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他人の「普通」に自分を重ねない〜実業団時代に経験したこと〜


明けましておめでとうございます🎍




知らないうちに年が明けました。
最近はものすごく1年が過ぎるスピードが早いです。




今回は以前リクエストのあった、実業団選手時代に経験したこと・感じたことをお話したいと思います。


実は練習法についての連載が止まっているのですが、やっぱりなかなかまとまらないので先にこちらを更新させて下さい💭



タイトルを「今の積み重ねが未来を作る」にするか、「自分のキャパシティを見極める」か何にしようか迷ったのですが、心理学を学んでいるのでこのタイトルにしました。



「他人の普通に自分を重ねない」


言葉の意味はなんとなく理解できますでしょうか。

「他人の普通が自分にとっての普通とは限らない」という意味です。

練習に代入して言い換えると、
「他人のキャパシティの大きさは、自分の中に存在するキャパシティと同じ大きさではない」です。

少し難しくなってしまいました。

私がお話ししたいのはそれぞれで異なる、個人が持つキャパシティの大きさのことです。

分かりやすく練習の設定タイムで考えてみると、誰かがこなせる練習の設定タイムが、全く同じように自分にもこなせるとは限りませんよね、ということなのです。


理屈で説明していても難しいので、私の経験でお話ししますね。



私は中学時代から集団よりも個人で練習に取り組む事が多く、レースや合宿でしか周りの子たちと走る機会が無かったため、普段の皆の練習の様子が分かりませんでした。
だからシーズンごとにある県合宿や県の練習会などでは、「最低限、ここでライバルと同じような動きが出来なければ(タイムが出せなければ)絶対に勝てるはずがない」と思っていました。(もちろんこれは一理ありますが。)


なので、合宿では誰かが早起きすれば私も負けじと早起きするし、誰かが元々の練習プラスアルファで本数をこなせばそれを上回る本数をこなすことが必要だ、とか人と比較して同等かそれ以上になるように取り組んでいました。(このように闘争心が強いことはランナーにとって必要な素質であると思います。)

が、それってたかが数日の事だから難なく出来るんです。

それがずっと続いてしまえば.....どうなるでしょうか。

実業団に入れば、ほぼ365日寝食と練習を共にします。嫌でも仲間の(ライバルの)生活が見えてしまうのです。
そんな中で、先程の闘争心を生活に加えてしまったらどうでしょうか。



例えば、

・オフの日でも誰かが走りに行けば「私も走らないと強くなれない」と思い、体が疲れているのに走りに行く。
・ポイント練習の前後に皆が動いていれば「ここで動かなければ強くなれないんだ」と、心身の疲労を無視して自分も動く。
・お腹が空いているのに誰かがご飯を減らせば、自分も減らなさければいけないと感じる。


多くの選手にとってはそれが「普通」や「少し無理して出来ること」であったのですが、私も同じようにこれらを全て毎日繰り返すうちに完全に疲れ切ってしまいました。

要は、皆にとっての「普通・少し無理してできること」を自分にとっても同じように「普通・少し無理してできること」だと錯覚していたのです。

蓋を開けてみれば、自分はまだ皆と同じように出来るレベルではないにもかかわらず、常に無理を強いてきたことで容易に自分のキャパシティの限界を越え切っていました。


周りのそういった行動は、今まで積み重ねてきた練習で培われた体力や精神力からなる自分の持つキャパシティがそうさせているだけなのです。
短くまとめると、その人にとっての「慣習」だから出来てしまうのです。


一つの壁を突破するためには確かに多少の無理や自己犠牲が伴います。

ただ言われたことをやるよりも自分で一工夫を加えたり主体的に動くことで後の伸び率が大きく違ってくると思いますし、99%の強い選手はそうしていると思います。

しかし、その時の自分に必要なことを考えず、何でもかんでも他人を超えよう超えようとするのは主体的ではありません。

すべての要素において一気に他人を真似たり超えようとして突破を試みれば、強くなる前に自分にガタが来てしまいます。

人に必要な事・人がやっている事が今の自分にとって必要なこととは限らないですし、それは個々人で異なると言って良いと思います。




では、そこの「限界」を「普通」に変えていくためにはどうしたら良いでしょうか。

まずは基本的な事ですが、自分の今の実力やその時の体の状態を考え、自分が出来る事から着実に取り組んでいく事が大切です。

地区大会で勝負しているランナーが急に日本一のランナーになろうとしても無理があるように、自分の限界値を見極めずに他人を真似して一気に上り詰めようとしてはいけません。

自分のキャパシティをしっかり見つめず、自分よりも動けている人や記録の良い人と同じようにしようと欲張り、自己管理が出来なくなるほど追い込めば、それは記録を狙う以前に自分を疲れさせてしまう原因になります。


私も実際、周りに合わせて5時起きをしていた頃よりも集合時間ギリギリに起きて(笑)体を休ませていた時の方が記録が好調でした。

また、試合前もあまり動かず3時間お昼寝をして自己ベスト近く出したこともあります。
し、普段の練習でもあえて周りを気にせず、無理に動かないことで自分の心身のエネルギーを温存させていた方が練習に意欲的に参加できました。

それを繰り返していくうちに、「これもう少し頑張れそうだな」「これをこうしてみたらどうだろう」というアイデアが生まれ、徐々に早起きも出来るようになり、前の自分の限界だったものがいつの間にか難なくこなせる普通に変わっていきました。


こうしてまずは自分が出来る目の前のことから取り組み、己のキャパシティを徐々に広げていく。こういった小さな積み重ねが大切です。



ただし、集団生活においても自分を見極めて動くことと、自己中心的になることとはまた違います。協調しなければならない所は協調性も必要です。




年末から年明けは、富士山女子駅伝、ニューイヤー駅伝や箱根駅伝など沢山大会がありましたね。

強い選手を見て触発される選手も多いことと思います。

しかし、その人が当たり前に出来ていることが今の自分に当たり前に出来る事であるとは限りません。

一歩ずつ目の前のことを積み重ねていくことで自分の限界だったことがいつしか「普通」に変わり、あの憧れの選手と同じ舞台で勝負する日に繋がると思います。

少しずつ、目の前のことを一緒に積み重ねていきましょう☺︎🌟




また次もテーマを設定して書きますので、楽しみに待って頂けると嬉しいです☺︎


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