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掌編小説『歳上の女性に、可愛がられたい人生でした』

 思わずSNSでつぶやいてしまった。
「歳上の女性に、可愛がられたい人生でした」
 過去形で書いたからといって、俺の人生が終わってしまった訳ではない。こんな言い回しが、ネットで流行っているだけのことだ。まだまだこの先も、俺の人生は続いていく……はずだ。
 早速フォロアーから、ツッコミの投稿が飛んでくる。
「なんだよ、マザコンだったの?」
「妄想たれ流しかよwww」
「ロリコンじゃなかったんですか?」
 マザコンじゃねぇし。妄想サイコーw ロリコンじゃねぇし。フォロアーからの投稿に、次々と返信していく。
 しかし、四十歳を超えてまで、歳上の女性云々もないものだ。我ながら、どうかしている。俺より歳上なんて、アラフィフってことに……いや、まて、アリだな、アリ。アラフィフ美魔女も、アラフォー美魔女も、どんと来いだ!
 いやいや、ダメだろ。落ち着け。そんな恋愛、ドロドロしてしまうに決まっている。俺の理想は、もう少しプラトニックなはずだ。
 俺が憧れていたのは、歳の頃なら二十七、八。三宮あたりのブティックで、服を売っているお姉さん……そんな女性に、バイトでカフェの給仕をしているところを見初められるのだ。大学時代、そんな出会に憧れていた。
 そして、彼女の部屋に通ううちに鍵をたくされ、半同棲の甘い生活を送るのだ。そう、俺にとって歳上彼女の部屋の鍵は、まさに夢のアイテム。秘密の鍵を持っているという自信が余裕を生み、周囲からモテまくるのだそうだ……むかし読んだ西村しのぶの漫画に、そう描いてあった。
 ブランドならば、ラルフローレンかAPC。古着屋とフリマを走り回ってチノパンとシャツとTシャツを買いあさり、酸素系漂白剤ターボで徹底的に洗濯してシャビー感を演出。靴なんて、ドクターマーチン一足で良い。これで、貧乏学生だけど清潔な小僧のできあがり……これも西村しのぶの漫画に描いてあったことだ。
 漫画の中で歳上の女性に愛されてた、ふんわりとした男の子……彼のようになりたくて、学生時代の俺は髪を長く伸ばしたしピアスもあけた。もちろんシャツはラルフローレンで、靴はドクター・マーチン。それなのに仕上がりは、ユルフワ大学生じゃなくてお水の兄ちゃん……当時で言えばディスコの黒服。今で言えば、ミナミのホストといったところか。
「ラルフなんかやめて、ヴェルサーチでも着たらどや」
 そう言ったのは確か、バイト先のマスターだったはずだ。
「えー。ワタシぃ、D&G着てるオトコが好きぃ」
 聞かれてもいないのにそう言ったのは、バイト先に飲みに来ていた近所のスナックのママだっただろうか……。世はまさに、バブル絶頂期。DCブランド全盛の時代だった。
 当時の俺は、ショットバーでアルバイトしていた。学校が終わると寮に帰って身支度を整え、繁華街へ出かけてバーテンの真似事をする。水商売に片足を突っ込んでいたのだから、お水っぽくなってしまうのも仕方のないことなのか。なぜカフェではなくショットバーを選んだのかと、自分の選択が悔やまれる。
 だがしかし、お水っぽかろうが、バーで働いていようが、歳上のお姉さんが見初めてくれればそれで良いのだ。バーの客は歳上ばかりなのだから、チャンスはふんだんにあるはずだ。……そう、チャンスだけは多かった。
 しかし実際には、お客の大半がカップルで二人の世界以外は見えちゃいないから、当然バーテンを見初めるような間違いなんて起こらない。
 遅い時間にくるスーツやドレスの女性客は、キャバクラの嬢かスナックのキャストだ。残念ながら彼女たちは学生のバイトなんてマトモに相手してくれないし、仮に何かの間違いで見初められたとしても、水商売の女性とつきあうのは何かと苦労が多い。嬢の客がらみで、トラブルになることだって少なくないのだ。
