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裏切りの髪型にラナウェイ 〜MYスベり高等学校卒業式〜

昨日、ショートショート(超短編小説)で参加したお題「スベり高等学校」ですが


わたしの高校の卒業式の話も書くね。
直後の写真がコチラ。

一回帰って着替えたんだったかしら……花束あるしなぁ。


髪、どうした? という皆さんの心の声が聞こえてくる……気がするわね。

夏に出したエッセイの中には、いくつかコラムが挟まれている。友人たちが書いてくれたわたしの印象や、赤子時代〜学生時代の写真とキャプションからなるMYメモリーなどだ。
MYメモリーコラムは見開き1ページに7つの写真が載っているので、ぎゅぎゅっと説明の文章が添えられている感じである。ピュアな頃のわたしは大変カワイイのでぜひお手にとってみて欲しい。

高校時代の写真は、本当はコレにしたかった。
だが出来なかったのだ。決してイメージのためではない。

絹目プリントだったから。

昭和の人しか分からないだろうか。
昔フィルム写真を現像する際に、少しざらっとした艶消しのプリントタイプがあったのだ。

「絹目以外で選んでね。綺麗に印刷が出ないから」

河出書房の河出プレジデントがおっしゃった。
しかしわたしはあの頃、絹目ブームだったのだ……
かくして多くの写真はボツになった。

何度もこのネタはライブのMCで喋り倒してきた。載せられなかったのは二度おいしい 唯一の無念である。
そんな訳で、出版したエッセイに載せたのとは別バージョンの高校時代。一枚の自分史……ここに成仏させたく思う(大袈裟)。

裏切りの髪型にラナウェイ

高校時代は、暗黒だった。
病気がちで(書くと長くなるので今回は割愛)、ほとんどまともに通学出来ずにいた。

数学のテストは5点という大台を取り、物理は呼び出され夏休みまでも補講を余儀なくされた。現代文では詩で賞を取れたが、担当の教師に「お前のお陰で仕事が増えて(県の授賞式出席のため)面倒くさいわ。真面目にやるなよ」と怒られ、マラソン大会はほぼ最下位をキープした。

しかしまぁなんとか留年せずに三年になり、卒業式が目前になったある日のこと。ずっと抱いていた疑問が、ふっと掘り起こされた。

なぜ、中学にしても高校にしても、男子はスポーツ狩りにしろだの、女子はおさげにしろだの、スカート丈の決まりだの、よく分からない校則を作るんだ。
白いシャツならなんでもいいじゃないか。
化繊が肌に痛いから綿を着てるのに、指定のものと違うとわざわざ叱るとか、大人ってバカなのか。なんの意味があるのか。

わたしの中で抑えていた大人への反抗心が、芽生えた。

明後日はもう卒業式だ。明日しか動ける時間はない……。
決心した。

パーマかけよ。


もちろん禁止である。
しかし卒業式当日なら、もう怒られたところでどうってことないんじゃないか。最後くらい、可愛く華やかに終わりたい。

当時わたしが憧れていたのは映画に出てくる、アメリカのカーリーヘアの女の子……ではなく

スターダスト☆レビューのボーカル、根本要さん

である。(サングラスのお方です。)

そもそもそこがすでに間違いなのだが、まぁ気にしない。ちなみに理想のタイプを聞かれたら、必ずカナメさんと答えるくらいには今も大好きである。

今でいえば、スパイラルパーマ?

当時のわたしは、剛毛だった。そして田舎の、おばちゃんのためのおばちゃんによる美容室である。そんなハイカラな髪型をオーダーするお客など、まずいない。

美容師のおばちゃんは腕を振るってくれたのだ。
……最大限。

かくして数時間後、鏡に映った姿はクリスタルキングだった。

果てしなく大空を駆け巡りたかったが、無残に裏切られたのである。
少々時代を遡りすぎてしまった。


次の日。
頭には目一杯ムースを塗って登校した。
教室に入るや担任のW先生が固まる。

「……。トキタ、どうした、その髪。」

わたしは、てへぺろ☆(´ω`) とした顔を作る以外になかった。


その後の卒業式はもはや罰ゲームである。
友だちに笑われながら、後ろ指を刺されながら、卒業証書を受け取らねばならなかったあの瞬間は、ラナウェイしたかった。マジで。

こうして、わたしの高校生活は最後の最後で盛大にスベって終わったのであった。
反抗心? 何かなそれ?

「カラオケいこー!!」
仲良しの子たちと行ったカラオケ。

暗黒な高校時代の終わりに、今でも使えるネタを作ったわたし、ほんと天才。

歌ったのは「大都会」ではない

※アラフィフみ溢れる内容をお詫びいたします

Karen Tokita(ボサノヴァシンガー/エッセイスト)

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