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思い出 青い空と青い海のクソみたいな沖縄で

#忘れられない先生

忘れられない先生。左翼な人だが、どういうわけかよくしてもらった。分野違いなことしてたのに。

沖縄時代に、人間関係で散々な失敗をして、尾を引いた。
その経験から人間関係の分析をしてた。大学4年の時に出会ったが、精神的に働けるには遠かった。

大学に編入して半年後に些細なトラブルから、脅されて耳横に玩具の銃向けられたり、裁判の件で脅されたり、追い詰められてた。その後何とか解決はしたが、精神的にやばかったし、何かと話のズレばかり、同僚に指摘されて、疎外される状態になってた。

多分、「助けてくれ」と言うのは甘いのだろう。むしろ這いあげって、上のレベルに行って、高級な人々のレベルにならないと認められなかったのだろう。とにかくトラブったことを基に人間関係の分析をした。

その時にあった先生にたまたま、その話とノートを見せると、面白がってくれらことが、幸いだった。分野違いだが、ゼミに顔を出して、発表する機会もくれた。

むろんそれだけではだめだった。当時の時代、人間同士のけなしあいをする知り合いもいて、哲学の勉強そして、人間について調べたいと思ったこともきっかけで、少しづつ文献読んだ。そこから論を作りたいと思った。

その一方で、卒業する前後、踊りのサークルにいた。踊りには関心はありつつも、楽しんでまでの関心はなかった。そこのボスは、踊りをやたらと賛美してて、そこにいる女子連中は陶酔と不安を繰り返して熱狂してた。高知のよさこい踊りのほにやの、のれん分けされてて、そこの賛美ばかり。私は女の尻を追いかけて失敗した。連中はまっすぐすぎて。哲学の話をしても、封殺ばかりで、嫌になる。一方的になるなと言うくせに、彼らはMLや団体の中で踊り、よさこい踊りの自己陶酔な賛美の話をしていたくせにな。
とにかく、個性の尊重を建前にしていた団体だが、現実は違いすぎた。話がズレタら、封殺されてた。それでやめた後、かなりSNSで批判した。申し訳なくも、後悔した面もあったが。

とにかくも、その時代背景を考えると、この先生と話せるのは良かった。福祉、児童福祉の人だが、哲学の勉強や人間関係の分析をしっかりした事を出すと認めてくれた。踊りのサークルと比べれば。精神状況が難民の心理に等しく、誰も信じれなかったから。

今もその先生と話をすることもあるが、基本分析や勉強は一人でやっている。感謝はしているが、一人で行うことには変わりはないと思う。

でも、この出会いは、よかったと思う。もどきながらも。

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