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楽しいと言う言葉に対する嫌悪感。沖縄時代

楽しいと言う言葉を聞いていつも嫌になる。
それは自己満足と紙一重で、その他大勢に合わせないとならないと言う
強迫観念があるからだ。

20代の大半を沖縄で過ごしてしまったためか、そのような考え方になった。

今思うと、失敗した。
安易に癒しと言う言葉に煽られた。
それは沖縄県の観光戦略の言葉にもあった。


沖縄でのストレス

沖縄でのストレスは夢があるように思えても、それは口だけで
些細な交流で、話次第では目の前で他人に「意味がない」と言う言葉で価値が無いようにされる。

自分の場合、哲学の勉強や人間関係の分析をして、それを話すと否定されたり、元は苦しい経験を還元していく話をして、否定された。
この話は後になって、ソーシャルワーカーにしか通用しないと思った。
沖縄の人にとって話すことは楽しいことにしか関心がない人が多かった。

沖縄ほにやと言うよさこい鳴子踊りの団体にいた時、学生時代のサークルにいた時からの経験だった。

「楽しめ」と言われて、その当時あったのは踊りを楽しむ事に対して団体は過剰だった。自己陶酔して、カルト的なものだった。
その状況で、自分の話、主に抽象的な事を言うと否定される。たいていはサブリーダーやリーダーに。メンバーはそれになびく。

伊波普猷が「食わしてもらう者は、我が主」ということわざ分析してたが、沖縄の人は強い人になびく傾向が高いらしい。後に改めて知った。

沖縄での疑問

「お前のやっていることは理解されない」と言われたことが多かった。
味方してくれる女性がいればとも思ったがいなかった。マイナスな言葉を吐いたこともあるのだろう。

ともかくも心細かった。
哲学を作るとか、当時無謀なこと考えてて、人間関係の分析をして、アホなのに中沢新一の「対称性人類学」や三木清の「構想力の論理」等見ながら、人間関係のセオリーを肉付けしようとしてた。一人でしてた。

あの踊り団体の連中は「一人でないみんないる」という癖にこの話出すと無関心だった。(文献の話を出し切れなかった)

沖縄ほにやは当時、全体的に楽しそうにしてた。
見てて嫌だった。踊りして何が楽しいのか理解もしていないし、踊りしても女たちはダメ出ししかしなかった。当然だが。
そのくせ、よさこい踊りにしか関心がない人たちばかり。
私は孤立気味だった。

怒り

数年後、イベントの打ち上げで、自分の言っていることを簡単に話すと、なぜか受容された。受容してくれた人は踊り団体に入った新顔の人だった。今思うと感謝している。

その一方で、今まで無関心にしていた連中が、手の平返すかのように認める態度をとる雰囲気があった。受け入れられることにはうれしかったが、その後、違和感を思うようになった。
今思うと、伊波普猷が「食わしてもらう者は、我が主」と言う言葉を見直すと納得した。その認めてくれた人の力に周囲がなびいたからだと思う。どんな人かは良く知らないが、年長者だったのかもしれない。

北陸生まれの私にとっては、手の平返す態度には違和感ある。
自分の育った風土では、他人の価値をすべて認めなくても、いくらか妥協して認める文化が強いからだ。それに助けられることが多かった。

沖縄にはそれがない。
人の事、下に見てて、成長した文物をみたら、その分をしれッとパクる事しか見たことがない。目の前で散々、否定してたのに。
悔しくもないのだろうか?と思う。

〆〆に

楽しむ事は自己満足と紙一重で、その他大勢に合わせないとならないと言う
強迫観念になると書いたが、その背景を書いた。

今でも「楽しい」という意味を理解もしていない。
少なくともこの感情は人間の持つ基本的な物だ。結束される条件として扱われたり、煽られるための物ではないと思う。

楽しむと言う事はなんと難しい事か?
白人の言う楽しむはサーカスかコロッセオの熱狂を指していると思ってしまう。


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