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疎遠だった祖母が旅立った話

こんばんは、いえもんです。

先月末、祖母が息を引き取った。

先週日曜日、その火葬が行われた。

この祖母とは疎遠になってしまっていて十数年以上、会っていなかった。

そんな中、訃報が母からLINEで届いた。

疎遠になってしまった理由は色々ある。それでも会おうとすれば会えただろうにそうしなかった自分がいる。

後悔しているわけではないけれど、棺の中のご遺体の顔を見ながら、この人がいなかったら私はこの世にいなかったのだよな、と思った。

棺の中で眠る祖母の顔は、私が知っている顔ではなかった。それくらい会っていなかった。

それだけ疎遠だったから、ひどく悲しむこともなかった。ただただはじめての火葬場が興味深く、お経が読まれて祖母が送り出されて、皆が合掌する姿を不思議だなと思いながら眺めていた。

実際の火葬場で、映画やドラマで見てきたあのブザーが鳴った。本物だったんだと思った。

しばらくして祖母は真っ白な骨になって戻ってきた。

一度くらいしか会っていない親戚が言う。

「おぎゃあと生まれて大きくなるのに、人間最後にはこれっぽっちになってしまうのね。」

本当にそうだね。

生きていたひとが骨になる過程をはじめて経験して、不思議に思うとともに、それなりの喪失感が迫ってきた。

子どもの頃は、よく祖母の店に遊びに行ったし、欲しいものを買ってもらったり、近所の花見に混ぜてもらったりもした。持病で入院したときもお見舞いに行った。いつも明るい祖母だった。でもこれは全部十数年前の子供の頃の記憶。

ひどく悲しむことはなかったと書いたが、翌日も引きずり、仕事をしながら何回も祖母に思いを馳せていた。

葬儀をしてすぐに仕事している大人たちは、引きずらずにすごいなと思ってしまった。

***

この世の中には色々な家族がいると思う。

その中でも祖母と母の関係は正直言って良い関係ではなかった。自分が大人になってから、祖母との関係性にまつわる胸が痛むような話を母がしてくれたことがある。自分の話ではないのに私は涙が止まらなかった。母は今の人生を必死で掴んで生きているのだと思った。

そんな母はこの祖母の死をどう感じるのだろう、どんな顔をするのだろう。そう考えたら苦しくてたまらなかった。母の気持ちなんてわからないのに、自分は勝手すぎる。そんなことを考えながら当日はなかなか母の顔が見れなかった。

母はそれでも気丈に振る舞っていた。

祖母は亡くなる前、自分たち孫の話をしてくれていたらしい。みんなで会いたいとすら言ってくれていたらしい。祖母の中で私たちの存在が忘れられずにあったのなら、お別れできてよかったと思った。

『大豆田とわ子と三人の元夫』の最終話で親子の話が描かれた。母親は自分を産んで幸せだったのか?その疑問が、かつて母と愛し合っていたひとにより解決される様子が描かれていた。

母にとってもとわ子のように、救われる瞬間がああって欲しいと願ってしまった。

母は祖母との和解がないまま死別してしまったことになる。祖母はきっと母を愛していただろうに、そのことをきっと伝えていない。(母の記憶の中では弟だけが気にかけられ、愛されていたと話していた。)

それでも自分たち孫に祖母が会いたがっていた、という事実が少しでも、少しでも母を救ってくれるといいなと思った。母に救われて欲しいと思った。

そんな日曜日から始まった今週1週間はすごく長かった。

身近なひとの死の経験が少ない自分は、なんて幸せものなんだろうと思うなどした。

ちなみに写真は、子どものころ祖母からもらったカルキングのおまけキーホルダー。今となっては絶対レアでまだ持ってる。

>サイトウ
『ドライブ・マイ・カー』3時間ほどの長さにいつトライしようかとまだ観れてないです…時短営業早く終わって欲しい…。車窓の記憶っていいね。穏やかな景色ばかりでてくる。

>きっちゃん
馬レポも気になります。



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