伝った」
となる。

ここで私が考えたのは、
「自分がBだったとして、いかにAさんと親しかろうとも、友情のみを理由として行動はできない」
だった。

しかし、もう一方で思っていたのは、
「自分がBさんだったとして、『事実関係を確認し、自分の助力が必要かどうかを考えて判断してからでなければ返答できない』と答えたら、たぶん友情を失うだろう」
ということでもあった。

Aさんは「私のことを信じられないのですか?」と言っている。
それに対して私の返答はこうだ。
「信じる信じないではない。まず事実が知りたい」
だが、このように感情よりも論理を優先する態度は、おそらくその場で助けを求めている人にとっては、非情に過ぎるのだ。

こういうことを、私は実際に経験している。
「信じてほしい」と言われたが、事実を両側から確認し、分析した結果、「手放しにあなたを信じることはできない」と返した。
結果としてその関係は終わってしまった。
相手は「友達ならば信じてほしい」と求めていたのかもしれない。
だが私には友情よりも事実が大事だった。
あの時、「何があろうとあなたを信じる」と言えればよかったのだろうかと、いまでも時々考える。


と思っていたら、今日こんな記事を読んだ。

私はおそらく今後も感情より論理や事実を優先するだろうけれども、こうして、
「感情論はどんな論理よりも優先するもの」
と言い切れる強さに羨望を覚えるのだ。
それは私にとって、決して手に入らない才能のひとつであるからだろう。

これまでの人生で、3回くらい、「あなたは機械のようだ」と言われた。
それをどうやったらやめられるのか、またやめるべきなのか、私にはわからない。

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