ドラマ・映画感想文(12)『無名』

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作品の面白さ:9点(/10点)
制作年:2023年(日本公開は2024年)
公式サイト:https://unpfilm.com/mumei/

 ※後半はネタバレを含みますのでご注意ください。

2024/5/3公開日に鑑賞。かなり面白かった。
ただし、理解が及ばない部分がいくつか残った。

この映画を楽しむには2つのリテラシーが必要となる。

①時系列と人間関係を整理する読解力
②第二次大戦中の中国に関する予備知識

①は、映画を数多くご覧の方なら心配いらないレベルだと思うが、私は少し苦戦した。 

一方、②については、趣味の範囲で何冊か本を読んだことがあるため、その知識が役立った。逆に、この予備知識が無いと鑑賞していてかなり苦しいだろうと思われた。 

そこで、これからこの映画をご覧になる方のため、②について私の知っている範囲で記しておきたい。そして、後半では、ネタバレを含む感想と疑問点を記そうと思う。
  



■必要となる予備知識(ネタバレなし)

正確に書こうとするとかなり長くなるため、大まかに記すことにする。

本作で主に描かれているのは、1931年満州事変から1945年終戦まで。この期間における、次の3つの勢力関係を知っておく必要がある。くどいようだが、あくまで大まかに記す。

蒋介石(しょうかいせき)
国民党を率いる。最初は南京、後に重慶が本拠地。共産党や日本と激しく対立。劇中のセリフに「重慶」と出てくるが、重慶と蒋介石はイコール。

汪兆銘(おうちょうめい)
もとは蒋介石と仲間だったが、分裂。南京を本拠地とし、日本と手を結ぶ。(よって劇中では、日本軍の渡部と連携している)

共産党
毛沢東が率いる(なお、名前は劇中に出てこなかったはず)。中国統一へ向けた主導権をめぐり、蒋介石(国民党)と激しく対立。

当時の中国は、以上の三大勢力が割拠しており、今の中華人民共和国のように一つの国家として統一されたような状態ではない。これが大前提。蒋介石、汪兆銘がそれぞれ政府を建てている状態で、この他にも、日本の傀儡政権が複数ある。共産党も一時期、政府を建てていた。彼らは、終戦後の主導権を手中に収めることを狙い、対立している。

さらに、中国大陸北東部には、日本が樹立した広大な満洲国が存在する。形式的には独立国だが、実質は日本の傀儡。関東軍と呼ばれる軍隊が配備されている。関東軍という名称だが、日本の関東地方とは何も関係ない。この満洲国をいつか取り返したいという思いが、程度の差こそあれ、上述の三大勢力に共通している。当然といえば当然。もとは日本の領土ではなく、満洲事変による産物だからだ。

こうした中で、それぞれが諜報活動を展開。スパイを使った情報戦。そして、満州事変や日中戦争により中国に進駐していた日本も、「特務機関」と呼ばれる組織を設け、同じように諜報活動をさせていた。

この他、「軍閥」(ぐんばつ)と呼ばれる勢力も存在。政府とはいえないまでも、軍事力によって一部の地域を実効支配するグループ。映画の中で一度セリフとして登場するが、本筋とはあまり関係ない。 

また、本作の主な舞台となる上海は、先進国各国の「租界」(そかい)が置かれていた。租界とは、それら先進国の領土のようなところ。これもセリフに登場するが、気にしなくてもいいレベルだった。 

最後にもう一度繰り返すが、当時の中国大陸は、一つにまとまった国ではなかった。だからこそ、本作の中でも、汪兆銘政権、蒋介石政権、そして共産党が、それぞれ対立するように描かれている。「同じ中国なのに、何故敵対しているのだろう」という疑問を持ってしまうとストーリーを理解できないと思われるが、「そもそも一つの国ではない」ということがポイント。だからこそ、互いにスパイを送り込んでいる状況。

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では、ネタバレを含む感想について。

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■感想(ネタバレあり)

あえて時系列をストレートに描かず、つぎはぎのパッチワークのようにしている。

例えばA→B→C→D→E→F→Gの時系列を、G→E→A→B→F→C→Dの順にシーンを繋ぎ合わせる。しかも、BやDやFが、二三度出てきたりする。※例え話なので順不同 

この演出の狙いは、観客の関心を惹き付けること以上に、スパイの行動が見方によって異なる意味を持っていることを視覚的に表現しているものだろう。そして、その狙いは見事な効果をあげている。なるほど、と唸らされることが多かった。

