読書記録(05)川端康成『みずうみ』
ストーカーの気味悪い話。…といえばそれまでだが、川端作品である以上、それが作品の本質ではない。
なぜ『みずうみ』というタイトルか。主人公・桃井銀平の幼い頃の記憶の端々に、みずうみが登場する。家の近くにあった。父はそこで死んだ。銀平は、鼠の死骸を放り投げたこともある。
一方、初恋の相手である従姉「やよい」と、みずうみを歩いた淡く静謐な思い出。美しい従姉。それ以上に美しかった、銀平の母。
しかし、父の死から間もなく、やよいや母との関係は断絶する。なぜか。父と銀平は、醜い者同士だったから。
父の死によって、それまでの均衡が崩れ、銀平は母方の家系(母、やよい等)から蔑みを受ける。ここに、銀平の鬱屈した自己嫌悪と劣等感が渦を巻く。
醜さの象徴として、銀平の“猿のような足“が度々語られる。先天性の何からしいが、詳細は明かされていない。いずれにしても、”醜“である銀平は、”美“である少女・女性に対し、憧憬・渇望・憎悪・殺意が混濁した執着心を燃やし、ストーカー行為を働く。醜い”足“をつかって。
美と醜は川端康成にとってこだわりのあるテーマのよう。そして、美よりも醜こそが心に刻まれやすいという人間のさがが、次のように語られる。
これと同様の表現が『千羽鶴』でも出てくる。
美にこだわることは、醜へのこだわりと表裏一体。それゆえ、最終盤では、あえてゴム長靴の醜い女と関係を持とうとするが、未遂に終わる。
読み解けなかった点が2つ。
一つは蛍。作中に二度出てくる。幼い頃、やよいと二人、それぞれの蚊帳に蛍を放し、数を競った思い出。そして、大人になった銀平が、美少女町枝を蛍狩りの会場で待ち伏せするシーン。そこでの一節。
蛍は何かの象徴だろうか。考えるヒントとなりそうな記述は、蛍と蚊帳の思い出に続く部分にある。
これらのシーンを読んでみても、蛍の意味が判然としない。いつか、何度目かに読み返すとピンときたりするものだろうか。
もう一つ分からなかったのは、蛍狩り会場でのシーンの終盤。夜空に輝く星を「大きな蛍」と見紛い、幻の雨の音を聞く。自分を「幽霊」とあざけた後、幽霊の連想から、かつての捨子の幻を見る。(捨子は、銀平の子かどうか定かでない)
この一連の、現実と非現実が混じったシーンの解釈が難しい。蛍の意味と併せ、今後の宿題。
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