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卒業アルバムを見て、ようやく吹っ切れたいろんなモヤモヤ。

実母が倒れたのを機に、実家の片付けが進み始めた。

自分が使っていた部屋にずっと残してある卒業アルバムが気になっていた。母が捨てないのなら、それは母の思い出。だったら残しておけばいい、とは思いつつ、学生時代にあまりいい思い出がない私としては早く捨てたかった。


娘の小学校卒業、中学校入学もあって、小学校、中学校の卒業アルバムを持って帰ることにした。母も何も気に止めず(あ、もういらなかったのね…)。


今の時代にはありえない、生徒と先生の住所録や、修学旅行時のお風呂の写真(男子のみ)、女子のブルマ姿などなど…小学校の卒業アルバムには文集もついており、少ないながらも寄せ書きもあり、あらためて見ると逆に残しておきたくなってしまった。

問題は中学校のアルバム。中2の時にいじめられて学校に行きづらくなってしまい、吹奏楽部もやめることになってしまった苦い過去があるので、一番捨てたいと思っていた。

ところが、娘が見たい!と言うので渋々ページをめくっていると、なんだか心が軽くなってきた。…というより、そんな過去を重たく感じていたはずの自分が、もういなくなっていたことに気がついた。
個人写真以外は誰も笑っていなくて、楽しそうではない写真。なんだ、みんなそんなに学校楽しくなかったっんじゃん!
あんなに嫌だったスキー研修の写真が一枚しか載っていない。そんなに思い出に残すもんでもなかったんじゃん!

少ないながらも、小学校よりも読み応えのある寄せ書きメッセージ。少数精鋭の仲間からの言葉に、なんだかんだで心が温まった。



見終わってしばらくしたあとに、あ、そういえば私をいじめてきた女子の顔、見てないわって気がついた。見ないようにしていたわけでもないけど、目にも入ってこなかったし、本当に忘れていた。

もう、いつの間にか“そんなもん”になっていた。

数年前まで吹奏楽部の夢を何度も見ていた。それも、部活をもうやめてるのにそこにいるだけ、という苦しい夢。

いつの間にか見なくなっていた。もう、苦しまなくていいんだ。


辛くて仕方のなかったあの時も、こうやって時を経るとただの思い出…というか、ただの過ぎ去ったこととなる。その時の感情はもう消えてしまっている。今を生きるには必要のないものだから。どんなに辛いことがあっても、生きていればそれは過去になっていく。

大人になるってやっぱり素敵なこと。
子どもたちに伝え続けたい事実。



アルバムはもう少し取っておこう。
次は高校、大学のアルバムを持って帰ってこようと思う。

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