 そうした演出だということを前半では明らかにせず描かれている。ただし、冒頭で既にそのヒントはあった。 

You Tubeで本編の冒頭映像が視聴できるが、この中で、イエ(ワン・イーボー)が鏡の前で白地のネクタイを締めるのに、直後に鏡に映る姿では濃色のネクタイになっている。これにより、時系列が連続しているシーンでないことが分かる。映画館で鑑賞時は、ネクタイがなぜ前後のシーンで異なるのか分からなかったが、後半に入り、時系列が操作されていることを知って納得した。

この冒頭シーンの後、料理店での会話に、「一人前の料理を二人で食べることはできない」というセリフが出てくるが、これは含蓄が深い。この会話を交わしたイエとワンの二人は、のちに一人の女をめぐって対立し、イエがワンを殺すこととなる。 

争いのもととなった女は、イエの婚約者である“ファン”(チャン・ジンイー)。横顔がアップで映るシーンでは、艶やかに結い上げられた豊かな黒髪に目を奪われた。

彼女だけでなく、この映画に出てくる3人の女性はみな、息を呑む美しさ。国民党の女スパイ“ジャン”(ジャン・シューイン)は画面越しに色香が匂うようであったし、フーの妻であることが判明する“チェン”(ジョウ・シュン)は、生活感を漂わせながらも楚々とした気品をまとう。

ただ、最も色気を感じたのは、やはりトニー・レオンだった。物憂げに煙草を吸う姿は、それだけでスクリーンに映える。職務遂行のため手段を選ばない冷酷さと、それを覆い隠す仮面のように柔和な表情。その落差は作品の肝であり、見ごたえあった。


■疑問点

大きく3つ、疑問点が残った。もう一度観れば分かるかもしれないが、現時点のメモとして残しておこう。 

①冒頭でベンチに腰掛けるフー(トニー・レオン)のシーン

このシーンは、時系列でいうと、いつのことになるのだろう。背景が白い格子状のロッカールームであることからして、イエが渡部(森博之)を殺したシーンの前後だと思われるが、判然としない。もっというと、今この文章を書くまで、ロッカールームのシーンは、直前に出てきたフー釈放の日のシーン(後述③)の直後に位置すると思っていたが、断絶しているのだろうか。それなら少し分かる気がするが…。 

②フー釈放後、イエがフーを挑発し、フーがイエにつかみかかろうとするシーン

なぜ挑発したのか。イエとフーは同じ共産党スパイで、仲間のはずである。これには、後述③も関係する。
 

③フーとイエの格闘シーンにおける双方の意図

なぜ、同じ共産党スパイ同士の2人が殺し合おうとするのか。このシーンの時点では、フーのみが共産党スパイであることが判明しているため、共産党(フー)と汪兆銘政権(イエ)の戦いとして描かれるが、最後にイエも共産党スパイと判明する。そうなると、殺し合おうとする目的は何だろう。

 これにより重傷を負ったイエは、渡部の信頼を勝ち取り、満洲の関東軍(≒日本軍)の配備図を見せられる。終戦直後に満洲が早々と瓦解したのは、この配備図の情報を、イエが共産党(とその先にいるソ連だろうか)に流したからであった。

ということは、この極秘情報を得る、またはそれに匹敵するだけの信頼を渡部(日本)から勝ち取るために、計算づくでフーとイエは争ったのだろうか。共産党であることが露呈したフー(それも計算のうちか)と本気で争ったように見せれば、少なくともイエは信頼される。

先述②についても、渡部の信頼を得た状態のまま情報源として関係を継続させようという狙いなら、あえて渡部の目の前でフーと対立する芝居を打つ意味も分かる。

もう一つの解釈として、このようにも考えられるだろうか。スパイとして仲間同士であっても、いつ相手に裏切られるか分からない。もし、フーがイエの裏切りを疑っていたのなら、戦う意味は単純明快。この解釈の場合、フーからイエに対する疑念が晴れたのは、イエが満洲の関東軍配備図を目にして得た情報を共産党に有利に活用したことによってであり、時系列としては、疑念→格闘→満洲の関東軍配備図→終戦→②→満洲瓦解→疑念解消→ラストシーン(香港にてフーとイエが再会)、という感じだろうか。

このように、②③については、2つの解釈のうちどちらが妥当か、あるいはどちらも誤りか、一度観ただけでは分からなかった。もう一度観れば分かると言えるだけの自信はないが、映画館に行くか配信が始まるのを待つか、迷うところ。

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