 金曜の夜に決まって一人で飲みに来る女性客がいたが、これはマスター狙いだった。名前は確か、サチコだったかサヨコだったか……よく憶えていないが、さ行の名前だった気がする。
 マスターは結婚しているし、子供だっている。カウンター席に座り、カルーアミルクのグラスを傾けながらマスターへ熱い視線を送る女性へ、「結婚してますよ、マスター」などと、要らぬことを告げたりしたものだ。
 しかしその言葉は彼女を余計に燃え上がらせてしまうことになり、やがて彼女の思いは本懐をとげる。しかし不倫の常として、女は次第により多くを望むようになり、男は次第にそれをうとましく感じるようになった。かくして二人の関係は、半年と経たずして破局をむかえることになったのだ。
 冬の寒い日、バイトを終えて吐く息も白く外に出ると、さ行の女が店先にたたずんでいた。俺の顔を見るやいなや、突如として涙に濡れる。
 マスターからの連絡がなくなり、店には来るなと言われていたから、店先でずっと彼が出てくるのを待っていた……彼女は涙ながらにそう語った。スマートフォンどころか、携帯電話すら普及していない時代だ。当時の不倫女子の苦労は、察するに余りある。まぁ、好きで背負い込んでる苦労ではあるのだけれど……。
 人通りの多い場所で泣かれてはたまらないと、あわてて連れ込んだ居酒屋で、落ち着きを取り戻したさ行の女がくだを巻く。鶏軟骨をかじりながらカルピスサワーをあおって、いかに自分が耐えてきたのか、いかに報われていないのかを、何度も何度も繰り返す。俺はいいかげん面倒になってしまって、「わかるよ、わかります!」とか「姉御は悪くないっすよ」などと適当な相槌を繰り返していた。
「ワタシはさ、愛していたいだけなのよ。わかる? 愛していたいだけなの。でもそれすら許されないって、どういうことなのよ! ねぇ、これだけ愛してるんだから、少しくらい報われたって良いと思わない?」
 見返りを求めている時点で、そんなの愛じゃない……なんてことを、俺は言わない。言ったところで、詮ないことだ。愛してるのに愛されないのは辛いっすよね……そんな適当な相槌で話をつないでいた。
「あんたさ、歳下なのに女心わかってるよね」
 わかってなんかいない。話を合わせているだけだ。
「ワタシたち、もっと早く出逢ってれば良かったのにね」
 すっかり酩酊した彼女を、独り暮らしの部屋まで送った。帰ろうとした刹那、さ行の女がラルフローレンの袖を引く。
「独りはやだよ。今夜だけ……ね?」
 そう言って潤んだ瞳を向けるあざとさに負けて、俺は彼女を抱いた。
 ひとしきり乱れたあと腕の中で寝息をたてる彼女を見つめながら、俺は罪悪感にさいなまれていた。愛されない寂しさを、彼女は俺で埋めようとした。マスターの代わりと知りながら、俺は彼女を抱いた。だめな女と、だめな男……それなりにお似合いなのかもしれない。そんなことを考えながら、眠りに落ちた。
 日のまぶしさに覚醒めると、彼女はすでに仕事にでかけた後だった。テーブルの上の書き置きには、部屋の電話番号とともに「暇なときに電話ください」とメッセージが記されていた。
 そして部屋の鍵……。テーブルの真ん中に鍵が置かれ、メモが添えられていた。
「スペアキー、置いておきます。よかったら使ってください」
 店で何度も顔を合わせていたとはいえ、初めて泊めた男に部屋の鍵をたくすなんてどうかしている……などという常識的な物言いはさて置き、彼女はどうやら俺を籠絡するつもりらしい。既成事実を盾に、なし崩し的に状況を整えようとする行動力には素直に感心する。けれども、追われると逃げたくなるのが人の性だ。
 夢にまで見た歳上女性の部屋の鍵も、この状況で見ると色あせて見える。強く握ったり、朝の日差しにかざしてみたりもしたが、さしたる感動は湧いてこなかった。
