【短編】 1970年の「妖怪大戦争」
秋田県の田舎町に住む文太郎は、小学1年生にして既に無類の映画好きになっていた。
毎週日曜日には、お母さんにおにぎりを作ってもらい、近所の上級生のお兄さんに町の唯一の映画館に連れていってもらうのが常だった。
町のはずれにある映画館は古くて小さくて、最新の映画が上映されることはなかったけれど、文太郎にとっては夢のような場所だった。当時は1回毎の入れ替え制なんて無粋なものはなく、一度入場するといつまでも中に居られたからだ。文太郎は、朝一番の回から夕方まで、おにぎりを少しずつ食べながら、同じ映画を何度も観て楽しんだ。
その日は、昨夜から降り続く大雪で歩くのさえ一苦労といった悪天候だった。しかし、今日の映画だけは絶対に観たかったので、文太郎はお兄さんに無理を言って連れていってもらうことにした。
長ぐつにズボンの裾を突っ込んで、アノラックに身を包み、フードのヒモをギュッと縛り、手作りの毛糸の手袋をはめて、リュックサックの中には子ども料金の百円札一枚が入ったお財布とお母さんが作ってくれた小さなおにぎり3個にミカンが2個、それから替えの靴下を詰め込んで、お茶の入った水筒を斜め掛けにぶら下げれば装備は完璧だ。
長ぐつに雪が入り込むのもなんのその、二人は1メートル先の視界もあやしい道を、白い息をモクモクと吐きながら雪中行軍の兵士のように黙々と歩いていった。
やっとたどり着いた映画館の表には、何度も観ておなじみの「妖怪大戦争」のポスターが貼られていた。
文太郎が一番好きな映画は、1968年に初公開されたこの特撮映画だった。この映画館の定番だ。
西洋の大妖怪ダイモンに立ち向かうのは、日本の弱小妖怪たちだ。どうしようもないほど強く恐ろしいダイモンに対して、日本の妖怪は河童や油すましや唐傘お化けがメインで、華やかさや力強さの欠片もない。でも、彼らが健気に戦う姿は、子どもながらに胸に響くものがあった。ラストで、朝靄の中、妖怪たちが行列をなして帰っていくシーンを見るたびに、美しすぎて胸が締め付けられるほど切なくなった。いつまでも妖怪たちの行列を観ていたいと毎回思った。
二人はいつもの開けづらい重い扉をエイヤと押し開き、風雪と一緒にロビーになだれ込んだ。バタバタと体中に積もった雪をはたき落としてから、いつもの受付のおっちゃんの所に行って百円札を差し出した。
「おめだず、このゆぎん中よーぐ来たごど!」
おっちゃんが呆れたような声を上げたが、その顔はとても嬉しそうだ。
文太郎たちは、狭いロビーの隅のだるまストーブに行き、靴下を取り換え、濡れた靴下と手袋をストーブの周りの柵に掛けた。長ぐつは中がグチャグチャに濡れてしまったので履くのは諦め、ストーブの側に放置することにした。
しばらくストーブの前でゴシゴシと両手を擦って暖を取ってから、文太郎たちは靴下のまま勇んで客席に向かった。
客席にはほとんど人がいなかった。それはそうだ。こんな大雪の日にわざわざ出歩く酔狂な人なんてそうはいない。
ホールの真ん中辺りに、親子連れが1組と競馬新聞を読みふけっているおっちゃんが座っている。
あとは、前から3列目の一番左の席に、毎回見かける着流し姿のじいちゃんがいつものように仏頂面でタバコをふかしながら座っている。いつでも何の映画でも必ずあそこに座っているので、ひょっとしたら映画の妖怪かもしれないと文太郎は密かに疑っていた。
文太郎とお兄さんはいつものように一番後ろの席の真ん中に並んで陣取り、映画を観る態勢を整えた。
とは言っても、映画が始まってしまえばあとは自由行動だ。
その場所に飽きたら、一番前のど真ん中に移動して真上を見上げるように映画を観たり、通路の真ん中に寝そべってみたり、ロビーをウロウロしてみたり、映画館全体が文太郎の遊び場だった。
でも、文太郎は今日の映画だけは気合を入れて観ることに決めていた。雷鳴とともにダイモンが現れると、膝に握りこぶしを載せて前のめりの姿勢でグッとスクリーンに見入った。
しばらくすると、お兄さんは映画に飽きてどこかに行ってしまった。それはそうだ。お兄さんも妖怪大戦争を観るのは今日で3回目だから当然だ。
終盤に差し掛かり、ダイモンに打ちのめされた妖怪たちの窮地を救うため、全国の妖怪たちが参集してくるという胸が熱くなるシーンが始まり、文太郎は思わず立ち上がって前の座席の背をギュッと握りしめた。
とその時、プツっとフィルムが切れて映写室からカラカラカラと音が聞こえてきた。
ああっ、もう!良いところなのになんだよ!と文太郎は思ったものの、いつもの珍しくもない光景だったので、誰一人文句を言う者もなく、みんなおとなしくフィルムが修繕されるのを待った。
手持無沙汰に場内をキョロキョロ見回すと、お兄さんは最前列の座席でパクパクおにぎりを頬張っていて、競馬新聞のおっちゃんは新聞を顔にかけて爆睡していて、親子連れは指相撲に興じていた。
今度は、映画の妖怪じいちゃんの方を見るとあの指定席には誰も座っていなかった。じいちゃんがあそこに座っていない劇場を見る事なんて滅多にないことだったので、フィルムが切れることよりもずっと珍しいよなぁなんて文太郎は一人でエヘヘと笑った。
やがて フィルム修繕完了のアナウンスが流れたが、じいちゃんは席に戻ってくることはなく、また映画が始まった。
映画は佳境に入り、日本の妖怪たちが力を合わせてダイモンを倒したところで、文太郎は座席の上に立ち上がって声を出さずに万歳をした。
そして、文太郎が一番好きな映画の一番好きなシーンが始まった。
朝靄の中、妖怪たちが行列をなして帰っていく。
嬉し気に誇らしげに帰っていく百鬼夜行は、何回観ても幻想的で気高く美しい。
あれ?どういうこと?
よく観ると、スクリーンの中の妖怪たちに混じって着流しを着た映画の妖怪じいちゃんがいる。じいちゃんは嬉しそうに飛び跳ねながら妖怪たちと一緒にこちらに向かってくる。
文太郎は、ゴシゴシと目をこすってからスクリーンを見直したけれど、やっぱり咥えタバコの妖怪じいちゃんがいた。じいちゃんは目の前を通り過ぎると、突然振り返って文太郎にニヤリと笑いかけた。
文太郎は呆然とスクリーンを眺めていたが、やがて妖怪じいちゃんは妖怪たちとともに、朝靄の中に消えていった。
映画が終わって、今のことをお兄さんに教えようと思ったけれど、なぜか言っちゃいけないことのような気がして黙っていた。
その後も、前から3列目の一番左の席に妖怪じいちゃんが戻ってくることはなかった。
それから夕方まで2回妖怪大戦争を観たけれど、いくら目を凝らしてもラストシーンに妖怪じいちゃんが出てくることはなかった。
文太郎が不思議な体験をしたすぐあと、この小さな映画館は突然廃業した。
文太郎は、どうして映画館が無くなったのかお母さんに聞いてみた。
「この間、映画館のオーナーが亡くなったんだよ。着流しがよく似合う小粋なおじいさんだったけどねぇ。」
とお母さんは教えてくれた。
(完)
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