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松下幸之助社

三重県鈴鹿市に椿大社という神社があり、経営の神様と呼ばれていた松下幸之助氏もよく参拝に来られていたということで、有名な神社です。神社の修復及び造営に関しても多額の寄付をされたいました。

そして、亡くなられてからは、椿大社に祀られるようになり、本当の意味で神になりました。

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そのような言い伝えというか、実話があってもなくても、私にはとても縁深い神社だったりもします。

その理由は、私はもともと松下電器で働いていたからです。今現在はパナソニックになってしまいましたが。勤めていたのは、もう20年以上の前の話です。

松下幸之助さんが経営の神様と呼ばれるようになった理由はよく判りませんが、社内では神様というよりは発明家にちかい感じでした。そして、意外と小さなことをコツコツと蓄積させていくタイプの人であると聞いてました。そして、労働組合との歩み寄った団交も上手だったと聞いてます。

以前、凡事徹底という記事を書きましたが、あの言葉も松下幸之助さんの哲学のひとつです。

もちろん経営をされていたたので経営の神様と呼ばれる意味はなんとなく判りますが、亡くなってからはあまりにも神格化し過ぎている気がしますが、今までの行いは、昭和という時代を牽引してきた神業とも言えるので、神なのかもしれませんね。

発想もシンプルです。

昔は電気の供給元がひとつしか無かったので電化製品をひとつしか使えなかった時代。お姉さんがアイロンを使いたい、こっちでは本を読みたいから灯りを点けたい。そして、二股ソケットを考え出して、同時に電化製品が使えるになったという、とてもシンプルでありながら、問題解決もできるという、単純明快な発想です。

そんなことを考えていると、現代的なアイデアとかは、だんだん複雑になってきている感じがします。時代が複雑しているからなのか、人間が複雑に生きているからなのか判りませんが。

昭和の時代から平成になり、そろそろ平成の時代も終わります。次の時代にシフトチェンジするのですが、時代に取り残されないようにしたいなと思います。

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