 キーホルダーが無いから納まりが悪いのかと思い、自分のキーホルダーを彼女の部屋の鍵に付け替えてみた。ヴィトンのキーホルダー……モノグラムの幅広の革ベルトがついたキーホルダーだ。
 確かに収まりは良くなったけど、それ以上ではない。憧れの鍵も、手に入れてみればこんなものか……革ベルトに指を通し、クルクルと回してみる。憧れ自体が大したものではなかったのか、それとも彼女の部屋の鍵だからなのか……。
 結局、部屋の鍵は持ち帰らなかった。キーホルダーがついたままの鍵をポストに突っ込んで、彼女の部屋を後にした。電話番号の書き置きも、そのまま置いてきた。
 アルバイトを辞め、それ以降夜の街で働くことはなかった。今度こそカフェで働こうかとも思ったが、それすら止めておいた。
 その後、大学の後輩に言い寄られ付き合い始めた。すぐに別れるだろうと思っていたが、意外なことに大学を卒業しても付き合は続いた。しかし社会人となった俺と学生の彼女では時間が合わず、すれ違いが多くなり自然消滅した。
 相変わらず歳上に憧れ続けた二十代。バンド活動を再開してファンの子や他のバンドのメンバーとも付き合ったが、皆が歳下で、皆が一年も経たずに別れた。
 三十代になり、同い年の女性と結婚した。当時で言えば『できちゃった婚』、今で言うところの『授かり婚』だ。関係ない話だが『授かり婚』という言葉は、『成田離婚』と語感が似ている。だからどうしたと言われれば、返す言葉はないのだが……。ついでに言うと、まるで第三者から意図せずもらったかのような、『授かり』という表現は気に入らない。
 考えてみれば、俺にとってみれば『できちゃった』であったのだが、妻にとってはまさに『授かり』だったのかもしれない。安全日だと言って、避妊具の使用を拒んだのは妻だったのだから……。
 マリッジブルーとマタニティーブルーが重なり、身重の妻は次第に精神の安定を欠いていった。俺の浮気を疑い、俺と浮気相手が自分をあざ笑っているのだという妄想にとりつかれた。出産後も状況は変わらず、結婚からわずか二年で離婚することになった。
 年齢のせいなのか、離婚歴のせいなのか、女性から恋愛対象として見られることがなくなった。四十代に入り、その傾向はますます強くなっている気がする。
 生活から女性の影がなくなり、思い出すのは歳上への憧れだ。
「歳上の女性に、可愛がられたい人生でした」
 そんなつぶやきをSNSに垂れ流す程度には、憧れの気持ちが膨らんでいる。
 今さらのように、さ行の彼女のことを思い出す。部屋の鍵、持って帰りゃ良かったな……そんな馬鹿なことまで考えてしまう。あのまま付き合い始めていたら、どうなっていただろうか。恋に恋して自分を落とし、自らが作り上げる不幸に陶酔できる彼女……俺は巧く、彼女と付き合うことができただろうか。
 いや、できるはずがない。
 なぜ自分を、不幸な状況に追い込みたがるのだろう。なぜ目の前の幸福を、素直に受け入れられないのだろう。
 こんな幸福が長く続くはずがない、そう考えているのだろうか。やがて壊れる幸せならばいま壊した方が傷が浅くすむ、そんな心境なのだろうか。さ行の彼女だけではない。俺とともに過ごした、多くの女性がそのように振る舞った。
「俺と一緒だと、そんなにしんどいかね……」
 溜息とともに、思わず独り言がこぼれる。一緒に居られるだけで、小さな驚きや感動をシェアできるだけで、俺はそれだけで満足だったのに……多くを望んでなどいないつもりなのに、結局いつも独りになってしまう。
 年上の女性に、可愛がられたい人生でした……俺は歳上彼女から部屋の鍵をたくされることを夢見ながら、今日もSNSで薄っぺらなやり取りに興じている。

(了)


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